第7話 聖なる夜に。
「……泊まっていって、くれるんですね」
実際は、嬉しいのだろう。
けど、黒いサンタクロースの存在が、思いきり喜べない、枷となってしまっている。
「ベールの心配ごとが起こることはないよ。
だって、僕とチキは、なにも悪いことなんてしていないし。
僕たちが、悪人に見える?」
「い、え……ぜんぜん、見えないです」
でしょ、と同意を求めたが、ベールはよろしくない表情を浮かべている。
なにか、引っかかっているのだろう。
「悪いことをしていないと思っていても、判断するのは黒いサンタさんです。
大丈夫と言っていて、
大切なものを奪われた子たちを、わたしはたくさん見ています」
だから心配なんです……、と、ベールは手に力を込めて言った。
悪いことはしていないが、そうではないと判断されたら……、その時は、仕方ない。
向こうの加減で結果が変えられたら、こちらとしてはどうしようもない。
安全のために、国を出る選択肢しか残らないが、ヒックはそれを選択しない。
数日間、ベールとは離れないと決めているのだ。それを破るつもりはなかった。
絶対に黒いサンタクロースがくるという確信がない限りは、
ヒックとチキはこの家に滞在する。出ていくと言って、素直に聞くチキでもないだろうし。
いちばん、この国に滞在したいのはチキだろう。
ベールという友人の存在は、チキの中で大きい方だ。
いくらヒックの言うこととは言え、
サンタクロースがくるという理由だけで、納得するとは思えない。
それを知っているから、ヒックはまともに、チキに交渉をしなかった。
失敗に終わると分かっている。それに、ヒックだって、気持ちは同じだから。
「そんなに心配しなくても大丈夫。
僕たちはこれまで、こういう危機をなんだかんだと、ギリギリで乗り越えてきたんだから」
「ギリギリなんですか」
ふふっ、と笑ったベールと、夜遅くまで話した。
これまでのチキとの旅。
訪れた国。大自然。解明士としての仕事のことなど。
ヒックは無我夢中になって喋って。
ベールはそれに良いリアクションで答えてくれて。
言葉が飛び交う会話が途切れたのは、時計の針が頂点を差す、少し前だ。
話すのに夢中でまったくあと片付けをしていない。
しかし眠いので、明日の朝にしようと、二人はこの場をそのままにし、
眠るために部屋に戻ることにした。
おじいさんは誰も持てないので、その場で放置。
いつの間にか眠っているチキは、ヒックがお姫さま抱っこをして運ぶ。
顔を赤くしていたベールが、羨ましそうに見ていた。
少女からすれば、お姫さま抱っこは憧れなのだろう。
ヒックはひとり部屋。チキとベールは、女子部屋だ。
二人でひとつのベッドを使うらしい。
チキを預けて、ヒックは部屋に移動した。
ここはおじいさんの部屋なのだろう。家具のセンスが渋かった。
ベッドに寝転がる。日付が変われば、サンタクロースが訪れる。
赤か、黒か。
黒がきてもらっては困るのだが。
そう言えば、眠らなければどちらもこないのでは?
そう考えている内に、ヒックの意識は落ちていた。
なんだか暑い。
あと、腕が拘束されている感覚があり、いつもよりも断然早く起きてしまった。
早起きと言うより、これではただ寝ていないだけだ。
日付は既に変わっている。変わったばっかりだった。
すぐにまぶたを下ろしたヒックは、はっとして目を開け、拘束の正体を捉える。
チキが、なぜかヒックの部屋のベッドの上に寝転がっていて、
ヒックの腕を両手で抱きしめていた。
すやすや、と静かな息遣いで、ぐっすりと眠っている。
起こしてはいけない気がする。なので声を出して驚くこともできなかった。
(ベールの部屋で眠っていたんじゃ……?)
