第夏章 風鳥⑤

8月某日


うだるような真昼の暑さがまだ残る夕暮れ刻。

夏はいつだってそうだ。

日は落ちても、生暖かい風が頬を通り過ぎる。

冬が恋しいと思うのは、この一瞬だけだった。


「宵。わたしは二人で行こうって誘ったんですけれど…」


「ええ。そうね。二人で行くわ」


集合場所は、花江の親友である月島の豪華な家の前。

豪邸が立つと言うことあって、駅・街中に徒歩で行ける圏内。

夏まつりは商店街で行われる。

場所の都合上、花火はなく、ただ商店街が騒ぐだけだ。

月島の家に近づけば近づくほど、祭りの香りが鼻に当たる。


「ですよね、そう思ってました」


月島の後ろに尻尾を振る犬の幻影が見えた気がした。

しかし、月島が二人で行くと言ったのならば、嘘ではない。


「後ろの犬は、気のせいですよね!」


「犬じゃないわ。偶然、ついてきてしまった秀ちゃんよ」


「偶然、ですか」


「偶然です!偶然、外に出ようと思ったら、姉ちゃんが浴衣姿で外にいて、偶然話しかけたら、じゃあ一緒に行きませんか?ってなったっす」


悪びれる様子もなく、風間は笑顔で答えた。


「………しかも、偶然、鳥羽先輩までいるのですね」


風間の後ろから、ひょっこり顔を出す。


「ああ。俺も偶然、風間の家で写真部員としての課外活動をしていてな。そして、今日が偶然、夏まつりに行こうと思った日だった。偶然にもこの後予定がなかったのでね。風間と久々に羽を伸ばそうかと話していた矢先だった」


