第夏秋章 月花②

放課後、夏の色をまだ残す蝉の音を聞きながら、秋を出迎える虫の音が入り乱れる美術室に、花江と風間はいた。

昼間よりも太陽の暖かさは感じられず、びゅうびゅうと耳の横を通り過ぎる風が肌寒い。

花江は立ち上がり、ぴしゃりと窓を閉めた。


「風間くん…一ついいですか。写真部員になっても尚、きみはなぜ美術部に入り浸っているのでしょうか?」


「そりゃあ、未来先輩ともっと時間を過ごしたいに決まってるからですよ」


「ですよ、ってそんな意気揚々と言われても、全く納得できないのですけれど」


全ての開いていた窓を閉め終えた花江は、すとんと元の椅子に戻り、鉛筆でカリカリと新たな絵の下書きを始めていた。

その横で、風間はカメラを構え、隙あらばシャッターを切っていた。


「鳥羽先輩に言いつけますよ」


「知ってるから大丈夫です。花江のところなら大丈夫だろうって言われてきました」


「あの人は…風間くんを世話する気あるんですかね。あんなこと言っておいて…」


「なんて言ったんですか?」


「きみが気にすることありませんよ」


「えー。二人だけの秘密っていうやつですか?」


「二人だけの秘密っていうやつです」


「俺にも秘密くださいよ」


「意味分かりません」


「先輩の特別になりたいんです!」


今日は冗談が長い後輩だな、と風間の長話に渋々付き合うことにした花江。

彼の意味不明な会話についていくことを諦めたようだった。

彼女は適当に相槌をしながら、話を聞き流す。


「きみが鳥羽先輩くらいの才能を開花させたら、考えておきますよ」


「本当ですか?」


「ええ、本当です。本当です」


「じゃあ、付き合ってください」


「突拍子もないことを…」


風間のいう『付き合う』の定義は、カレシとカノジョのことだろう。

それぐらいは花江でも分かる。

彼女は風間を横目で一見し、彼に聞こえないくらいの小さなため息をついた。


「本気です!」


などと言われたが、残念ながら花江はその言葉を真摯に受け取ることができなかった。

なぜなら、彼の言葉が軽すぎるからだ。

『本気』と言われても花江の中でピーンとこない。

付け加えて、先日、耳にした『風間のカノジョ』や風間の取り巻きを見れば、論外だ。


「先輩、付き合うの意味わかってます?」


「もちろんですよ。男女の恋愛のことですよね」


「はい!それっす!!合ってます!!…そう言うことです!!」


「どう言うことなのか分かりません」


「えー!!そのまんまの意味だってー!!」


冗談か、からかわれているかのどっちかだと花江は思った。


「風間くん…。冗談もほどほどに。おもしろいジョークで勝負しているつもりなら、わたしは負けました。だから、さっさとその口を閉じてください」


「はぁ…そんなことないから…」


「誠意があるのは分かりました。でも、その誠意はカノジョさんに見せたらどうです?そんな不誠実なことをしていたら嫌われてしまいますよ。もっと大事に扱いなさい」


「カノジョって…俺はカノジョなんていないよ?いたことないよ!」


「そうですか」


「信じてないでしょ!」


「きみはそんなことしなくてもすぐに女性が寄ってくるでしょうから大丈夫ですね」


「だーかーらー、俺はそんなにチャラチャラしてないから!めちゃくちゃピュアなの!」


「はいはい、その言葉はカノジョさんに言ってあげてくださいね。わたしなんかにそんな言葉をかけたら、風間くんの口が腐ってしまいますよ」


「ねー!ちゃんと俺の話、聞いてよ!先輩はなんでそうも自分に消極的なわけ?先輩はちゃんと可愛いから!もっと自分に自信を持ってよ」


「消極的…ですか。反対語は積極的」


「な、なんすか?」


「自分に積極的とはどういう意味なんでしょうね?」


「話を変えんでよ」


「根本は一緒です。わたしが自分に積極的になれば、きみは満足するんですよね。それってつまり、こういうことですか?」


花江は凛としていた。


「花江未来。趣味は絵を描くこと。家では勉強くらいしかしていません。土日は部活以外、基本暇です。なので…一緒に遊んでくれませんか?」


「え!はい、ぜひ!!」


「本気にしないでくださいね。でも、そういうことですよね?積極的になるっていうのは」


「冗談かよ」


「わたしの言葉、聞き覚えがありませんか?」


「え?」


「ありますよね。風間くんの周りにいる女の子は、いつも言ってますよね。『風間くん、こっち向いて』、『風間くん、今度一緒に遊んで』って…。わたしがその言葉をきみに伝えたら、きみは幻滅しませんか?お嫌いなんでしょ、言い寄ってくる女の子の皆さんが」


