第17話 希望の洞窟。

「……お腹空いた」

「さっき食べたばっかりだよ」


 チキがお腹をさすりながら言う。

 食べさせてあげたかったが、食事のスパンが短すぎる。

 この調子で食べていたら、食糧はすぐに底をつくだろう。


 日の光が届かないので日数感覚が分からないが、

 なにが起こるか分からないため、食糧を節約したいところだった。


 ……この洞窟を抜けるのは、少し長引きそうだ。


「時間は経っていると思うぞ」

「いや、そんなことはないと思うけど……」


 ヒックはまだがまんできている。

 ヒックが比較的、小食だからかもしれないが。


 そうだ、とヒックがポケットを漁る。

 取り出した鉄製の時計。どんな状況下でも壊れず使える時計……、のはずなのだが。


「秒針が動いてない……」


 決定的だ。

 常に分かりやすく動き続ける秒針が止まっているということは、

 この時計は、まったく動いていないことになる。


 針はお昼を過ぎた時間で止まっている。

 いまの時間が、示された時間ではないことは明らかだった。


 日の光は届かず、朝か夜かも分からない。

 洞窟の中はエメラルドグリーンに照らされた明かりだけ。

 採れる食材もまったくなく、持っている食糧も有限だ。

 そして時計は動かず、時間も分からない。


 まずい、とヒックは思う。


 洞窟を早く抜けるよりも、まずは外に出て、立て直すべきだ。


 時間がかかってもいい。

 この際、豪雪が止むのを待っていたっていい。


 充分な準備をして、この洞窟を抜けるのがいちばん安全だ。

 大自然を相手にしているのだ、ひとつのミスでころっと死んでしまうことはよくある。


 引き際が肝心。意地になっていても仕方ない。


 最悪、かなり遠回りになってしまうが、

 この山の外周を大きく回って、向こう側にいく方法だってあるのだから。


「チキ、この洞窟を出よう。嫌な予感がする」

「この音はヒックの思う、嫌なことだったのか?」


 チキにしか聞こえない音が鳴っているのだろうか? 

 しかし、すぐにヒックも聞き取った。


 ごごごご、と洞窟全体が小さく揺れている。

 バランスを崩すほどではなかった。走って広場に戻れる。


 戻る頃には、揺れはおさまっていた。

 辺りをよく見る。なにか、変わったのか?


「……チキ、なにか感じる?」

「んーん」


 首を左右に振る。現時点では安全らしい。


「いまの内に外に出よう! 確か、入ってきた道ってこっちだったよね?」


 ひとつの通路を選ぶ。

 広場から伸びる八本の足のような通路とまったく同じ通路が、

 ここに初めて辿り着くため通っていた通路なので、ひとめでは分からなかった。


 だが、順番に通路を選んでいたので、迷うことはなかった。

 不安は少し残るが、小さなものだ。

 ヒックもチキも、先に進めないのは分かるが、戻れないことはないと思っていた。


 しかし、壁。

 入口を塞ぐように、壁が敷き詰められていた。


 叩いて壊せるような硬度ではない。

 即席で作られた仕掛けではない。

 見せかけのハッタリでもない。

 そこにきちんと存在し、通行を遮っている。


 ――閉じ込められた。

 ヒックは分かった瞬間、ぞっとした。


 外的な寒さではない。内側の、精神的なものからくる寒気。


 人為的なものではない。人の気配は、恐いほどにしていないのだ。


 大自然が、二人に牙を剥いた。


 それが意思あるものなのか。

 それとも大自然の気まぐれに、二人はただ巻き込まれただけなのか。


 どちらにせよ、このままでは、二人は凍え死ぬ。


 恐怖を感じなくなった時が、本当の終わりだ。



 ドーム状の広場。

 出っ張った岩に座り込み、腕で身を包む。

 気休め程度だが、これでいくらか温かくなる。


 向き合う形で、もうひとつある岩に座るチキが、立ち上がった。

 ヒックのうしろ側に座る。ぐいぐい、とその小さなお尻で押し出してくる。


 ヒックは半分、お尻をずらす。

 落ちそうなんだけど、という文句は言わなかったし、

 言ったとしても無視されていただろう。


 無言で、ひとつの岩に二人で座る。密着している背中だけが温かい。


「……どうしようか」

「とりあえずお腹が空いたぞ」


 断る元気もなかった。

 ヒックはリュックから弁当箱を取り出す。

 許可が出てから嬉しそうに、チキも弁当箱を取り出した。


 いま、思考が止まってしまっている。

 閉じ込められたショックよりも、空腹が勝った。


 空腹のせいで脳にエネルギーがいっていないのかもしれない。

 空腹を満たせば、なにか変化が起きるかも。

 期待して、二段目のお弁当を食べる。


「元気は出たけど、解決案は思い浮かばないよね」


 一段を残し、弁当箱をしまう。

 チキは全て食べてしまっていたが。

 まあ、ヒックの一段を半分こにして食べればいい。

 あとは、小さなものだが、ビスケットもいくつかある。


 ここで長く生き延びることを考えて節約するよりも、

 一気に食べてエネルギーを蓄え、短時間で抜けてしまおう、という考えも中にはあった。


 徹底はしていないが、それに近い行動を起こしているいまが、

 この現状を破るために重要になってくるのかもしれない。


 こんな賭け、普段のヒックならば絶対にしない選択だ。

 勝負に出た、思い切りのいい選択、とも言えるが。

 冷静になれないほど、麻痺しているとも言える。


 全身は冷えているのに、冷静にはなれていない。


「ヒックヒック」


 とんとん、とチキがヒックの肩を叩く。

 返事をしたヒックは、チキが伸ばす指先を追う。


 八本足のように伸びる通路のひとつだ。

 さっき通ったはずなので、見て珍しいものでもないのだが。


「どうしたの?」

「あの通路。周りの壁、あんなにゴツゴツしてたか?」


 チューブのような、細く丸くなっている通路の、その内側の壁。

 そこの小さな岩が飛び出し、ゴツゴツしている、とチキは言う。

 正直、ゴツゴツしているからなんなのだ。


「さっき通った時は、そんなに注意して見てなかったから分からないよ」

「初めていく場所なんだから周りをきちんと観察しなきゃ」


 怒られた。その通りなので言い返せない。


 しかし観察していたとしても、たぶん、気づけなかったと思うが。

 気づいたとしても、問題にするようなことでもないと思う。


「この通路だけじゃないぞ。他の通路も、少しだけさっきの通路と変わってる」


 チキがここまで確信を持って言うのだ。見間違いではないだろう。


 ただ、変わっているからと言って?


「…………え? え、じゃあ――」

「通路が変わってるってことは、その先も変わっていたりするかもしれないぞ!」


 さっきの小さな揺れ。

 もしかしてあれが、この洞窟の変動によって起きたものだったとしたら。


 変わった通路。

 通路が変われば、行き先も変わるはず。


 全てがリセットされる。


 壁が敷き詰められた行き止まりという結果も、全て変わることになる。


「――いこう、チキ!」


 もしかしたら。

 その希望が、ヒックとチキを動かした。

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