第2話 あたたかい部屋のなかで。

 目が覚めた。


 心地よい暖かさだった。

 顔が火照っている。上半身と下半身は、少し汗をかいているくらいだ。


 楕円形の囲いの中にある火の明かりが見えた。

 突然、視界に入ったので、思わず目を瞑ってしまう。


 ゆっくりと目を開けて、状況を確認する。


 赤いレンガの壁。

 鎖状に繋がれた様々な色の紙が、ところどころに飾られている。


 部屋の隅っこには木の置物。

 同じように、様々な色の紙が、今度は鎖状の状態で木に巻き付けられていた。

 白い綿が不規則に乗っかっており、木の登頂には、一つの星が突き刺さっている。


 静かだった。部屋の中には、ヒック一人だけ。


 首から下を包んでいる掛け布団を持ち上げ、起きようとして、背中に痛みが走る。


「――いぎっ!?」


 中途半端に起き上がっていた体が、うしろに倒れる。

 ぼふっ、と後頭部が枕に沈み込んだ。


 どうしてこんなところにいるのだろう……。


 崖から落ちて、どうなったんだっけ? もしかして、死んでいたりして。


 だとしたら、こんなにも心地いいのは納得だった。

 痛みが走ったのは、いただけなかったけど。


 なにもする気が起きず、ぼーっとしていると、がちゃりとドアノブが回った。

 唯一の出入り口の扉が開かれ、誰かが部屋に踏み込んでくる。


「あ、おはようございます。お体の調子はどうですか?」


 チキと同じ、十二歳くらいの少女だった。

 雪のような白髪のショートカット。かつんっ、と音を鳴らして、杖で体重を支えていた。


 ぱっと見ただけなら、健康体に見えるのだが、

 片足だけが、その機能だけを奪われたように、稼働していない。


 少女は杖を使いながらも、日常生活に困ってはいなさそうだった。

 ヒックが慌てて手伝う必要はない。


 部屋に入ってくる少女のうしろから、チキが顔を出した。


「あ、チキ!」

「ヒック、元気か!?」


 それはこっちのセリフ! と言いたかったが、チキが無事なことに安心した。


 少女を追い越し、チキが駆け寄ってくる。

 片手に湯気を立てているコップを握っているのを、忘れているのだろうか?


「わわっ、チキちゃん、コップコップ!」

「お、そうだった!」


 本当にいま気づいた、みたいな反応をしていた。

 慌てて急停止するものだから、白い液体が少しこぼれてしまっている。


 いま、少女が止めていなければ、

 熱々のコップを持ちながら飛び込んできていたのだろうか? 

