無痛山

第15話 立て看板と挑戦状。

『洞窟を通りたければ武器と防具を用意せよ』


 そんな立て看板を洞窟前で見つけた。


 帽子を深く被り、濃い青色の髪の毛で瞳を隠している、

 気弱そうな印象を抱かせる旅人の少年ヒックは、その立て看板を見て首を捻る。


 同じように、前髪を分けておでこを出した、レモン色のツインテールを、

 歩く度に揺らしている、ヒックよりも年下の活発な少女チキも、首を捻った。


 二人共、看板の意味を理解できなかったらしい。


 単純に読解すれば、中は危険だから、

 武器と防具を用意して万全の状態で進みなさい、という忠告なのだろうけど。


「ヒック、どうするんだ?」

「うーん、ありがたい忠告だけど……」


 かれこれ数時間かけて、滞在していた街から歩き、この雪山を登ってきた。

 あと少しで雲に届きそうな高さまできている。

 今更、戻り、

 武器と防具を調達してここまでまた戻ってくるのは、正直、やる気が起きなかった。


 いまは雪山の降雪は落ち着いているが、予報だと、

 遠くない時間にこのゆったりした降雪が豪雪に変わると言われている。

 洞窟の中に入ってしまえばしのげるとは言え、豪雪は数日間、続くだろう。

 食糧の問題もある。長い時間をかけずにささっと通り抜けたいものだった。


 すぐに抜けるためには武器と防具を調達している暇はない。

 この立て看板を設置してくれた人には申し訳ないが、このまま進もうとヒックは決めた。


 その決定に、チキは文句を言わずに頷く。


「ヒック」

「なあに?」

「お腹が空いたぞ」


 じゃあ中に入ってからね、

 と、食欲のせいで歯をかちかち鳴らしているチキをなだめて洞窟に入る。


 彼らの大自然との戦いはここから始まった。



 洞窟の中は広かった。

 入り口は狭かったが、入ってすぐの通路は、二人が並んで歩いてもまだまだ余裕がある。

 自動車がすれ違えるくらいの道幅があった。


 通路を進むと、プラネタリウムのようにドーム状になっており、

 なにもない丸い空間が広がっていた。

 壁の上から厚い氷が張っており、中が透けて見えている。

 エメラルドグリーンに薄っすらと光っており、神秘的な空間だった。


「……綺麗だね」

「それよりもお腹が空いたぞ」


 ムードよりも食欲の方が勝ったらしい。

 ヒックもお腹は空いていたので、出さない理由もない。


 地面から出っ張っている、

 向かい合わせになっている小さくてちょうどいい大きさの岩を見つけた。

 そこに腰かけ、リュックから弁当箱を出した。


 チキに渡すと目を輝かせて蓋を開けていた。

 弁当箱は三段重ねになっており、ひとつひとつ中身の種類が違う。

 食材の違いではなく、料理の違いだ。

 一段一段をまとめて食べるような組み合わせにはなっていない。

 旅人用に、何食にも分けられるようになっているのだ。


 その弁当箱を一気に三段、食べようとしていたので、チキの手をぱしんと叩く。

 むっ、としたチキに一瞬、引いたヒックだが、ここは後先のことを考えて注意する。


「一食一段。食糧もたくさんあるわけじゃないんだから、節約しないとね」

「ヒックはケチだなー」

「あとあと、食べるものがなくなってもチキに分けてあげないからね」


 もちろん、実際に食糧に困れば分けるとは思うが。

 相棒のチキを見捨てるほど、ヒックは容赦のない性格はしていない。


 チキもヒックの性格を分かっていたが、ここは言うことに従った。

 自分だけ良い思いをする、という不公平な結果をチキは嫌ったのだ。


 一心同体。生きるも死ぬも、二人一緒だ。


 お弁当を食べながらヒックは身震いする。

 食べる料理が冷えてしまっているのもあったが、洞窟の中が外よりも寒かったのだ。

 風を防いでくれるため、

 いくらか寒さも緩和されるだろうと思っていたが、そんなことはなかった。

 冷気が中に溜まってしまっている分、冷凍庫のように冷え切ってしまっている。


 お弁当を食べたらすぐにでも出ないと、ここに長くいたら凍え死んでしまう。

 風があっても冷気が三百六十度に逃げている外の方が、まだマシだった。


 食べ終わったヒックは弁当箱をしまい、

 首元のマフラーと、着ている黒いコートをきつく締める。

 少しでも冷気が入ってくる隙間を埋めようとしたのだ。

 同じコーディネートをしているので、チキのも一緒に締めてあげた。


 ちなみに、チキの方が食べ終わるのが早かった。

 当然、足りなかったらしく、お弁当箱の隅まできちんと舐め取っていた。


 意地汚いと思われるかもしれないが、

 些細な栄養も旅人にとっては貴重なエネルギーになる。

 身内だけならば、意地汚いとは言わない。


 食後の休みも取らずに、二人は立ち上がった。

 休みを取るほど、満腹でもない。


「ヒック、どこに進むんだ?」

「どこって……」


 ヒックは前を見て言葉を失う。

 いまいる丸い空間から伸びる八本の足のような通路。

 その全てが外に繋がっていればいいのだが……、


 そんな上手い話があるだろうか。

 どれかひとつが正解で、それ以外が行き止まりの方が、断然、信用できる。


 通路ひとつひとつが短いのならば、手当たり次第にいくことができるが、

 長いとなると考えなければならない。とは言え、現時点では判断のしようがない。

 とりあえずは当てずっぽう。直感を頼りに、ひとつの通路を選ぶことにした。


 ここでチキに聞かないところ、ヒックは責任を、全て自分で負うつもりだった。


 しかし見抜いていたのか、偶然か。

 恐らく後者だろうチキが、指を差してひとつの通路を決めた。


「こっち。風の音がする」


 チキは普通の人よりも五感がいい。自分よりも、ぜんぜん信用できる。


「うん。じゃあいこっか」


 まず、疑っていなかったが。

 ヒックはチキを先導して、選ばれた通路を進む。



 結論を先に言ってしまえば、行き止まりだった。


「違うもん」


 チキが唇をぎゅっと結ぶ。

 行き止まりに辿り着いてからヒックがちらりとチキを見たが、そういう意味じゃない。


 チキの一言でこの通路を選んだが、それに同意したのもヒックなのだ。

 こんなことで、責めるような鬼畜ではない。


「そっか。風の音がしたのってこれだったんだね」


 ヒックは壁を撫でるように調べる。小さな穴を見つけた。

 そこから風が通り抜けていたのだ。

 ヒックには分からなかったが、音が聞こえていてもおかしくはない。


「行き止まりだったのは仕方ないよ。戻って違う通路を試してみよう?」


 ね? と笑顔をチキに向ける。

 むー、となんだか不満顔をしていたチキだったが、やがて、うん、と頷いた。


 子供扱いするな、と言いたそうにしていたのが分かる。

 しかし言わなかったのは、そのセリフこそが、

 子供の言いそうなことだと気づいたのかもしれない。

 そんなことを考えていそうには見えなかったが。


 二人はきた道を引き返す。


 ドーム状の広場まで戻ってきて、次はその隣の通路を選んだ。


 ランダムに選んで、どこにいき、どこにいっていないのか、

 分からなくなってはまぬけなので、順番に通路を潰していくことにした。


 もしも、いちばん端っこが出口なのだとしたら、長い時間がかかってしまうが、

 時間をかければ確実に抜けられるわけでもある。欲張らず、急がば回れだ。

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