第春章 花鳥②
「花江、俺はお前のことを気に入っていたよ」
「過去形ですか?」
「そうだ。俺は、お前との居心地の良い距離感を大事に思っていた。でも、それは逃げなんだってことが、とある知人から教わったよ」
鳥羽の手に力がこもる。
「旅立つには丁度いい季節だな。俺は、今日…そこから卒業する」
一歩前に距離をつめて鳥羽は、花江に決別の言葉を告げる。
「一歩前に出て、お前と一緒に歩きたい」
鳥羽の告白を受け入れるかどうかは、花江の回答次第だ。だが、どちらの方向に転んだとしても、同じ関係には二度と戻れない。
じっと見返してくる無言の花江に鳥羽は唾をごくりと飲む。
今までのポーカーフェイスがみるみるうちに崩れて、素の自分が現れ始める。
良い先輩・頭脳明晰な先輩・大人な先輩…周りの後輩たちは、鳥羽のことをそう呼んでいた。
しかし、今の鳥羽は『ただの男』として花江の前に立っていた。
告白一つで足が震え、心臓の音がばくばくと聞こえる。
恐怖と緊張感の合間に立たされていたのだ。
この緊迫感に耐えられなくなった鳥羽は、ほんの数秒の沈黙を自らの手で壊した。
「なんてね。冗談だ。聞き流してくれ」
つまりは逃げたのだ。
答えを聞く勇気もなく、この状況に置かれる自分を羞恥に思い…彼は冗談と言い切った。
声が上ずったのを無視して、鳥羽は頬をかく。
「先輩は旅立てませんよ」
しかし、いつだって花江は残酷だった。
くるりと体を反転させた鳥羽の背後から、忘れ去ろうとした会話を思い出させるのだから。
「だって、わたしたちは理解しあえない。パズルのピースみたいに、がっちりかみ合いません」
背後にいる花江の顔は見えない。
あの淡白な彼女が一体どんな表情をしているのだろうか。人に告白されたということを理解していたのか。
彼女は鳥羽のことを…どう思っていたのか?
様々な考えが彼の脳内を交差させるが、花江の回答に鳥羽は全てを納得させられた。
「フられたのか?」
「先輩にそんな気持ちはなかったでしょ?」
「さすが我が校の頭脳明晰。言うことが違うね」
「頭が良くてすいません」
「俺は…意味のある会話だった、と俺は思うよ」
そして、鳥羽は平常心を装いながら、泰然としていた。
手をパンと叩き、今までの重たい空気を一掃させる。しかし、彼の背中はどこか寂しげで、落胆しているようにも見えた。
「真に受けないでくれて助かった。じゃあ、つまらない冗談を言ったお詫びとして、俺のアドバイスを受け取ってくれ」
「面白い冗談でしたよ?」
「先輩を立たせるのがうまいな」
振り向いた時の鳥羽の表情は、清爽としていた。いつもと同じように目を細めながら、机の上に腰を下ろした。
「そろそろ…風間とのじゃれあいも終わりの時間だな…。俺も一歩進むことができたんだ。お前も一歩前に進め」
「わたしは先輩になにかしましたっけ?」
「ああ、したさ。俺の歴史に残る偉大なことを成し遂げたよ」
「記憶にありませんね」
「残らなくていい」
鳥羽が自尊心を傷つけてまで一世一代の告白をしたというのに、花江はすでに記憶から消していた。
いつも通りの関係でいられるのなら、その方が鳥羽としては助かった。
月島の言葉に揺らいでしまったが、結局、言っても言わなくても関係は変わらないようだ。
鳥羽は安堵の息をもらす。
「で…わたしに何をしろと?」
「簡単さ。風間を呼べばいい」
「は?」
「お前は頭脳明晰と言った割に察しが悪いな。来い」
鳥羽は教室に籠る花江の手を引き、駆け足で美術部の部室に向かう。
「なんですか?急に…」
「お前に教えてやるというんだ。優しさだ」
「悪かったですね。わたしは、曖昧な言い方をされるよりどストレートの方が、理解しやすいんですよ」
「なるほど…俺ももう少し励めば良かっただけ…か」
春を乗せた強風が、花江の耳にごぅっと鳴る。
「………何か言いました?」
「いや…風が強いなと思っただけだ」
「ああ、嵐みたいな風が来ましたもんね」
「良い嵐だったな…」
「そうでしたか?」
「そうだったよ」
花も団子も 贅沢に こいち @Coichi0125
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