妖怪会社の事務員さん
荒城美鉾
蜘蛛女郎の雲井さん
その朝、パソコン画面のウィジェットが知らせた星占いの結果、おうし座の運勢は12星座中12位だった。
ラッキーアイテムは「ネイル」、『あなたを助けてくれるかも!』だそうだ。
うちの会社は、ジェルネイルや付け爪といった華やかなネイルを禁じているわけではない。
ただ私は営業部付き経理事務チームの一員として働いているので、電卓を叩いたり、手書きで何かを書くことも多い。
作業のときに気になる厚い爪が慣れなくて、ジェルネイルをするのを避けているのだ。ろくに磨いてすらいない自分の爪をデスクで眺めた私は、ため息をついた。
ジェルネイルをしていない自分は友人の間でも少数派だ。そのつもりがなくても、「自分磨きが足りない」と思われてしまうのではないか、と肩身が狭くなる。ジェルネイルなんてつい数年前までなかったはずのものが、いつの間にか常識になる。それは、数の力だ。
「おはよう……」
蚊の鳴くような声がしたので振り返ると、同じく経理事務の菊さんだった。
今日も髪がしっとりと濡れている。……それだけでもう怖いんですけど。
「月末締めの請求書、全部届いたかしらね……1枚、2枚、3枚……あら、1枚足りない……」
私は悪いとは思いつつ、背中の皮膚が粟立つのを感じた。いや、悪くないのかもしれない。それが彼女たちの「本領」なのだから。
「おはようございます。田中工業さんからの請求書が今日届くと思います。メールは先にもらってたので、今PDF、印刷しますね」
「社長に決済もらわないといけない書類がたまってるわね……」
「社長、今日はどこでお茶飲んでるんですかね」
私たちの小さなデスクの島、その端に座った阿波課長が汗をふきながらつぶやいた。疲れているのか、うっすらクマが目の周りに浮いている。
「課長、変化、とけかかってますよ。タヌキ感出てますよ」
「ああ、まずいまずい」
そんな私が勤めているのは、とある美容化粧品・雑貨企画会社、you-快株式会社。
その社員の約半数は、実は妖怪なのである。
とある国のとある地方都市N県では、実は妖怪が人間と同じように暮らしている。
人々の恐れを糧として生きてきた妖怪達だが、文明が発達すればするほど人々は妖怪を恐れることが少なくなり、その糧はついに不足するにいたった。
そこで妖怪達は、経済活動にてその糧を得ることにしたのだ。手始めに妖怪たちはN県にて人権ならぬ妖怪権を獲得、そこで生活するに至っている。N県に来た人──例えば私のような──はとても驚くが、そこでは妖怪たちが、人間と同じように働き、学校に通い、生活している。
そう。妖怪に仕事も学校もなかったのは、今は昔の話なのである。
それは昼休み15分前のことだった。私の座る経理事務チームの島に一直線に向かってくるヒールの足音。
誰かと思う間もなく、その主は私のデスクに大きな音を立てて手をついた。手をついたまま腕を組み、腕を組んだまま私に書類を突き出した。
スラリとした美しい手が6本。企画課の蜘蛛女郎の雲井さんだった。
「ちょっと! なんでこの経費、差し戻しなのよ!」
「えっ?」
「ネイルは新製品のリサーチでしょ? ベンチマークのライバル社品なのよ? なんか文句あるの!」
私は何がなんだか分からず、書類に目を落とした。書類に添えられた右手(?)の爪には、ストーンの入った綺麗なジェルネイルがほどこされていた。書類を否決したのは確かに私だった。
「え、ええっと……あの、ネイル自体は経費として落ちるんですが、あの、雲井さん、腕6本全部のネイル代を経費計上してますよね…? そ、それがちょっと、その……に、2本でお願いしたいということになりまして」
「はぁ!? アタシの手は6本あるのよ! なんでそれを2本にしなくちゃいけないの? そんなの……」
「やあやあやあ……」
「阿波課長」
「悪いねぇ、なかなかいろんなルールが整ってなくて……確かにこれ、もうちょっと熟考すべきだった。組合長と社長と話し合うから、とりあえず今は引いてくれないかな?」
「……どうなったか連絡くださいね!」
「わかったわかった」
息を付きながら阿波課長が座った。またクマが黒くなっている。
「す、すみません……」
去っていく雲井さんを私は固まったまま見送った。
どうして私が怒られなくちゃなんないんだ…。
「ごめんねぇ、うちのルールがしっかりしてないのが悪いかも。ちょっと社長と相談してくるわ」
「こ、怖かった……」
「あの人、根は悪い人じゃないんだけど〜、キツいとこあるのよね〜……」
「うわっ、菊さん、すみません、いきなり耳元で話すのやめてください」
