馬、運命と再会する


「そこの馬、止まりなさい!」

「人がいますよ。危ないから停止しましょう」


 止まっている暇なぞない。


 俺は現れた人間を躱して、門を目指す。


 ガシャーン


 閉じられていた門を体当たりでこじ開けて、内側へ押し入った。


「な、な、なんなのよその馬? あんた飼い主でしょ。抑えつけなさいよ」

「いえ、わたくしは決して飼い主ではなくてですね。でもとりあえず謝りましょうよバレット様。どうやら彼女このガルタ村の住人みたいですし」

「ここがそうか」

「きゃっ」


 用のなくなったオークスをそこらへんに放り投げる。


 ここにジジイがいるのか。


 意識した途端、村の中に漂っていた匂いからわずかに昔嗅いだ覚えのあるものがあった。


 すぐそこだ。


 俺は並んでいた家の前を歩き、そしてその中から一軒を選んで立ち止まる。


「大音がしたと思ったら。おやまあ綺麗なお馬さんだこと」

「……あんた匂うな」

「そうかい? これでも夫の愛情が冷めないよう清潔にしているつもりなんだがね」

「別に臭いってわけじゃない。ただあんたから俺の知り合いの匂いが濃くするんだ。婆さんの知り合いに、道男ってのはいるか?」

「ミチオ……知ってるよ。その人なら今、この家の裏で薪を割っている最中さ」

「教えてくれてありがとう」


 家の主から許可をもらった俺は頭を下げてから、裏へ回りこんでいく。


 老婆が言っていた通り、壁越しから覗いた先には左手で斧を振り下ろす男がいた。


 ブウン


 男の斧は空を切る。

 片手でやっているせいでバランスが保てないのが原因だった。


「おほっ。失敗失敗」


 男は一度の失敗にめげず、再度、斧を振る。その姿はまるで失敗を楽しんでいるようだ。


 男の顔は皺だらけで、長い髭も髪も本来の色が抜けて白くなっていた。年齢は家の主と同じくらい。みすぼらしい恰好は、片腕と片足だけも長かったりしてもはや服というより布であった。


 カタンッ


「!」


 足元から音がする。積んであった薪の一部を崩してしまった。


 異変に導かれて、道尾はこちらへ目をやる。


 俺と彼の顔が合わさった。


「……」

「……」

「……地球一早い雪玉が世界を越えて会いにきおったわい」


 ジジイ!


 貞岡道男。半年前、交通事故で他界した人間で俺のジョッキーだった。




「あひゃひゃ。儂の大好きだった利かん坊にまたこうして会えるとは」

「ジジイがちゃんと説明したことには従ってたろ」

「しかも喋れるという! あひゃひゃひゃ! 正直めちゃくちゃ面白い!」

「おや? 前は話せなかったのに、同じ馬だとどうして分かったんだい爺様?」

「言葉が通じなかっただけで沢山話をしたからのう。たとえ同じ品種が千匹以上いたとしても見抜けるわい」


 家の主から道尾は中身の注がれたコップをもらう。


 この下品な笑い方。

 どうやら幻覚の類ではなく本物のようだ。


「はいお馬ちゃん。あなたにはぬるめのを」

「馬の飲み方じゃ熱すぎると火傷してしまうからのう」

「いただきます」

「あら。さっきの感謝もだけどこの子礼儀正しいわね」

「クレイジーにはそういうところあったのう。ところで味はどうじゃ?」

「まずい」

「あひゃひゃ。めちゃくちゃ失礼!」


 正直な感想を伝えると、笑い転げるジジイ。

 

 味と感謝は別物だろ。


 俺はお礼を伝えつつ、もらった液体を飲み干す。なんだろうこの味。お茶とコーヒーの間というかどっちつかずの中途半端というか。


 これまで味わったこともない未知の味の飲み物は新鮮だが、こうしてジジイと一緒にいる時の雰囲気はとても懐かしい。

 牧場でも厩舎でも競馬場でも俺はずっとジジイの傍にいた。

 最初は人間の言うことなぞ聞くものかと思っていた幼い頃の俺にジジイは一からレースを教えてくれた。

 そのジジイがいなくなって二度とこの日常が過ごせないと分かると、俺はもう走れなくなっていた。

 だからあの高山でのラストランで引退しようとしていたのだが。

 

「しかしクレイジーがまさかその若さで死んでしまうとはのう」


 えっ? 今なんて言った?


