第冬章 月鳥②
しばらくカメラのレンズ越しから、窓の外を映し出していた鳥羽だったが、なにを思ったのか、急にスマートフォンを手に取る。
慣れた手つき操作をし、コール音を確かめる。
一回、二回、三回、四回、五回…
電話の向こう側の相手になかなか通じない。
それでも鳥羽は構うことなく、目を瞑って気長に相手の声を待つ。
数回、呼び鈴が鳴ったところで、『もしもし、どなたですかー?』と、熟年主婦の声が聞こえて来る。
それに対し、鳥羽は「おっと」と驚き、かけた相手の名前を画面で確認する。
「うん…ふっ…」
間違っていないことを確かめると、聞こえて来る騒々しい会話に笑いをこらえる。
しばらくすると、電話越しの相手は不機嫌そうな声で話し始めるのだった。
『どうしました?』
「久しぶりだね、花江」
電話の相手は、鳥羽の『お気に入り』である花江だった。
彼女は、スマートフォンの画面に『鳥羽』の名前が光り始めた瞬間、見て見ぬ振りを決めていた。
しかし、場所と時間が悪かったのだ。
リビングで…しかも、母親が掃除をし始めたばかりの時…大声で鳴り始めた携帯を勝手に母親が取ってしまうのだ。
『失礼しました。母親が勝手に携帯を取ってしまって…騒々しかったですよね』
花江は母親から離れ、自室に戻りながら会話を続ける。
「いや、面白かったよ。お前、取る気がなかっただろ?」
『ありましたよ。冬休み後くらいに』
「取る気がなかったんだ」
『だって、正直、先輩とお休み中にまで話すことはありませんから』
「ひどいな」
鳥羽は「くくく…」と笑いながら、何の意味もない会話を楽しむ。
『元・生徒会長先輩、何かありましたね』
「ああ、そうだ。俺は元・生徒会長だよ…。で、どうして、そう思うんだい?」
秋が終わったくらいか。
文化祭を最後に鳥羽は、生徒会長の座を次の生徒に譲った。
花江たちの高校は特殊で、生徒会長は次期生徒会長と共に文化祭に参加する。
準備の多い文化祭を一度経験してしまえば、来年も楽だろうという計画だ。
文化祭を大いに盛り上がった最後に就任式を行い、幕を閉じる。
それが例年の文化祭の流れだ。
『先輩がわたしに話しかける時なんて、大抵何かある時ですよ』
「何かないと話してはいけないのか?」
『いえ…そういうわけではないのですけれど、先輩がわたしに話しかける時は気を紛らわしたい時です』
「自信たっぷりに言うんだね」
『まあ…長年の付き合いで分かるんですよ』
「2年と少しくらいだったと記憶しているよ」
『頭がよろしいことで』
「でも…まあ、それを知っていても、お前は何があったか聞かないんだな」
少し寂しそうに鳥羽は、花江に問う。
しかし、電話の向こうの花江はとことん淡白な人間で、冷静に先輩に対して臆することはなかった。
相手が生徒会長であれ、校内の権力者であれ、部長であれ、彼女の前では皆等しく人間なのだ。
『興味ないですから』
彼女はそう告げた。
キッパリと鳥羽と花江の距離の間に真っ直ぐな線を引いた。お互いのことは干渉しない境界線。
これが彼女が作った自己防衛策だった。
「俺もそれが気に入っている」
一方の鳥羽も、彼女の境界線を気に入っている。
深く踏み込まないが、居心地の良い関係だった。
「お前のそういうところは、好きだよ」
『勉強のしすぎで頭がいかれちゃいましたか?気色悪い。風間くんじゃないんですから…セクハラで訴えても文句言わないでくださいよ。女性に対して、しかも、一つ下の可愛い後輩に対して…そんな言葉を投げかけたら、好きになってしまいます』
「お前は俺を好きにならない」
『先輩もわたしのことを好きにならないですよね』
「ああ。気に入ってはいるよ」
『非常に先輩らしい答えです』
しばしのくだらない言い合いを終わらせると、鳥羽は一呼吸置いて、独り言のようにつぶやき始めた。
「俺はね、花江。見ている側でいたいんだよ」
『それは以前…わたしが「目の前にある美味しそうな団子とキレイな桜だったら、どちらをとりますか?」と言う問いのことですか?』
「花江はよく覚えているね」
『頭良いですから、わたし』
「奇遇だね。俺もだよ」
『そんな奇遇、死んでもお断りします』
鳥羽は机の上に広げられた大学入試の試験問題やパンフレットなどに目を通しながら、ページをかさかさと揺らした。
「俺は、団子や花よりも、それを楽しむ人、かな」
『そう言っていましたね。ミスターパターンC。枠の中に収まらない男』
「俺は皆が楽しんでいる横にいたい。渦中に身を投じたくはないんだ」
『でも、先輩は随分人と関わっているように見えますが…。生徒会長然り、部長然り、学級委員長然り、学年一位然り…』
