第11話 最後の日。

「もう出発しちゃうんですか?」


 ベールが料理を運びながら、そう聞いた。


 昨日、活躍していた台車は部屋の端に置きっぱなしだ。

 杖はくせなのか、ベールの近くに置いてある。

 しかし、もう使う必要もない。


 ベールの片足は健康そのものだった。


 片足の機能が戻ったのにもかかわらず、しゅん、としているのは、

 ヒックとチキが今日にはもうこの街から出発してしまうからだろう。

 すぐに出なければいけない理由があるわけでもないが、

 あまり長く滞在し過ぎていると、今度は離れたくなくなる。


 旅人にとっては、毒でしかない。


「うん。温かい気温の内に出ようかなって。

 この街を出たらまた山を越えなくちゃいけないし。

 降雪が落ち着いている時に越えたいなと思って」


 数日を過ぎれば、また豪雪になる可能性が高くなる、と、この国の予報士が言っていた。

 あくまで予想なので、はずれる可能性もあるのだが。

 今までの的中率から言って、はずれる可能性は低い。


「もう少しいたっていいじゃん!」

「僕も、二人のためにももう少し長くいたいけどさ……」


 チキがベールを横から抱きしめる。

 ベールは、あはは……、と微妙な笑みだった。

 呆れられてないか? と思ったが、黙っておくことにした。


「確かに、出発するなら今日の内がいいだろうのう」


 ホットミルクを飲んでいたおじさんが、口を挟んだ。

 片手には新聞紙が握られている。記事を目で追いながら、


「また倒れられても、都合よくわしが通りかかるとは限らんしのう」


 わしみたいな親切な者がいるとも限らんし、とも言う。


 この国から離れれば離れるほど、親切な人は少なくなっていく。


 この街に住む人々は、積極的に親切にしてくれるが、

 それは黒いサンタクロースという存在が脅迫になっているからだ。

 その脅威がない外の世界で、親切にしてくれる人は貴重だろう。


 同じミスは二度としない、と言い聞かせても、

 相手が大自然となると、対策していても餌食になってしまう。

 向かう場所はまた雪山だ。

 ひとつのミスが死に直結するとなると、落ち着いている今を逃すのはもったいない。


 豪雪を体験しているヒックからすれば、避けたいものだ。

 チキは、へっちゃらだー、となめている態度を取っているが。

 あの時、深刻なダメージを負っていたのはチキの方なのだが。

 だからこそ、記憶が曖昧で、脅威を忘れているのかもしれない。


 羨ましい。ヒックは思い出すだけでも、ぞっとする。


 そういう理由で、ベールとは今日、別れなければいけなかった。


 繰り返すが、急ぐ必要はない。

 しかし豪雪が落ち着くのを待つと、一週間以上は滞在することになる。

 ……さすがに一週間もいると、街に愛着が湧き、離れづらくなる。


 それに、ヒックはお金持ちではないので、やがて生活費に困ってしまう。

 ずっとベールの家に厄介になるわけにもいかない。

 ぜんぜん大丈夫だよ、とベールは言いそうなものだが。


 借りたものは返すのが礼儀だ。

 お世話になった分、返さなくてはいけない。


 今回のお返しは、既にチキが済ませてくれていた。

 ベールの話し相手になっていただけなのだが。

 ベールへの恩返しが、友達になることだったのだ。


 ベールの得られたものは大きい。

 彼女がそう判断したので、ヒックはそれ以上のお礼ができなかった。


 買いものを手伝ったりはしたが。

 それをお礼に入れるのは、抵抗があったのでカウントはしていない。


 滞在した分、お礼をする。

 倍以上の日数がかかり、結果、一月以上もお世話になることになるかもしれない。

 仕事の関係上、それはできない。なので、消去法で出発するのは今日になったのだった。


「……仕方、ないですよね。わがままを言いたいですけど、がまんします」


 ベールは抱き着いているチキを優しく両手で剥がす。

 うー、と動物のような声をあげて嫌がるチキ。

 ベールが折れたのだから、チキも折れてほしい。

 ベールの対応が大人なので、さらにチキが子供っぽく見えてしまう。


「……ベール、ごめんね」


「あ、謝らないでください! わたしだって分かってますから! 

