第8話 触れない罰。

「ま、待て!」


 黒いサンタクロースはチキからなにかを奪って、風に乗り、窓から外へ。

 ここは二階なのだが、風に乗って移動できるほど軽い黒いサンタには、関係ないのだろう。


 ヒックはすぐにあとを追う。

 窓を開けっぱなしにされたので、冷たい風が容赦なく部屋の中に入ってくる。

 薄着で、もう既に鼻水が出るほどに寒いが、防寒着を探しているひまはない。

 ここで逃がせば、再会はそのまま、一年後になってしまう。


 窓から飛び出し、屋根に足をつける。

 が、斜面になっているし、雪も積もっているしで、ものすごく滑る。

 分かっていても尚、足を取られた。


 斜面に体を叩き付けられ、ごろごろ転がり、雪の上に落下する。

 雪がクッションになり、ダメージは限りなくゼロに近い。


「ま、待ってよ……!」


 ヒックは顔をしかめる。

 寒さが足の裏を突き刺してくる。


 二階から飛び出したのだ、靴など履いているわけもない。

 積もる雪の上に足跡を残しながら、ヒックは裸足で黒いサンタを追う。


 速度はそこまで速くはない。

 いまのヒックでも、ちょっと速度を上げれば余裕で追いつく。


 接近するが、しかし手を伸ばしてもサンタの服を掴むことができなかった。


 考えてみれば、当たり前だ。

 さっき、胸を貫かれて痛みがないのも納得できる。


 サンタクロースなど、ただの虚像だ。

 人々が生み出した実在のしない存在である。


 触ることはできない。サンタも、ヒックに触れない。

 だから貫かれても痛みがなかったのだ。

 重なり合ったまったく別の、二つの世界が、同じ時間を共有し、

 互いが観測し合っている状態だ。


 互いを認識できていても、干渉できないのはそういうことだ。


 サンタからチキには干渉できるのが、納得いかなかったが。


「待てって……! くそ!」


 ヒックは、雪に沈み込んだ足が、強力な拘束力で縛られ、動けなかった。

 バランスを崩し、前から倒れてしまう。顔が雪に埋まった。

 ぷはっ、と顔を上げる。頭に乗っかった雪が冷たく、液体が背中を伝い、体温を一気に奪う。


 ガタガタと寒さで震えながら、ヒックは遠くに見える黒いサンタへ、思い切り叫ぶ。


「返せ! それはチキのものなんだ! チキの……っ、返せよ!」


 ヒックとは思えない乱暴な口調だった。こうなってはなりふり構っていられない。


 しかし、叫んで止まってくれる黒いサンタではない。

 制裁を加える存在。それが黒いサンタクロースなのだから。


 善人の前にはそもそも現れず、悪人を裁くためだけに現れる。

 ヒックには、縁のない人物のはずだったのだが――、


 しかし、どうして現れた? 

 ヒックもチキも、この一年、悪行など、したことはないはずなのだが。


 本人たちに自覚なく、悪いことをしていたとでも言うのだろうか? 