風がこすれるような声で「ついくせで」、と笑うと、菊さんは続けた。
「雲井さん、私同期なのよ〜。けっこうカラオケとかいくとはじけるタイプでかわいいわよ〜!」
意外だった。そういうタイプなのか。良くも悪くも、盛り上げ上手なのだろう。
「マイクとリモコンとフードメニューを離さないけどね〜」
けっこうめんどくさいタイプか。
定時をとうに過ぎて、私はエレベーターホールに立った。下りは階段を使いましょう、が社内の推奨ルールなのだが、これだけ疲れていたら誰も文句は言うまい。誰にも見られてないし。
「あら」
見られてたわ。
「雲井さん……ど、どうぞ」
「あなたも乗るんでしょ?」
「あ、いや、社内の推奨ルール……」
「階段使えってやつ? こんな遅いのにもうそんなのどうだっていいわよ。使ってやりなさいよ。ほら、どうぞ」
「は、はい……」
ボタンを押すネイルがちらりと光った。ネイルが私を助けてくれるなんて、嘘ばっかり。
沈黙の中、エレベーターのモーター音が気に触る。雲井さんがふいに口を開いた。
「あなたはネイル、しないの?」
「あ、ええ、やったこともあるんですけど……どうしても事務仕事の時に気になっちゃって……向いてないと思ってやめました」
「ああ、なるほどね。まあ美容って我慢と隣り合わせだもんね」
ぐっ、と言葉につまった。雲井さんには何のつもりもない言葉が、自分に勝手に刺さる。
「……友達はみんなやってるから、なんとなくやってない自分は肩身が狭いんですよね」
「ふーん」
再びの沈黙。エレベーターは1階に着いた。ドアから出ながら、雲井さんは言う。
「少ない方は肩身が狭い、ね」
「え?」
「一緒でしょ?」
営業時間外のエントランスは照明が1段階落とされていて、薄暗い。
「腕二本しか駄目なんて、あんたたちのルールに過ぎないでしょ。あんた達は数が多いのよ」
「えっ?」
「妖怪じゃない、普通の人たちは数が多いの。それだけで強いのよ。だからアタシたちは、自分で自分を守るしかないのよ」
小さな声で静かにそう言うと、雲井さんは出ていった。
私は思わず追いかけていた。
「あの、今日は、すみませんでした! ルールしか考えてなくって……私の仕事は、なんていうか、あの、もっと……!」
雲井さんはもうエントランスの階段を降りかけていた。慌てて隣に並ぼうとする。
その時、慌てた私はヒールで段差を踏みそこね、バランスを崩した。
「危ない!」
はっ。と脳が強く揺れた。私は雲井さんに両手で抱き止められていた。雲井さんは私を抱き止め、手すりを掴んでいた。もちろんバッグはしっかり持ったまま。
雲井さんの6本の手は、月明かりの下、怪しくも美しく光っていた。それこそ、爪の先まで。闇に光る目。
──食われるかと。
「ぼんやりしてんじゃないわよ! 転ぶんならヒールなんか履きなさんな!」
「す、すみません……」
「あー、びっくりした……」
雲井さんは私を立たせる。
「ほんとですね……」
「は?」
「数が多いって、腕が多いって……それだけでめちゃめちゃ強いですねぇ……」
「はっ、バカねぇ!」
力が抜けてしまった私がたよりなく笑うと、雲井さんは快活に笑った。
「融通効かせないのもあんたの仕事なんでしょ?」
「まぁ、そうですよね」
「じゃあぶつかるしかないじゃない!」
「えええ……」
「じゃ。また明日。コケないように気をつけて帰んなさいよ!」
「阿波課長! あの件どうなったの!?」
「えっ!? あっ、ご、ごめん……まだ社長が捕まらなくて…」
雲井さんの剣幕に、阿波課長はまた変化が解けそうだ。
「早くしてよね! 締め日になっちゃうでしょ! 翌月回しは勘弁してよ!」
私は聞こえないふりをして、パソコンに向かう。
「ちょっと!」
鋭い声にぎょっとして、心臓がはねた。
「えっ」
雲井さんは私に何かを差し出した。
「これ……ネイルサロンのクーポンですか……?」
「マニキュアならいいでしょ? ──ちゃんと私の紹介だって言うのよ!」
そう言ってニヤリと笑うと、雲井さんは部屋から出ていった。
「妙に親切ね、あの子。……あ、このせいかしら」
菊さんがスマホを見ながら言う。
「え?」
「ほら、朝のテレビの占いの結果がSNSで見られるの。蠍座の今日の運勢は『後輩に親切にして◎』だって」
「占い……」
「あ、おうし座だったよね? おうし座は……えーっと、『トラブルに注意』だって」
私は盛大にため息をつくことにした。
妖怪会社の事務員さん 荒城美鉾 @m_aragi
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