意識あるままなのか、ないままなのか分からないが、
寝ぼけてヒックの隣にまできたのだろう。
いつも街の宿だろうが野宿だろうが、ヒックとチキはこういう形で眠っている。
なので、いつの間にか習慣になっていたのか。
眠るとしたらこういう形、とチキの頭の中で固定されてしまっている。
だから意識がなくとも、こうしてヒックの隣にきてしまったのだろう。
嬉しくもあり恥ずかしくもあり、と言ったところだった。
今更だが、女の子と密着して眠るというのは、冷静になって考えてみると、
ものすごい恥ずかしいことだった。冷静になって考えてはダメだ。頭がおかしくなる。
相手はチキだ。なにも変なことはない。
兄妹で同じベッドで寝ているようなものだ。おかしなことはなにもない。
ヒックとチキと同じ年齢の兄妹が、同じベッドで眠るのは、おかしいことかもしれないが。
天井を見つめていたら、どうでも良くなってきた。
野宿の時の方がもっと密着しているはずなのに。
宿や部屋のベッドとなると、恥ずかしさが倍増する。なんとも不思議なものだった。
答えなんて分からない。解明士としては、解明したいところだった。
まぶたを下ろしてもぜんぜん眠れないので、ちょっと考えてみようかな、と、
思考を働かせようとしたところで、ヒックは視界に映るもので、頭がいっぱいになった。
思考は目の前のもの一色に、染め上げられる。
目の前の情報が処理できない。反応できない。
黒い霧の塊が、部屋の中心に集まっていた。
大量の黒い虫が、羽音を立てて群がり、川を作っているような嫌悪感。
ひとつひとつは小さくとも、互いにくっつき合い、それが数万といれば、巨大になる。
星の明りによって、部屋には光が差し込む。
光は密集する黒を照らす。ヒックの目に、きちんと映っている。
異変によって上体を起こしていたヒックは、頬をつまむ。
痛いが、夢から覚めない。どうやらこれは現実のようだ。
なにもできずに動けないヒックは、じっと見つめたまま。
恐怖に支配されているが、なんとか悲鳴を上げずに済んでいるのは、
しがみついてくれているチキのおかげだろう。
もしも部屋にひとりでいて、こんなものが現れたとしたら。
……想像したくない。
(なんなんだ、これ……っ?)
小さな黒の集合体の形が安定した。
地を踏み、歩み寄ってくる。
足から腰、胸から頭、肩から腕。
――人間のように見える。
二足歩行で、ヒックとチキがいるベッドの手前で止まった。
近づいてくるのは、腕だった。開かれたのは、手の平か。
「ひっ」
舌が固まったかのように動きづらい。
唾液がどんどん、口の中に溜まっていく。
溢れ出そうなのに、飲み込めない。緊張状態がこれまでずっと続いている。
近づいてくる手の平のしわが、まさに人間のそれのように現実感を持つ。
質感、体温。説明のできない、これは本物の腕だという確信が、ヒックの中に生まれた。
その手はヒックを無視し、チキの元に近づいていく。
その時ばかりは、硬直が無意識に解けた。
ヒックは両手を広げて、胸を差し出すように相手の前に立ち塞がる。
チキには悪いが、多少、強引に抱擁を解かせてもらった。
ほんの一瞬の出来事だ。
チキに迫る危険だけには、敏感に反応する。
自分に降りかかる危険には、直近にならなければ気づかないというのに。
そんなヒックに構わず、ゆっくりと伸ばされる腕。
太い。肥えた年老いた人間のようだった。
体毛も、薄っすらと浮かび上がる血管も、しっかりと再現されている。
黒い集合体とは思えない。人間としか思えなかった。
だからこそ、ヒックは目の前の光景が信じられなかった。
現実から導き出される結果と事実の食い違いが、不気味さを生む。
「…………は?」
相手の腕が、ヒックの胸の中心を貫いていた。
(つらぬっ……!? で、でも、ぜんぜん痛くない……)
痛覚以外に、そもそもで感覚自体がまったくない。
立体映像に自分が飛び込んだかのような気分だった。
実際に貫かれているのは自分なのに、どこかひとごとのような……。
ヒックは痛みがないことに安堵したものの、目的を忘れていた。
もしも目の前の相手が意思を持っているのならば、
貫いたのはヒック自身ではなく、直前の行動だろう。
チキを庇ったヒックの行動は、これで意味を失くした。
(しまっ――)
と、声には出さず振り向いた時には、
年老いた指先が、チキの額を軽くつついたところだった。
なにが起こったのか、変わったのか、現時点では分からない。
だが、良くないことだというのは分かる。
そして、年老いた人間のような相手の正体も、分かるようになってくる。
さっきまでは、ただの小さいもの同士の集合体だったので、
どうしても近くで見る、モザイクアートのようになってしまっていた。
全体像が掴めず、正体が分からない。
しかし、隙間が埋められ、繋ぎ目がなくなり、馴染んでくると、
はっきりと認識できるようになった。
一枚の絵として完成している。
それは色を赤にすれば、サンタクロースと言える容姿だった。
目の前の老人は黒い。
最悪だ。
チキの元に、黒いサンタクロースがやってきた。
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