第2話 旅立ち

 そこには異国の景色が広がっていた。


 もうもうと蒸気を立ち昇らせる汽車、レンガ造りの橋脚、旅行鞄を引き行き交う人々……。

 ぼくは、この場所にはっきりと見覚えがあった。


「ここが【ウィザアカ】の世界なのは、間違いないみたいだけど……」


 ウィザード・アカデミア。通称、ウィザアカ。

 世界的ベストセラー小説が原作の、超大作大人気ファンタジーだ。


 魔術学園を舞台に、主人公のロイドが魔術師として成長し、やがて世界を救う偉大な英雄となるまでを描いた作品である。原作小説は世界200ヵ国以上で翻訳、出版され、映画シリーズは興行成績は歴代一位を記録している。

 日本でも漫画化、アニメ化、ゲーム化など多岐に渡ってメディアミックスが展開され、さらには作品をテーマにしたレジャーランドが建設されるなど、大人から子供まで幅広く楽しめる大人気作品として不動の人気と知名度を誇っている。


 ここは物語のオープニングで登場するセント・クロス駅。

 主人公のロイド・アーサーは、ここから汽車に乗り彼の地にある魔術学園へと旅立つ。

 ちなみにネタバレになるが、平凡な出自であるロイドは実は偉大な魔術師の子孫であり、やがて秘めたる特別な才能を開花させ、世界の危機に立ち向かうことになる。


「ひょっとして、ぼくが物語の主人公に……!? すごい……!」


 ……と、つい数分前までのぼくはすっかり興奮していた。

 憧れの世界に、憧れの主人公として存在しているなんて、これほどワクワクすることはない。

 だったのだが……。


「――、ぼーっとしてどうかしたの?」


 ぼくの隣に、こちらを不思議に覗き込むご婦人がいた。

 彼女が口にしたその名前に首をかしげる。


「おね……ちゃま?」


 ご婦人は明らかにぼくの方を見て言っている。

 いったいどういう意味だろうか。

 主人公は「オネちゃま」なんてそんな呼ばれ方をしたことはないはず。


 途端、全身から血の気が引くような悪寒を覚えた。


「きゃっ。ど、どうしたの、オネちゃま?」


 ぼくは弾かれたように周囲を見渡した。

 ひたすら鏡を探して走り回り、ようやく列車の客室の窓に映る自分の姿を見て、ぼくが誰であるかを知ったのだった。


 オネス・リバーボーン。


 超が何個も付くほどの大富豪の貴族の御曹司。

 そしてその反面、魔術の才能には恵まれず、大事な場面で活躍することはほぼない。


 成金の脇役キャラ――それがオネス。

 というか、いまのぼくだった。


「オネちゃま、さっきから様子がヘンよ。大丈夫? ママのことがわかる?」


 ぼくの目の前にいたのは、エレガントな日傘を差したご婦人。

 髪型は(我ながら)オネスにそっくりで、さらに縦ロールまで付いている。


 オネスの母親――確かザマスという名前だった。


 よく見ると、姉と見間違うほど若々しい美貌の持ち主だ。

 原作では非常に過保護な性格で、息子であるオネスを溺愛している。


「な、なんでもないよ、ママ」


「ならいいけど……あっ、それよりそろそろ出発の時間よ。鞄重いでしょうから、使用人たちに列車のなかまで運ばせる?」


「い、いいよ自分で持つから! じゃ、じゃあ……行ってきます」


「あ、待ってオネちゃま」


 ザマスは僕の手を取ると、ぎゅっと握りしめてウインクした。


「お小遣い、不自由しないようにたくさん入れておいたからね♪」


「あ、ありがとう……」


 さすが金持ちキャラのオネス。

 ぼくが旅行鞄を手に汽車に乗り込むと、やがて巨大な車体がゆっくりと動き出した。


 客室から外を覗くと、目を潤わせたザマスが大きく手を振っていた。

 本来はオネスも泣いたのかもしれないが、いまのぼくは感動できる心情ではない。


「オネちゃま~~~。いってらっしゃあ~~~い」


「はぁ……」


 ぼくは母親に見送られながら、セント・クロス駅を出発した。

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