第夏章 風鳥⑦
顔を笑みいっぱいに埋め尽くす風間を後ろから見守る月島。
彼の念願の夢の一つが叶ったのだ。
月島も嬉しそうに微笑んでいた。
「秀ちゃんったら、久々にはしゃいでるわ」
「まるで母親気分か?」
風間と花江の仲睦まじい様子を邪魔してはならないと、一歩後ろに下がった鳥羽は、暇つぶしにと月島に話しかける。
「嬉しいわよ。あの子は昔から女の子と話すのが苦手だったから、未来ちゃんとよく話せているようで…」
「過保護だな。そこまであいつの心配をする必要はないだろう」
「血は繋がっていなくても、幼馴染ですもの。心配したくなるわ」
「どういう意味で…だ?」
「あら。どういう意味とはどういう意味で、でしょうか?」
「質問に質問で返すか」
「分からないことを聞いたまで、ですわ。先輩の話の意図を読めない察しの悪い後輩なので…申し訳ありませんわ」
「月島のお嬢様でも分からないことがあったとは驚きだ」
「その呼び方、おやめくださらない?」
「じゃあ、なんと?」
「『宵』で」
「いきなりファーストネームで呼ぶほど、フランクな関係を築き上げてはいないと思ったよ」
「家柄ではなく、『私』を認識してくださると嬉しいのですが」
月島は温和な顔に似合わず強情だった。
昔から家のために尽くせと親から言われてきた反動なのかもしれない。外では出来るだけ自由に我になりきりたかった。
「……花江のことが目障りじゃないか、という意味で、俺は話していた」
「あら、スルーするのですね」
「風間のことを、お前がそういう目で見ているならば、の話だがな」
「私は探られていたのですね。先輩も意地の悪いことをしますわ…。未来ちゃんは私の親友です。恋敵なんて思ってもいませんし、私は私なりに想っている殿方がおりますので…。先輩の想像とは別の泥沼がありますのよ」
「『月島のお嬢様』が恋を許されているとは…驚いた」
注意を受けたばかりにも関わらず、鳥羽は引き続き同じ名で月島のことを呼んだ。
「許されていませんわ。…だから、形になるまで密かに慕っております」
「………おしとやかだな」
「お褒めいただき、ありがとうございます」
思うことはあったが、面倒事はごめんだ、と鳥羽は言葉を飲み込んだ。
どしゃん!
目を離していた瞬間だった。
「先輩!?大丈夫っすか?」
風間の切羽詰まった声が聞こえる。
ハッとした二人は、すぐに花江と風間の方へと目を向ける。
「み、未来ちゃん、大丈夫?!」
地面に倒れ込む花江を見た月島は血相を変えて、彼女の元に駆け寄る。
風間が盾となってくれたおかげか、一見怪我はないようだ。
汚れてしまった浴衣の裾を気にしながら、花江はゆっくり立ち上がる。
「わたしは大丈夫です。ご心配をおかけしました…それより…」
「姉ちゃん…鳥羽先輩!!大変っす!!未来先輩の絵が…!」
「あ!…」
「…ああ…」
花江と風間の視線の先には、200号の大きなキャンバスに描かれた花江の作品が、無残にも大きな穴を開けていた。
それは、まるでブラックホールのように…淡く描かれたミルキーウェイのど真ん中にポッカリと口を開け、全てを飲み込もうとしていた。
固められた油絵は、爪痕を残す。
ある種の技法にでも見えたら良かっただろう。だが、この作品に、その技法は合わなかった。
「何があったの?」
「え、えっと…先輩の絵の目の前で、急に酔ったおっさんが倒れてきて、衝撃で先輩が吹き飛ばされて…それで、先輩の絵がスタンドからずれて…スタンドの先端部分に引っかかったみたいで…そのまま、絵にズボッと穴が空いて…」
「秀ちゃん、そのおじさまはどちらに?」
「え!?どこ、あのおっさん…さっきまで放心状態で先輩の絵の上に転がってたのに…」
「そう…」
「姉ちゃん、どうしよ!これ…」
「どうにか修復できるよう手配しておく…。俺は係の人間を呼んでくるから、風間は花江の側にいろ」
「鳥羽先輩!!」
何が起きたのかと野次馬が4人の周りをじろじろと囲んでくる。
鳥羽は辺りに鋭い視線を配りながら、犯人探しを始めていた。
「鳥羽先輩、いいですよ。何もしなくっても…。起きてしまったからにはしょうがないです」
「部長としての業務を遂行するだけだ」
「係員の中に、私の父の知人がいます。私も行った方が話が早いかと…」
「わかった…案内を頼む。いいか。くれぐれも変な気を起こすなよ!」
「秀ちゃん、犯人探しは私たちに任せて、絶対に未来ちゃんから離れないでね」
「姉ちゃん…鳥羽先輩…、分かったっす。ここで待ってるっす」
花江は無言で無残な姿になってしまった自分の作品を見つめていた。
落胆しているのか、失望しているのか、仮面が張り付いた顔からは、感情が読み取れなかった。
正解の言葉探し。
風間はお粗末な頭の中で花江の望む言葉を引っ張り出そうとする。
だが、いくら考えても、気の利いた言葉一つも出てくる気配がない。
