第秋章 風月③

段々と同じ制服を着た生徒たちの数が増えてくる。

あともう10分もすれば学校にたどり着くだろうか。


「でも、結果的に良い方向に向かうのじゃないかしら?」


「どこが…」


「だって、未来ちゃんは秀ちゃんを呼び戻したいのでしょ。秀ちゃんは未来ちゃんの元に戻りたい。いつか鳥羽先輩もそれを理解して、秀ちゃんのことを送り出してくれると思うわ」


「そうだと嬉しいね」


美男美女が朝から仲良く登校する姿は慣れないのか、周りからチラチラと横目で見られながら歩く。

二人とも視線には敏感だ。

注目されていることには気付いている。

気付いている…と同時に慣れている。

だから、お構いなしで自分たちの悩みを打ち明けるのだ。


「俺もあがいてみてるよ…この前なんて…」


風間はため息交じりにこの前起きた出来事を話し始める。

少し憂鬱な気分になるが、もしかしたら月島にアドバイスをもらえるのかもしれない。

いや…もしくは、ただ単に自分が話したいだけなのかもしれない。

話すことによって、少しでも自分の中の鬱憤が晴れるといい…と思いながら…


「せんぱーい!」


「久しぶりですね、風間くん。どうしましたか?」


写真部の方が終わった時間。

風間はウキウキと足をスキップさせながら、花江のいる美術室に顔を出す。


「この前、姉ちゃんに聞いたけど、先輩って俺の家の近くに住んでるんですってね」


「ええ…情報漏洩が凄まじく怖いですけど、それがどうかしましたか?」


「一緒に帰りましょ!」


いきなりの提案に驚いたのか、花江は一瞬動きを止める。

感情を表に出すことなく、だが、確実に驚いているようだった。

しばらくの空白の間の後に、花江は口を開く。


「…………しばらく静かにできると思ったのに…。きみ、カメラの方に専念するんじゃなかったですか?」


「俺、あれからいろいろ考えたんだよね。先輩に会いたいけど、先輩は部活に専念しろーって言うし…。でもさ、授業中にカメラ小僧にはなれないじゃん。四六時中考えられるわけないじゃん!ってことはだよ!部活の外では、普通に先輩に接して良いんじゃないかって考えたわけ!」


「は、はあ…すごい理論ですね…」


「部活が終わってるなら、なにしに来ても良いでしょ?だって、それは俺の自由時間だもん。先輩はこれから、片付け?俺も手伝うっす〜」


「それは嬉しいですけれど…これはきみの仕事じゃないですよ?」


「知ってるって。これは俺の自由時間。趣味みたいなもの。先輩に仕える趣味だと思って!」


「き、気色わるっ…」


「キモいとか言わんでよ〜。ただの自己満の俺の好意だから。それに、元・美術部員の俺なら取り扱いも知っているし、一人より二人の方が早いでしょ」


「きみの言っていることは間違ってはいませんが…」


「いいじゃん!いいじゃん!堅いこと言わないで。難しいこと考えんで!」


「…じゃあ、お手伝いお願いしますね」


ちょうど汚くなった筆を洗っていたところだった。

水道の蛇口をひねり、水がじゃーっと溢れ出す。


「もちろん!先輩が言ったことなら、なんでもやるっす!」


「じゃあ、手始めに、そのよく動く口を閉じてください」


「え〜俺のアイデンティティー!これなしじゃ、先輩のこと口説けない!」


「残念でしたね」


全く本気にしていない素振りだった。

先ほどのように驚きもせず、淡々と筆とパレットを水ですすぐ。


「…俺、乾かすね」


「はい、お願いします」


「本当は俺が洗いたかったんすよ。ほら、女の子の手って荒れやすいじゃないですか。だから、出来るだけ先輩の白魚のような手を真っ赤にしたくなかったんす。最近はめっぽう寒くなってきましたし…」


「はあ…」


「『はあ…』って先輩!自分の体のことなんですから、ちゃんと気を使ってください。あとで俺のハンドクリーム貸してあげるんで」


「え…あ、はい…」


「………」


「………」


風間は綺麗に洗われた筆を受け取ると、キッチンペーパーに水滴を吸い込ませる。

その間、じゃあ花江に何をしてあげられるだろうか…と頭の中で考え始める。

自分のことにこうも無頓着だと先が思いやられるなぁ、なんて、他人事のはずだが自分のことのように花江のことを想っていた。


「………」


「………」


水の流れる音だけが、美術室に響いていた。

「こほん」と花江は小さな咳払いをした。

風間はハッとする。

いつもなら一人の顧客からのクレームが鳴り止まない風間商事だが、お客様を長らく待たせるのもダメらしい。

考え事に夢中になりすぎだ。


「……そういえば…帰ると言っても宵は一緒じゃないですけれど…大丈夫ですか?なにやら、今日は吹奏楽部の練習が長くなるそうなので、一緒に帰れないと言われまして」


だが、花江は怒っていないらしい。

淡々と何気ない会話を始めるのだ。


「え?なんで姉ちゃんがそこで出てくるんですか?」


「いえ、二人は仲が良さそうなので、わたしだけだときみも寂しいでしょ?」


「むしろ二人だけの方が嬉しいです」


「変な子ですね、きみは」


反応は薄い。しかし、確かに笑った。

風間はそれが嬉しくなり、顔全体の筋肉がだらしなく緩む。


「わたしのような淡白で話も面白くない人間と帰りたいなんて…」


「先輩は面白いですよ。俺は先輩との会話が好きですよ」


「ありがとうございます」


「だって、俺、先輩のこと好きだし!」


顔の筋肉だけじゃなく、脳の筋肉さえ失った風間は、思ったことをすぐに口に出す。

言った後に、「あ、やばっ」と口を塞ぐ。

心臓がバクバクとうるさいくらい鳴る。

花江の回答が…気になる。

なんというのか。

自分のこの感情は、彼女にきちんと伝わったのか。

風間はゴクリと唾を飲み込んだ。


「ありがとうございます」


あれだけ緊張したにも関わらず、返しは至ってシンプルかつショート。


「え…それだけ?」


花江の回答は、風間が望んだ答えより果てしなく遠かった。

これがテストだったら、0点。

コメントには「もう少し相手の感情を読み取りましょう」と残されていることだろう。


「なにしてるんですか?手が止まってますよ。手伝ってくれるんじゃないんでしたっけ」


「う…ぇ…は、はい!手伝ってます!」


これでこの会話はおしまい。

あえてもう一度聞く勇気のない風間は、黙って目の前の筆たちを片付け始めた。


「伝わんなかったんかなーって、まじでショックだったんだけど…」


「そうね。伝わってないわね」


そこはズバリと口にする月島。


「どストレートだったよね!?」


「ええ、どストレートだったわ…ただ…その…」


「何か悪いことあった??」


「流れが…告白の流れじゃなかったから、かしら」


「告白の流れって何?」


「緊張感とか、ムード作りが大事なんだと思うわよ」


「ムードかぁ〜!!思ったことすぐ口にしちゃうから…雰囲気が大事なんだね」


「もしくは嫌われている…とか?」


「え!!??それはないって!俺に限ってそれはない!!だって…」

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