 ……ただ、ちょっと子供っぽく抗議してみただけです」


 むすー、としながらベールが言う。

 子供っぽい仕草のわりに、受け答えが大人なので、結果的に大人に見える。

 本当にチキと同い年なのか? ミステリーをひとつ見つけた。


「出発は、お昼くらいですか?」

「そうだね、それくらいになると思う。だから、二時間後かな」


「そうですか。……だったら」


 ぶつぶつと呟いているベール。

 指を顎に添えて。真っ白な指が綺麗だった。

 視線が自然と、釘付けになってしまう。


 すると、なにか思いついたのか、

 ペンと紙を用意し、ものすごい勢いで、文字を書き出していく。

 びっしりと紙が埋まったところで、


「じゃあ、ヒックさん、おじいちゃんと楽しく会話しててください! 

 ちょっと買いものにいってきます!」


「え? それなら、僕も一緒に」

「いいです! いいから座っててください!」


「そうだそうだ! ヒックは座ってなきゃダメだ!」


 なにも分かっていないくせに、チキが偉そうに言う。ない胸を張っていた。


「チキ、いくよ!」

「そうだそうだ! ……え、チキもいくの?」


 戸惑うチキの首根っこを掴んで、引きずるベール。

 チキに向けては強気だった。

 まあ、年上のヒックに敬語を使って、口調も態度も優しいのは当たり前か。

 チキだけが、唯一、対等な存在なのだろう。

 あの二人の上下関係は、断トツでベールが上だったが。


 最低限の準備だけ済ませて、ばたんと扉を閉めて出かけた二人。

 残されたヒックは、おじいさんと二人きり。

 新聞紙をめくる音だけが、静かな部屋に響き渡る。


 両手を持て余したヒックが、視線を泳がせていると、おじいさんが立ち上がった。


「さて、ヒックくん。……ホットミルクでも飲むかね?」


 自分のが無くなったのでおかわりしようとしたついでに、作ってくれるらしい。


 頷くと、おじいさんはヒックの分のコップを出し、そこで動きが止まった。

 なんでもかんでもベールに任せているので、

 ホットミルクを二つ作るのに、動きが止まってしまったらしい。


 厨房で固まるおじいさんを見て、ヒックが、ぷっ、と噴き出した。


「僕も手伝いますよ」


 男二人が厨房に入る。

 ホットミルクのついでに、パンでも焼いて食べようか、と思いついた。

 おじさんに交渉すると、二つ返事で了承してくれた。

 チキがあんななので、料理はヒックの方が上手い。

 もちろん、ベールの足元にも及ばないが。


 ベールが帰ってくる前に、ひと仕事。

 男料理だって、負けてない。



 パン二つ、ハムと野菜を挟んで、

 ベールの、橙色をしている特製タレをかけた簡単サンドイッチを作った。

 おじさんと二人、頬を膨らませながら頬張っていると、

 チキとベールが買いものから帰ってくる。


 両手に持った買いものかごには、たくさんの食材が詰め込まれていた。

 またパーティでもするのだろうか? 

 しかし、ヒックたちはあと少しで出発するので、

 パーティに参加しても少しの時間になってしまう。


「あーッ! なんか食べてるぞ!」


 ヒックの口元についているタレを見つけて、チキが叫ぶ。

 買いものかごを、どんっ、と落として、ずんずんと寄ってくる。

 鈍い音がしたけど食材は大丈夫だろうか?


 ヒックが口元を拭うよりも早く、チキが指先を伸ばしてタレを拭う。

 それをそのまま自分の口に入れた。チキは目を輝かせ、言わずにおいしいを表現した。


 タレだけなのだが。それでも充分においしいのは、ベールの実力があってこそだ。


「ずるいずるいずるいずるい……」

「分かったよ、チキのも作るから」

「あ、じゃあわたしがついでに作りますね」


 ベールは既に厨房にいた。

 チキが落とした食材も全て回収している。


 いつの間に……。ヒックとチキが、傍から見ればいちゃいちゃしている間に、

 うしろではベールが黙々と準備に取りかかっていたらしい。

 自分たちの気の遣えなさに、がっくりとした。


 チキは、「早く早くー!」とベールに頼りきりだった。


「チキは手伝って!」

 厨房から、ベールのお叱り声。


 ぴんっ、と背筋を伸ばしたチキは、

 どこかの軍隊のような機敏さで、すぐに厨房へ向かった。

 力関係がはっきりしている。いまの買いものの最中になにがあったのだろう?


 厨房ではしゃぐ二人のやり取りを聞きながら、

 ヒックは途中まで上げた腰を下ろし、深く椅子に座った。

 本当は手伝いたかったが、二人きりにしてあげたいと思った。


 厨房は女の子の秘密の部屋なのだ。

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