 和気藹々とした空気の中、突如放たれた驚愕の一言。


 呆然とする俺へ、ジジイはあっけらかんとした口調で言う。


「おや知らんかったのか? 儂もお前も死んだことで異世界に送られたのじゃよ」

「なんだそれ?」

「なんだそれって……知らんのか異世界転生? わりと流行っておって若いジョッキーも結構その類の物語を読んでおったみたいじゃぞ。でもそうか深夜アニメが多いからその時間帯は馬は眠る時間じゃな」

「二次元を現実と一緒にするな!」

「まあ細かいところは違うかもしれんが、この状況の一番分かりやすい例としてあげさせてもらった……この世界は地球と違う場所じゃ」

「百歩譲ってそれはいい! 問題なのは――」

「儂は確実に死んだ。トラックにぶつかって全身バラバラじゃ」


 ズキン

 頭痛のようにジジイの遺体と言われた血生臭い肉塊の存在が脳内に浮かぶ。


「まああくまで死んでこの世界にきたのは儂だけかもしれんしのう。クレイジーの場合は違うのかもしれん」

「……いや俺も死んだ。レース中、騎手を庇って後続の馬たちに踏んづけられて」

「なるほど。そういう死に様じゃったか。ある意味お前らしい最期じゃな」

「俺らしいだと!」


 つい吠えてしまう。


 ふざけるな。俺は望んで死にたかったんじゃない。よく知りもしなかったその日だけの付き合いのやつのためにあんな苦しい思いをするのなんてもううんざりだ。


「すまん。つい軽い言い方になってしまった。儂は老い先短かかったから、あの時点ではもう諦めの思いのほうが強くてのう」

「馬鹿野郎! 諦めてんじゃねえよ!」


 てめえがいなくなった世界で、俺がどんな気持ちでいたのか分かっているのか。


 解消しようのないイライラが募り始めた途端、


「いたぁ! 暴走馬、今からあんたを捕まえてやるからね!」

「いえ、ですからおそらくなんらかののっぴきらない事情がバレット様にはありまして。壊れた門についてもちゃんと弁償いたしますので。どうかお許しを」

「駄目よ。悪いことは悪いことってちゃんと叱ってやらないといつまでたっても同じことを繰り返すんだから。アタシのおじいちゃん家にまで侵入して~」


 この村に訪れた時に見た女とオークスが家に入ってきた。


 王女が宥めるが取り合わず彼女は怒り散らす。


「ウレタン。この馬は儂の客人じゃ」

「知り合いなのか?」

「この世界での儂の娘じゃよ。儂、この人と結婚したんじゃ」

「マジか」


 家の主を指さすジジイ。


 そういう口ぶりではあったが、そこまで異世界に馴染んでいるとは想像してなかった。

 

 女はおじいちゃんとジジイを呼んで、怒ったような呆れたような態度で話す。

 その様子は本当に家族のようだった。


「あのご老人。もしや貴方様が水晶のお方でしょうか?」

「おほっ。なんじゃ初対面のペッピンさんに声をかけられてしもうたわい。ようやくこの儂にもモテ期がきたかのう。異世界ハーレムの開始じゃい」

「よろしければ今度のレースにて、貴方様のお力添えを願えないのでしょうか」


 占いの人物を発見したオークスは脇目を振ることもなく早速頼み込んだ。


 そのまま会話に応じたジジイへ事情を全て話す。


「なるほどのう。戦争が終わったのにそんな理由があったとは」

「国を奪い合う競争って。聞いたらなんだか頭がクラクラしてきたわ」

「もし宰相側が代表にでもなったらレース中になにをされるかも分かりません。最悪また戦争が再開するなんてことも」

「なるほど。そういう事情ならいっちょジョッキー歴五十年の名騎手であるこの儂に任せなさい」


 快く受けるジジイ。

 昔からその人となりを知っている俺としては不思議ではなかった。


「……と言いたいところじゃが。申し訳ない。断らせてください」


 はっ?


 疑問で頭がいっぱいになる俺の前で、ジジイは服の上下の裾を捲りあげた。


 それを見た人間たちは一気に表情を青ざめさせる。


「なんと無残な……」

「この前までの戦争で負傷してしまってのう。命に別状はないが、もう利き腕も利き足もどっちも動かすことはできん。こんなのがジョッキーをやるならまだ重りを乗せたほうがマシじゃ」

「ごめんなさい」

「いやなに、あんたの責任では決してないわいお姫様。むしろ儂は大事な嫁と娘をこの手で守れて誇りに思っている」

「だけどもう少し早く終わらせることができたら犠牲者も少なくできたと思うと」

「顔をあげなさいお姫様。あんたの志は素晴らしい。儂らみたいな平民のことでさえ悲しんでくれる立派な方じゃ。だからその考えを信じて、突き進んでいってほしい。戦争なんてもう起こさないでくれ」

「はい……でもどうすれば。わたくし、もうここくらいしか頼れなくて」


 ジジイとオークスがなにやら話していたが、俺はまったく聞こえていなかった。


 もうジジイは馬に乗れないだと。


 かつてジジイが死んだ時もそうだった。諦めきれずに塞ぎこみ、最終的には走ることを捨てようとした。


 でもまたこうして会えた。


 また俺の背中にジジイを乗せられると思ったのに。


 誰だ? 誰が悪だ?

 誰がジジイを俺からまた奪った?


「……オークス。もういい」

「えっ?」

「城に戻るぞ」


 オークスを連れた俺は沈黙のまま村から去った。


 


 

 


 


 


 


 

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