国語の授業を真面目に聞いておけば良かった。この日のために、語彙力を高めておけば良かったと後悔した。
「未来先輩…」
捻り出した言葉は結局、花江の気を紛らすための道化だった。
怒られてもいい、嫌われてもいい、感情の矛先が自分に向けばいい、と風間は次の一言を口に出そうとした…が
「暑いですね」
「え?」
花江は無表情の中に隠れた未練を息と共に吐き出す。
「こんな暑い夏に、はしたなく騒ぎたくなってしまう気持ちも分かります。だからと言って、仕返しをしようなんて気は起きませんから、大丈夫ですよ。わたしは至って冷静です。第三者視点の傍観者です」
AIのようにつらつらと言葉を羅列する。吐き出される言葉に感情が乗っていないのは、明らかだった。
「風間くん。ここで、クイズです」
「え、あ、はい!?」
花江の突然の問いに風間は体をびくりと動かした。
「乾く時間は長いし、筆についた絵具は落ちにくいし…変な臭いはするし…そんな油絵をなぜわたしが好むか知っていますか?」
「え、え!?突然なんすか?」
「なんでしょうか?」
「えっと…!え、えー…じゃあ…仕上がりが、キレイだから…っすか?」
「ぶっぶー。残念ですけれど、不正解です」
花江は手で小さくばつ印を作った。
「油絵は…形が残らなくなるから好きなんです。何度でもはいで、また新しい物を描ける。色を上から塗りつぶせる。水彩のように混ざらない…最高ですよね?」
「先輩の絵は…!…形に残るべきだと思います」
「残るものは、思い出だけで十分ですよ」
千切れた油絵の一部を拾い上げ、花江は愛おしそうにそれを指でなぞった。
「以前、今も後世にも残る存在になりたいと言っていたじゃないか…矛盾しているぞ」
「…そんなこと言いましたっけ?忘れてしまいました」
係員を呼びつけた鳥羽と月島が戻ってくる。
数名の係員たちは、花江の作品のあられもない姿に驚き、すぐに状況を確認しようと動き出す。
「頭が良いんじゃなかったのか?」
「忘れました」
「全く…お前は…」
係員は倒れてしまったコーンを再度、陳列させ、他の作品にも危害がないか確認する。
「第一、こんな人が通るところですもの。そりゃ、傷つきますよ」
「「「……」」」
「皆さん、そんなしょげないでください。平気です。幸い腕はありますので、また描けます」
と、全ての事情を聞き出そうと、花江たちに係員は話しかけてくる。花江たちは事の顛末を説明し、「あとのことはよろしくお願いします」と頭を下げた。
花江の作品は鳥羽の指示のもと、一時的に係員たちの元に預ける方針となった。
もう二度と戻ってこないであろう我が子に手を振りながら、花江は作品を見送る。
「すいません、鳥羽先輩。そういうことで、おそらくこれでは優秀賞はは狙えません。図書カードは…また今度っていうことでいいですか?」
「…まだチャンスはあるだろ」
「あれでですか?無理なことを言わないでくださいよ…」
「俺の中では先輩の絵は優秀賞です!!風間の名にかけて、秀の字をあげます!」
「きみの名前に何か由来がありますか?」
「あれ?もしや俺の名前を知ら、ない…?」
「未来ちゃん。お腹が減らない?私、食べてみたいものがあって…」
「ぜひ、お供します」
少しでも花江を明るくさせようと、月島は花江の背中を押しながら、たこ焼きの屋台へと向かった。
まだ祭りという祭りを楽しんでいない4人は、祭りを楽しもうと花江を先導に、賑やかな屋台へと向かう。
「未来先輩の絵…折角もらおうとしてたのにな…」
「あんなでかいもの、どこに置いておくつもりだ?」
「どうにかしますよ。未来先輩記念館と称して、倉庫を借りるのでもいいですし。俺の大好きな絵なんですから、どうにかして保管します」
「気持ち悪いな。いつかあいつの髪の毛とかも保存しようとする勢いだ」
「え、いいんすか…?」
「止めろ」
屋台の列に並ぶと、ちょうど横目に係員たちのテントが映る。花江のキャンバスを奥の方に保管しようと、整理整頓をしている最中だった。
「あの絵は俺が引き取る」
「え?!俺のなのに!」
「勝手に唾をつけるな。修復するだけだ。完璧にとはいかないが…どうにかなるだろう」
「鳥羽先輩ー!」
「抱きつこうとするな。気持ち悪い」
風間は目をキラキラとさせて、鳥羽に抱きつこうと手を広げる。しかし、鳥羽は風間の両手をガシッと掴み、これ以上の侵食を拒んだ。
「俺…鳥羽先輩に一生ついていきます!」
「やめろ。俺についてきていいのは、俺が認めたやつだけだ」
「じゃあ、先輩に認められます!」
「美術部に送る…と約束したろ」
「はい!でも、写真も極めます!」
「…なるほど。美術も写真も…か。お前も贅沢者だな」
「『も』ってなんですか?」
「気にするな。こっちの話だ」
ー…
ストレチア(極楽鳥花)
気取った恋。輝かしい未来。寛容。恋の伊達者。
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