 一応、怪我人だし、そんな熱々の液体を被せられたら、たまったものではない。


「あ、ありがとう」

「このミルク、おいしいぞ!」


 今のお礼はチキを止めてくれた少女に言ったのだが、

 チキは満足そうな笑顔を作っていた。

 ……ここまで運んでくれたのはチキだし、まあいいか……、

 熱々のミルクを受け取り、一口飲んだ。


 熱々の液体が喉を通り、食道へ落ちる。

 体の芯から温まっていく感覚。

 ふぅ、と息を吐いた。そんな様子を、じっと見られているとなんだか恥ずかしい。


「チキ、どうかしたの?」

「んーん。なんでもないぞ」


 ヒックが横になっているベッドに両肘をついて、

 両手で頬を支えているその状態で、満面の笑みをされたら、

 どうかしたのか聞きたくなるものだと思うが。


 幸せそうな顔だ。

 僕はなにもしていないのだけど。ヒックはちょっと困った顔をする。


 チキはいつもと違う服装だった。

 少女が着ている白い長袖の布服と同じものを着ていた。


 レモン色のツインテールも、いまは解かれており、ストレートになっている。

 それでも前髪はセンターで分けられており、おでこを出しているのは、

 いつもと変わらなかった。


「なんだか、いつもと雰囲気が変わったね。大人っぽい」

「いつもは子供っぽいみたいな言い方だ!」


 そりゃ、子供だし。

 年相応に見えているだけだが。


「前髪を下ろせばもっとよくなると思ったんですけど、

 チキちゃん、そこだけは絶対に譲らなくて」


 おでこだけは褒められたから変えたくないって言って、と少女が言うと、

 チキが顔を真っ赤にして少女の口を塞いでいた。


 そう言えば、綺麗なおでこだと褒めた事があったっけ? とヒックは思い出す。

 もう、かなり前のことだと思うけど。


 ふふっ、と少女が微笑む。

 じゃれ合う二人は、ヒックが寝ている間に仲良くなったのだろう。

 年が近いからこそ、仲良くなるのが早い。ヒックも、年は近いのだが。


 やはり異性というのが、ネックになっているのかもしれない。

 まだ出会って数分としか経っていないが。


「えっと……、僕はヒック。君は……?」


 チキの抱き着き攻撃を一旦、止めて、椅子に腰かける少女。

 杖は、チキが素早く回収して、壁に立てかけていた。

 ……なんて気が利く。僕の時はそれに近いようなこと、ひとつもしてくれないのに。


 そう指摘しようとしたが、それよりも少女の方が早かった。


「わたしはベールと言います。この家のひとり娘です」


 よろしく、と互いにあいさつを交わす。ベールは丁寧な言い方だった。


「ええっと、僕たちは、どうしてここに……?」


 ヒックは恐る恐ると言った感じで聞いた。

 年下だが初対面なので、人見知りが出てしまっていた。

 自己主張が激しいチキとは正反対で、ヒックは気弱なのだ。


 どっちが年上だか、分かったものではない。


 ベールはそんなヒックの様子など気にした様子もなく。


「おじいちゃんが連れ帰ってきたんですよ」


 ヒックさんとチキちゃんを両肩に乗っけて、と少し申し訳なさそうに言う。


 なんて雑な運び方だ、と思う。

 だが、ベールのおじいさんが見つけて、運んでくれなければ、

 あの場でヒックとチキは亡き者になっていたかもしれないのだ。

 文句など言えようもない。


「え、でも……、そのおじいさんは……?」

「いまは街に買い物にいっています。今夜はパーティなんですよ」


 パーティ。もしかして、ベールの誕生日なのだろうか?


「いえいえ。あれ? 知りませんか? クリスマスなんですけど」


 正確に言えば、今日はクリスマスイブですけど、と付け足した。


 馴染みがあまりないヒックとしては、どちらでも構わなかった。


 クリスマス自体は知っている。

 しかし、だからと言ってパーティをするという習慣はなかったので、驚いた。


 チキと旅をしていると日付の感覚なんてなくなってくる。

 日付に変化がなくとも、四季の変化を数多く経験しているヒックにとっては、

 あってもないようなイベントであった。


 なので、ちょっと興味が湧いた。


 クリスマスツリーくらいは見たことがある。


 大きな国へ入れば、ある時期に入ると、よく見るアイテムである。


「そうだ! 良かったら一緒にパーティをしませんか!? 

 おじいさんとふたりきりは、さすがに寂しいですから!」


 一年にいちどの大切なイベント。

 そのパーティに、部外者である僕たちが混ざってもいいのだろうか、と遠慮する。


 しかしベールは、おじいさんとふたりきりでいることに、

 こだわりがあるわけではなかったらしい。

 もしもあれば、誘ってくることはしないだろう。

 一年にいちどのイベントも、大勢の方が楽しめると考えているのだろう。


「もう部外者じゃありませんよ。ふたりとも、友達です」


 その時、チキがベールに抱き着いた。

 友達、という言葉が嬉しかったのだろう。二人はしばらくじゃれ合っていた。


 ヒックは怪我の確認をする。背中がまだ少しだけ、痛む。

 すぐにここから出発することは叶わなそうだ。


 一日……と、少し。しっかりと体を休めるべきだろう。


「そうだね。せっかく誘ってくれたんだし、うん。僕達も参加するよ」


 そう言うと、ベールは満面の笑みで頷いた。

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