 だとしたら、気づけないのは無理もないが。

 けど――、とヒックは思う。

 自分で言うのもなんだが、人助けばかりの一年だったと思う。


 解明士というまだ一般的には認められていない職業に就いていることから、

 まずは職業自体を世間に認められなければいけない。

 なので必然的に、アピールのため、困っている人を助けることになる。


 悪いことなんて、絶対にしていない。


 もしもしていたとしたら。

 ずっと、ヒックとチキは一緒にいたのだ。

 チキの元にきたのならば、ヒックにだってくるはずだ。

 チキだけにくるというのが、引っかかる。


「……もしかして」


 ヒックの顔が青くなる。

 寒さではなく、自分の最悪な勘違いの、ミスに。


 黒いサンタクロースがその人の一年の成果を見て、

 良い子でなかった時、罰を与えにやってくる。

 実際は罰を与えて、その人の大切なものを奪っていくのだが。


 その成果を見る期間の一年が、


 一月の一日から十二月の二十四日だと、勘違いしていた。

 もしも一月一日からならば、空白の六日が空いてしまう。

 休暇だと言われてしまえばそれまでだが、一年間と言っているのだ。

 そこはきっちり、一年間を評価するだろう。


 だからその人が良い子だったのか悪い子だったのか、判断するための期間は、

 十二月二十五日の朝から、翌年の十二月二十四日の真夜中まで。


 そう考えると、チキの元にやってくるのは、黒いサンタクロースになる。


 あのベールでさえも、片足の機能を奪われたのだ。

 ベールと似たような罪だから、こそ。

 必ず今年、チキの元には黒いサンタクロースがやってくる。


 ……なにが、大丈夫、だ。

 ぜんぜん、大丈夫なんかではなかった。


 もっと早く気づいていれば、チキと一緒に、無理やりにでもこの国から出たと言うのに。


 どれだけベールと共に過ごし、思い出を作りたいとは言え、

 チキをはかりに乗せたら、即答でチキの方が傾くに決まっている。

 少し時間がかかるとは言え、いちど出て、また国に入ればいいのだ。

 ベールとは、何度も会うことができる。


 けれど、奪われたら最後、ずっと不自由な生活を送ることになる。

 ベールのように、杖を持つか、

 広場にいた少女のように、誰かに自分の目の代わりになってもらうか。

 旅人のチキには、圧倒的なハンデになってしまう。


 旅には危険が必ず伴う。

 自然はチキの事情なんか知ったことではないと容赦なく襲ってくる。

 たったひとつの欠陥は、そのまま死に直結する。


 そんなチキと、旅なんてできない。


 チキがなんと言おうと、置いていくしかなくなる。


 だから、それがチキの罰なのだろう。

 そして、ヒックへの罰にもなっている。


 二次災害によって起こる不幸を、黒いサンタクロースは許容している。

 自分の罰によって、他の人も不幸になる。それさえも、罰にして。


(僕の、せいだ)


 勘違い。

 そんなもの誰にでもある。落ち込むことはない。

 そんな慰めの言葉をかけられるほど、結果の重さは軽くない。


 人ひとりの人生を左右するミスを、勘違いによって引き起こしてしまった。

 誰よりも、自分自身がいちばん、許せない。


「僕が、もっとちゃんと考えていれば!」


 僕たちならば大丈夫。

 そんな楽観視が、いまの状況を生んでいる。


 後悔しても、もう遅い。

 黒いサンタクロースには、もう追いつけない距離まで離されてしまった。

 ……追いつけても、触れない。

 こちらの話なんて聞いてくれない。ただの虚像に、こちらの全部が、届かない。


 すると、うしろから、どんっ、がんっ、と鈍い音が聞こえた。

 そのあとに、雪に沈み込んだ音。


 まさか……、と振り向いたヒックの瞳に映ったのは、レモン色の少女だった。


 チキはふらふらとした足取りで、こちらにこようとしている。

 しかし真っ直ぐに進めていない。頭から雪に向かって飛び込んでいた。


 ぐるぐると目を回し、チキは必死にヒックを探す。

 その場でまた倒れる。起き上がるのにも苦労していた。


「ち、チキ……?」


 様子がおかしい。

 チキは、一体、なにを奪われた?


「ヒック……なんだかおかしいぞ。ヒックが空中で、逆さまで座ってる!」


 視界が逆さまになっている、のだろうか? 

 では、まともに真っ直ぐ進めていないのは、なぜなのだろう? 

 チキはその場でごろごろと転がる。雪が冷たくないのだろうか。


「うぅー。気持ち悪い。視界がぐんにゃりと歪んでいるみたいで」


 ぐるぐると何十回転かした後に、真っ直ぐ進めないようなものか?


 気持ち悪いのはそこからきているのだろう。


「…………!」


 ヒックが見つけた。


 チキの中にあった、奪われたそれを。


「平衡感覚……ッ!」

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