第16話 道の先。

「……また行き止まり」

「だね」


 声が嫌によく響く。

 自分たち以外が生存していないこの空間が恐い。


 目の前には壁しかなかった。今度は小さな穴すらもない。


「戻ろうか」

「この壁、押したらそのまま前に倒れるかもしれないぞ」


 チキが言いながら壁に両手をつける。すぐに高速で、ばっと手を放した。

 体がぶるぶると小刻みに震えている。冷たい空間にある壁なのだ。当然、冷たいだろう。


「なにやってんの……」


 差し出してくるチキの両手を握る。ちょっとだけだが、少しは温かくなるだろう。


 厚い生地の手袋なのにもかかわらず、突き抜けて肌を襲う冷たさ。

 直接、壁に触れていないヒックも、この場にいるだけで、

 そろそろ防寒着の意味がなくなってきていた。


(寒い……。指先なんて、もうほとんど感覚がなくなってるし)


 チキと握り合っていても、温かさは感じない。

 握っているという感覚さえ、あまりしない。

 こうして立ち止まっていると、すぐに体温が奪われてしまう。


「チキ、どう? 変わった?」

「ぜんぜん温かくないぞ」


 同意見だ。

 ひとつ、提案をする。


 体力を温存するのが旅人としての基本だが、

 温存すればするほど、体温が奪われていってしまう。

 なのでここは大量の消耗を覚悟で、激しく動くことにした。


 動けば、体の内側から温まることができる。


 凍死というケースを回避することができるのだ。


「運動することに文句はないぞ!」


「チキは普段から激しく動いているしね」


 活発な少女は身軽で、落ち着いていることがあまりない。

 頭脳労働を嫌がり、肉体労働をしている方が合っているし、好む傾向がある。

 チキからすれば、いつもと変わらない。


 大きな変化を要求されるのはヒックの方だ。

 運動音痴、ではない。これでも旅人をしている。

 普通の人よりもポテンシャルは高い。だが、得意ではないので自信を持つのは難しい。


 内側から温まることができたのはいいが、そのまま体力がなくなり倒れてしまえば最悪だ。

 この極寒の空間で汗をかきながら眠るのは自殺行為になる。

 出口を見つけられていない、いま、

 運動する選択は命を救う結果にも、落とす結果にも繋がる分かれ道だ。


 迷ったが、ヒックはやはり体を動かすことに決めた。

 目の前の危機を脱する方が先だ。


 そろそろ手と足、指先が限界に近い。

 動けば、この突き刺さるような痛みもおさまるだろう。


「じゃあ、さっきの広場まで競争か?」

「一直線だし、ちょうどいいかもね」


 ただ、チキは三秒間のハンデをお願い、とヒックが情けなくもそう提案した。

 ハンデを設けたところで勝てるとは思っていない。それくらい、力の差はある。


 ただ、スタート開始、すぐに突き放されるよりも、

 ゴール直前で抜かれて、チキの背中を見れる方がいい。

 このハンデ数秒は、勝つためではなく、

 ヒックが寂しくならないようにするためのわがままだった。


 チキは気づいてなさそうに、


「いいぞ」


 と言う。


 すんなり受け入れられると、それでも楽勝に勝てると思われているのだが。

 なんだかしゃくではあったが、力の差は両者とも把握している。


 勝つのではなく楽しさを求めるチキと、

 勝つためではなく寂しさを感じないようにするヒックは、

 そのハンデに文句はなかった。


「じゃあ、三秒後にスタートしてね」

「りょうしょー」


 手を、ぴんっ、と真っ直ぐ伸ばす。それを見てからヒックが構え、


「よーい、ドンっ!」


 言って、駆け出した。

 空気を突き破って進んでいく。

 冷気が顔を撫でる。冷たい。鼻水が凍りそうだった。


 手袋で拭っていると、チキの声。


「チキもいくぞー!」


 わざわざ大声で叫んでくれたので分かりやすい。


 今更だが、ハンデの三秒というのは長かったかもしれない、と思った。

 広場から行き止まりまでの距離が思ったよりも短かった。

 歩きだと長く感じたのだが。走ってみると、あっという間だった。

 もう広場が見えてしまっている。


「……チキに勝てるかも」


 少しだけ希望が見えてきた。

 ハンデありだけど。


 勝つ気はまったくなかったのに、いざ目の前に見えると、掴んでみたくなってしまう。

 少しの期待が足元を不安定にさせた。足と足が途中で絡まり、転びそうになる。


「――うおっと」


 転倒はなんとか回避したが、速度が少し落ちてしまった。

 その瞬間、右隣から、とととんっ、と壁を跳ねる足音。

 視線を移すと、壁を側転しながら駆けていくチキの姿が見えた。


 な――ッ、と声にならない声。


 そのまま、見えていた広場に着地したチキ。


 体は前に向けたまま、顔だけを振り向かせ、

 その場で驚き、立ち止まってしまったヒックを見つめる。


「チキの勝ち!」


 満面の笑みからの突き出されたピース。

 ヒックの中に、悔しいという感情はまったくなかった。

 その笑顔が見れただけで。ヒックとしては満足だ。



 隣の通路。

 行き止まり。

 隣の通路。

 行き止まり。


 ……何度も何度も繰り返す。


 そして、最後に残った通路を進んだ。

 ここまでくると、最後の通路だからと言って期待はできなかった。


 進む。通路の外観に違いはあれど、結果は同じだった。


 ヒックとチキの目の前に立ち塞がる壁。

 手で、触れる。どっしりとした、動くことのない壁だった。


「……戻ろうか」


 しかし、戻って、どうする?

 ここが最後の通路だった。


 ドーム状の丸い広場に戻ったところで、進む道はもうない。


 それでも、この場にいるよりはなにか進展があるかもしれなかった。

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