ヒック・チッキ:冬の章

渡貫とゐち

冬国

第1話 吹雪のなかで。

 豪雪。

 吹雪。


 目の前が白く塗り潰されている。

 前から激しく吹きつけてくる突風と雪。


 一人の力では、前に進むことも満足にできなかった。


「大丈夫ー!?」


 ごぉっ! と唸る音に、かき消されないように大声で叫ぶ。


 真後ろで背中を押してくれている相棒へ向けたメッセージだ。


 いまも背中を押してくれている力はなくなっていないので、

 倒れているわけではないのだろうが……、返事がないので心配になった。


 足を止め、後ろを振り向こうとする。

 踏みしめた足は、膝より下まで積雪によって埋もれてしまっている。

 振り向くのも一苦労だった。


 少し屈んで、相棒と顔を合わせる。

 マフラーで顔のほとんどを覆っているとは言え、

 それで寒さを全て遮断できるわけではない。

 まったく同じマフラーをしているので、寒いのは身に染みて分かっている。


「チキ、大丈夫!?」

「おう、ぜんぜん大丈夫だぞ!」


 元気に両手を挙げてアピールしていた。

 ちらりとマフラーの隙間から見えた相棒の顔は、寒さのせいで真っ赤だった。


 ずれたマフラーを整える。くすぐったそうに、チキは微笑み、目を瞑る。


 その時、吹雪が突然、強まった。

 背中を押されて、前のめりに倒れてしまう。

 結果、チキの真上から覆いかぶさってしまった。


 下が雪だったので、それがクッションとなり、怪我はなかった。


 はあ、と一息ついて安心していると、


「おい」


 と、チキの乱暴な言葉遣い。


「ヒック、重いぞ」


 うわぁごめんごめん! と慌てて立ち上がろうと手をつく。

 ずぼっ、と手が肘の部分まで埋まってしまった。

 全体重はかかっていないが、チキの体に密着してしまう。


「ヒック……」

「違うよ!? わざとじゃないからね!?」


 位置的に、チキの胸の部分に顔を埋めてしまっている形だが、

 しかしお世辞にも、チキの胸は大きいとは言えない。

 まな板とは言えないが、それに近い。


 彼女の年齢を考えれば、妥当だとも言えるのだが。


「いいから早く起きて。背中から雪が染みてきて冷たい」


 冷静に訴えているが、この吹雪の中、服の中に雪が侵入してくるのは地獄だ。


 唯一の絶対的な安全地帯が侵されているのだ。

 内側から体温を奪われたら、すがるものがなくなってしまう。


 細心の注意を払って、ヒックはゆっくりと起き上がる。

 そして手を伸ばし、チキの手を取った。


 積雪はチキの体の形で凹んでいた。

 チキひとりが埋もれてしまうほどの深さだった。


 弱まる気配のない吹雪を考えると、積雪はさらにかさを増していくだろう。

 立ったまま埋もれてしまうほど、積もる可能性だってないとは言えない。


「ヒック、寒い」


 いちど侵入を許したら、次から次へと侵入してくる。

 チキの服の内側に、冷気がどんどん溜まっていく。


 チキの顔色が悪くなっていく。見ていて、衰弱していくのが分かった。


 もって、数十分くらいか。

 それ以上は、いつ命を落としてもおかしくはない。


「チキ、もう少しがんばって! あと少しで、国が見えてくるから!」


 チキは頷く。


 ヒックの腕をがしっと掴んできた。

 抱きしめるように、ぎゅっと力を強める。

 これが弱くなってきたら、危険信号が赤になったと見るべきだ。


「……離しちゃダメだよ」


 そう言い聞かせて、ヒックは足を進める。


 チキのあと押しがなくなり、しかもチキを引っ張っている状態だ。

 まったく、前に進まない。文字通りの、亀の歩みだった。


 チキには悪いが、正直、近くにある国は、まだまだ先だった。


 数十分以内にたどり着けるとは思えない。この視界の悪い吹雪の中だ。

 もしも吹雪がなかったとしても、予想として、小一時間はかかるのだ。

 この吹雪の中、向かえば、さらに時間がかかる。


 もう少し、と何度も何度もチキに言い聞かせて、騙すしかない。


 苦しいと思う。つらいと思う。でも、がんばってほしい。


 挫けそうになることが何度もあるだろう。

 その度に、隣にいて、励ますから。


 チキを守れるのは、僕だけだ。


 ヒックは力強く大地を踏みしめる。

 力の行き場が――空間だった。


 積雪を貫き、ヒックの足は空中に投げ出されている。

 大地に積まれた雪ではなかった? 崖からはみ出した雪を、踏んでしまった?


 その時だけ吹雪の風が弱まっていた。

 まるで図っていたかのような意思を感じる。

 向かい風がなくなり、ヒックの体が前に進むのに、なんの障害もなかった。


 支えるものはなにもない。咄嗟になにかを掴もうとしても、そのなにかがない。


 空を切る。手は、鳥の真似をしているだけだった。


「チキ、ごめん!」


 崖から落ちる。察したヒックは咄嗟にチキを抱きしめた。


 できるだけ丸まり、ふたり一緒に。


「……あったかい」


 崖から落下する瞬間、チキのそんな呟きが聞こえた。


 そんな呟きも、次のヒックの悲鳴によって、かき消される事になった。

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