第12話 出発の時。

「はい、ヒックさん!」


 ベールからお弁当箱を受け取った。

 三段重ねが二つ分。

 ヒックとチキの二人分なのだろう。ひとり分が多すぎる気がするが。


「あ、長持ちするので、一回で全部を食べる必要はありませんよ。

 上から順に、先に食べてくれれば、三食に分けられます」


 旅人に長持ちするお弁当を持たせるとは、分かっている。

 ベールのことだ、お弁当の中身も健康に良いものばかりなのだろう。

 本当にお世話になってばかりだった。


「ありがとう。必ずこのお礼はするよ」

「いえいえ、気にしないでください。……大切なものはもうもらっていますから」


 チキを見つめながら言う。

 チキよりも大きなお礼は、ヒックにはできなかった。


 そのチキはいま、おじいさんと一緒に、

 ベールがついでに作ったサンドイッチを食べていた。

 口元にタレをつけて、拭こうともしていない。

 やれやれ、とヒックはハンカチを取り出す。


「……指で拭わないんですね」

「チキがやる分にはいいけど、僕はちょっと……」


 単純に恥ずかしいから。

 大自然の中でならともかく、ベールやおじいさんが見ている前だとやりづらい。


「チキ、口元」

「ん」


 遠慮もなく差し出してくるチキの口元を、ハンカチで拭う。

 拭ってから失敗した、と後悔。

 食べ終わってから拭えば良かった。

 まだサンドイッチは残っている。チキのことだ、どうせこれからも汚すのだろう。


「ふーん」


 ベールが、つーん、として言う。


「当たり前なんですけど、二人の仲の良さに嫉妬します」

「二人も充分に仲良しだよ?」


 昨日、会ったばかりの関係とは思えないほど、二人の距離は近い。


 長い時間をかけて、いまの距離になったヒックとチキよりも、ぜんぜんすごいと思うのだが。


 しかし、ベールはヒックに対抗意識を燃やしていた。

 メラメラと瞳が燃えている。ヒックとの温度差がすごい。


 視線が痛いので、ベールから離れてチキの後ろへ。

 それがさらにベールの嫉妬を加速させているのだが、ヒックは気づかない。


 ただの避難できたわけではなく、もう少しでチキが食べ終わりそうだったのだ。

 食べ終わったら、それをきっかけにして、出発準備を完了させてしまおうと思った。


 準備とは言っても、旅の服を着て、

 もらったお弁当をリュックに入れて、背負うだけなのだが。


「ごちそうさまだ!」


 チキが口元を指で拭い、ぺろりと舐める。


 ヒックは、チキと一緒に、お弁当箱をリュックに詰めた。

 元々、ぎゅうぎゅうに詰めていたバッグの中に、

 お弁当のひとつ入れるのは至難の技だったが、なんとか入れることができた。

 取り出す時にひと苦労しそうだが。


 これまでの旅でずっと使っていた、ボロボロの黒いコートを着る。

 二人共、同じものだった。そして、同じ色のマフラーを首に巻いた。

 部屋の中だと暑いが、外に出たらこれでもぜんぜん寒い。


「そんなボロボロの服で大丈夫ですか……?」


 良かったら、わたしたちの服を――、とベールが勧めてくれたが、

 このコートだからこそいいのだ。


「黒だから、夜、保護色になってくれるから便利なんだ。

 新しいのをもらってもすぐにボロボロになっちゃうよ」


 それに、これは思い出のコートなのだ。

 最後まで、使い切ってあげたいと思う。


 そういうことなら、そのコート、大事に使ってあげてください、とベール。


 ヒックは、もちろん、と答えて、部屋の扉へ向かった。

 手前で振り向く。隣にはチキがいた。

 ちらちらとヒックを上目遣いで見てくる。目で、分かっている、と返した。


「ベールに、おじいさん。僕たちを助けてくれて、ありがとうございました」


 ヒックとチキ、二人、深く頭を下げた。

 その様子を茶化すことも止めることもせず、二人は見守る。


「行ってきます!」

「行ってくるぞ!」


「行ってらっしゃい」

「いつでも待っているからのう」


 別れの言葉はいらなかった。

 いつか、また戻ってくるために。



 あれだけ仲が良かったチキとベールは、出かける時、あっさりしたものだった。

 ただ、それはヒックの思い込みなのかもしれない。

 さっきの買いものの時に、二人だけで充分に、言葉を交わしたのかもしれない。


 二人は街を歩く。

 チキは前だけを見ていた。


 絶対にうしろを振り向こうとはしなかった。

 ヒックがうしろを見ると、ベールが大きく手を振っている。


 ……気持ちは、分かるけど。


「チキ。ベールに手、振ってあげないの?」

「……いい。振り向いたら――」


 その先の言葉が出なかった。

 言えば、同時にそれが出てしまうから。


「別にいいよ」


 ヒックは手袋をはめた手で、チキの頭を二度、ぽんぽんと叩く。


「僕がいるから大丈夫」


 口を結んだチキは、がまんできなかった。

 これまで溜まっていたものを吹っ切るように、

 ばっ、とうしろを振り向き、大きく両手を振った。


 瞳から涙を溢れさせて。

 大きな声で、ベールの名を叫びながら。


 友達との別れはつらい。

 でも、別れがあるからこそ、出会いがあるのだ。


 見れば、ベールも同じように涙を流していた。

 でも、二人共、笑顔だった。


 ヒックはそれが、いちばん嬉しかった。

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