「あっ…その…せ、先輩…俺」


「いいんです、言わなくても」


『先輩だったら、何言っても構わない』と言おうとした風間だったが、花江に止められる。


「きみに嫌われたくはありません。だから、消極的って悪いことばかりじゃないですよね」


「そ、そっすね…」


論点がずれた気がする。

しかし、花江に『嫌われたくない』と言われ、風間の脳はヒートする。


「ふふ、きみは扱いやすくていいですね」


「俺で弄んだ!?」


「怒ると敬語がなくなる癖やめたほうがいいですよ」


「知ってて怒らせたわけ?」


「遊びました。すいません」


本気で風間が怒った姿を見て見たいものだが、嫌な予感がしたので瞬時に謝る。すると、風間はふてくされたのか、ふぃっと花江から顔を背けた。

会話の成立しない静かな空間は好きだが、花江はなぜか違和感を覚え始める。

風間と一緒にいる時は、仲良くおしゃべりをするのが彼女の中で普通になっていた。

花江は自然に自分から会話をし始める。


「ただ…カノジョさんがいらっしゃるというお話は耳にします。確かにきみのようなモテるカレシがいたらカノジョさんも不安でしょう。もしかしたら、きみと付き合うことが原因で、いじめられるかもしれませんしね。隠したい気持ちは分かります…が、わたしは誰にもいいませんよ。だから、嘘はいけないと思います」


「勝手にそんな話が丁稚上げられるとか、迷惑にもほどがあるんですけどー!ってか、完全に俺は被害者ですよ」


「本当にカノジョさんを守りたいんですね…。その精神は素晴らしいと思います」


「もー!!信じてってば!」


「信じています。きみの行動は素晴らしいと思います。徹底的に大事にしたいという心、称賛に値します」


花江は手でパチパチと叩きながら、風間を賞賛する。

しかし、事実でないことを嬉しく思わない風間は手をうっとおしく払いのける。


「じゃあ、分かった!俺、行動で示しますよ。手始めに…先輩の片付けを毎日手伝いにきます!家にも送ります!休日にも一緒に遊びましょう」


「は…はあ…。それはわたしにではなくカノジョさんにしてあげてください…ただ、手伝ってくれるのは嬉しいですね。部屋をきれいにしたいんですよね…あ、あと、作品の片付けがまだ終わっていないんですよ。それに関してはきみのご厚意に甘えることにします」


「そ、そうですか?じゃあ、がんばります!」


「ただし、ちゃんと写真部員としての義務も果たしてくださいね。わたしがそそのかしたって鳥羽先輩に怒られたら怖いので」


「もちろんです!両方とも誠心誠意がんばります。それに、鳥羽先輩は最近、めちゃくちゃ忙しいみたいで、写真部は俺一人状態です!なので、先輩の迷惑にはなりません!!」


花江は風間の一生懸命に自分の誠実さをみせようとする姿勢がおかしくなり、思わず薬と小さく笑う。


「あ…」


と、風間の口からこぼれた言葉を聞いて、花江はハッとして口をつむぐ。


「すいません…傷つけてしまいましたね。別に笑うつもりはありませんでしたし、侮辱するつもりはありませんでした」


すぐに我に返った花江は、風間から顔を隠しながら作業を再開させる。


「傷ついた…わけないですよ」


「それは良かったです」


愛想なく返事をする花江だが、風間は写真も撮らずにひたすら彼女のことを見つめる。

風間の姿を横目で確認し、花江は呆れながら小さくため息をつく。

くるりと体を回転させ、不満ありげな表情で風間を見つめ返した。

視線の意味は違うが、花江の行動に驚いた風間は体をぴくりと動かした。


「すいません、風間くん。わたしはこれでも冗談を言うのです。なので、先ほどのわたしのお話しはなかったことにしてください」


「え…なんで急に!!」


「だって、わたしはもうきみの先輩ではないんですから。きみは写真部員なのですから、鳥羽先輩の元で学ぶべきなんです。折角、きみの希望を通したというのに…これでは何も変わっていません」


「俺はどこにいてもいいって言われているから…」


「試されているんですよ。きみの本気度を。もし、きみが本気で写真部員になりたいんでしたら、自分から望んで彼に縋ってでも教わるべきなんです。なのに、当の本人は部活は遊びのようにチャラチャラと…」


「そんなことないです!第一、俺、写真部じゃなくって美術部に…」


「え?」


「いえ、なんでもないっす!!」


誠実さをアピールしようとしたが、これでは逆効果だと風間は口をつぐむ。


「はっきり言って、きみ(の視線)は迷惑です」


「そんなあ…」


「分かったら、とっとと帰りなさい。そして、写真小僧になってください」


「写真小僧になったら、先輩は俺のことを好きになってくれますか?」


「はいはい、そうです、そうです」


「わかったっす!!俺、一生懸命、写真小僧になってくるっす!」


次の日から風間は花江のいる美術室に訪れなくなった。


片付けにも来ないし、手伝いにも来ない。

帰りはいつも通り月島と一緒。休みの日は、一人、ふらりと外に出かける。

やはり口から出任せだったのか、と花江の中の風間への信頼ゲージが少し下がった。

花江は一人ぽつんとキャンバスに向かい、静かな教室で静かなため息をはいた。

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