「それは自分の努力の結果だ」
『一見、先導を切っているように見えますが、先輩はいつも一歩後ろで見ていますよね』
花江に言い当てられた鳥羽は、しばし無言になる。
自分では理解しているものの、他人から言われれば気恥ずかしい気持ちが勝る。人から距離をあえて取ることは好きだ。
冷静になれる自分と、客観的に状況を判断する能力が育てられた。
しかし、一歩後ろで人を見ている自分を想像すると、中学2年生にかかる病気を思い、背中が急に熱くなった。
『先輩は風間くんをあえて写真部に入れずに試練を与えた。それを少々楽しんでいましたよね。わたしの反応もこみこみで。グッドプライスになるとお思いでしたか?』
「化学反応は起きただろ?」
『良い意味の化学反応が起こせたと思います。わたしは現在、その化学反応を起こした後遺症で、一人でいることが寂しくなりました。こんなに広かったんだなぁ…って思い知らされました。あと、日が暮れると石膏像が怖いです。人がいるはずないのに、視線を感じちゃって、振り返っちゃうことが結構あります』
「もうデッサンをすることはないだろうから、廃棄してもいいんじゃないか?」
『もったいないですよ』
「………」
『先輩にとって、わたしたちって石膏像ですよね?わたしたちは先輩の前で一定のポーズをしているだけのモデル。先輩はそれを見ているんですね。デッサンするわけでもなく、ただ見ているだけ。観察されて、監視されて、たまに実験されて』
「………」
羞恥心と共に、鳥羽は自身に対して嫌悪感を覚えた。
人と関わらないで、一歩後ろから見ているということは…最低な人間だ、ということを気付かされた。
『先輩はわたしたちがどう転がるか、見ていたんじゃないですか?この場をお借りして、今、先輩に抗議します。楽しかったですか?』
「…い、いや…。すまない。まさか、自分から電話しておいて、こんなに批判されるとは思っていなかった」
『思わず言葉を失っていましたか。まあ、いいでしょう。わたしの思いの丈をぶつける良い機会です』
言葉のイントネーションから、花江が怒っているのかどうかは理解できなかった。
「一歩後ろで見ている…というのは…そうだな。俺は人の反応を見て、楽しんでいたかっただけなのかもしれない」
『でしょうね。先輩はそういう人です。春のお花見に団子を食べる人や酒を楽しむ人、会話を楽しむ人、花を見て楽しむ人…たくさんいると思います。でも、想像してみても、先輩はどの部類にも入れないとわたしは思うんです』
少し軽やかになった花江の声が電話越しから聞こえてきた。
やはり機嫌が悪かったようだ。
無表情で淡々と続く彼女の声は、あまり感情を匂わせない。
『いいんじゃないですか?一人ぐらい、その様子を眺めて楽しむ人がいたって…それも、風流だと思いますよ』
「お前の口から風流が語られるとは、驚いたよ」
『バカにしないでください。今、良いことを言っているんですから』
「確かに…良いことを言ってくれる」
鳥羽は柄にもなく嬉しそうに笑った。
しかし、感情を読み取るのが苦手な花江は、きっと気づかないだろう。
人の感情も、自分の感情にも気づかないほどの鈍感だ。
風間が不在の部室を「寂しい」の一言で、写真部から呼び戻そうとしているくらいなのだから。
鳥羽が今、どういう気持ちなのかも、彼女には伝わらないだろう。
だが、花江は鳥羽の欲しかった言葉を一つ一つ汲み取り、言葉にする。
無意識なのだろうが、その言葉はピンポイントで鳥羽の胸に当たり、鳥羽の心を落ち着かせてくれるのだった。
『遠くから…一歩離れて見ている先輩だからこそ、生徒一人一人を見つめて、自分一人でも解決できるように導いてくれます。先輩は…そんな先輩でいいんじゃないですか?』
「そう評価してもらえて嬉しいよ」
『どっかのかまってちゃんのうっとおしい犬より、猫みたいにとっつきにくい方が扱いやすくて助かります』
「それは誰と誰を比べているんだい?」
『察してください』
「なるほど。うっとおしいと言っているわりには、寂しいなんて口にするんだな。うっとおしいじゃなく、恋しいの間違いじゃないのか?」
『切ります』
「ああ、そうだね。そろそろ、そんな時間だ。じゃあな」
二人の会話は唐突に終わった。名残惜しそうな顔を見せずに、鳥羽はポチりと「切」ボタンを押す。
不機嫌になった花江を構うほどの心は持っていない。
それが鳥羽という男だった。
近すぎず、遠すぎず、あいまいな距離を鳥羽は好む。
「さて…花江と話して気が晴れたな。この調子で見合いに向かうか…」
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