「すごい偶然ですね。偶然が偶然の上に重なりすぎて、偶然が大パニックを起こして、不自然の塊になってますよ」


「ミラクルだな」


「奇跡っす!」


「あら、素敵」


「グルなんですか?宵を含め、グルなんですね」


花江は浴衣をたくし上げる。

年に一度の祭りだ。

折角ならお洒落をしようと月島からの提案で、二人は浴衣に身を包んだ。

花江は夕暮れのような薄いオレンジに、うっすらと金魚が描かれていた。

一方、月島は淡い薄紫色の衣に、青に染め上げられた花火が彩られている浴衣を羽織っていた。

良いところのお嬢様だけあって、衣装が映える。仕草を合わせれば、とても妖艶だった。

しかし、そんな月島を他所に、鳥羽はあえて慣れ親しんでいる花江に視線を送る。


「こっちの方が落ち着くな」


「は?」


「いや、俺の目の話だ」


「眼科行きます?」


「…孫にも衣装とは、このことか。よく似合っているよ、花江」


「七五三じゃないですからね」


「知っているよ。ああ、月島のお嬢さんは、以前に会った時と同じような気品さを持っているね。花江の浴衣と違って、着せられている感がない」


「ふふ、あら…ありがとうございます」


「喧嘩売ってます?」


月島は頬を赤らめながら、撫子さながらの動作でしおらしく礼を言った。


「って…鳥羽先輩は姉ちゃんに会ったことあるんですか?」


「ええ。この前の立食パーティーの時に、少しばかりお話しさせてもらったのよ」


「つまらない年配のうんちくを聞くことより、有意義な時間だったよ」


「そうでしたか?私はてっきり…私との会話の方がつまらないと思いましたけれど」


「ははっ」


鳥羽は乾いた笑いで、その場を繕う。


「先輩…そこは嘘でも楽しかったと言うべきです」


「生まれてこの方、自分に正直に生きてきたんでね」


「自慢するところじゃないですよね」


感情の起伏が微弱な花江は、珍しく鳥羽に睨みをきかせる。


「姉ちゃん…あんまり気にしないで」


「なにをかしら?」


「ううん。なんでもない」


風間は月島の肩に手を置こうとしたが、なぜか別の迫力を感じ、差し出そうとした手を引っ込めた。


「それにしても、夏まつりというのはなぜこうも人が集まるものなんですかね?」


「暑くてしょうがないですね」


からん、ころん、と下駄を転がしながら、花江たち一行は夏まつりに向かって歩き始める。

家に置いてあった団扇でそよ風を作り、涼しいひと時を過ごそうとする。

1秒でもその手を止めれば、じわりじわりと汗が染み出る。

浴衣の腰回りが暑くて仕方がなかった。

風は涼しくなってきたものの、まだ8月だ。

じー、じー、とまだ昼を感じとるセミたちの声さえも聞こえてきた。


「人が多くなってきましたね」


背が頭一つ抜き出ている風間は、皆より遠くの視界が広がっていた。


「密集しすぎだっつーの」


「昔から人は祭りが好きだから…。じゃかじゃかと音を立てたり、仲間と酒を飲み交わしたり、と…結局は、人と人との距離が縮まるからじゃないですか?」


ぼそりと呟いた風間の小言を花江が拾う。

そして、その花江の言葉を聞いた鳥羽が、花江の認識を否定してきた。


「それは間違いだ。結果的には人々の酒飲み場に化している気もするが…。元々は人が神様を招いて交流をするものだ。最終的には毎年の豊作に対してのお礼の気持ちを伝えるための行事となったが…」


「辞書に書いてある言葉をそのまま読んだみいたいですね」


「なんだいちゃもんつける気か?生徒会長としての権限で、お前を落第させてやろうか」


「暑さで脳もイカれてます?」


「…へぇ?」


否定されたことに腹が立ったのか、花江は鳥羽に普段言わないような喧嘩を売ってしまう。

鳥羽は笑顔を繕ってはいるが、心の奥底にふつふつと黒い感情を湧き上がらせていた。


「ね、えちゃ…」


感情を読むのに疎い花江は、鳥羽に対し、ふんすとしているが、慌てた風間は月島にヘルプを出そうとする。

月島は風間の視線だけで、何をすべきか気付き、無言でこくんと頷いた。


「第一、先輩は…」


「未来先輩。俺は楽しんだ勝ちもいいと思いますよ。確かに大きなイベントで友達と騒ぐと親近感が湧きますもん」


「そういえば、吊り橋効果なんてものもあるわよ。ドキドキわくわくすることによって、人は恋愛感情と勘違いして、恋しちゃうのよ」


「おかげでカップルになりましたっていう人達も多いから、祭りにはポジティブなイメージを持ちやすいんじゃないですか?」


「宵の意見には同意します。フォローありがとうございます」


「お、俺は?」


不憫な風間に月島はぺろっと舌を出す。


「…鳥羽先輩の話を信じるとしたら、人はいつしか神様より自分たちが楽しむものにしか興味がなくなったようですね」


「俺はスルーですか」


「人間が騒いだら神様も楽しくなって、天から降りてきちゃうかもしれないわ」


「なんてフランクな神様」


「アマテラスもそうでしょう?」


「脱・引きこもりした件ですね」


「祭りでおびき出したのよ。太陽が出なくなってしまったから…。目の前で楽しそうなことがやっていれば、自ずと混ざりたくなるものよね」


「人間的な神様ですね」


「ふふ。神様はなぜか人の形をしているからね」


「いいんじゃないっすか?日本は色んな文化と人種が混ざりあっているんだから、全部ひっくるめて楽しければ。一種の異文化交流として」


「お祭りに来てまで難しい論議をするな。素直に楽しめばいいだろう」


「先輩が始めたくせに」


「俺のせいか」


せっかく良い感じに鎮火活動が終了すると思ったところに、新たな火種が撒かれようとする。

放っておけば二人の論議が終わることはないだろう。

風間は月島と目を合わせて、阿吽の呼吸で二人の間に壁を作る。


「どっちのせいでもいいっすよ!」


「楽しければ、どちらでもいいと思うわよ」


いつの間にか購入したりんご飴を、月島は花江の口元に寄せる。

ふむふむと吟味しながら、花江は月島の手からりんご飴を受け取り、無言でしゃくしゃくと食べ始めた。

まるで子供みたい、と口にすればまた顔にシワを寄せることになる。

お口にチャックのジェスチャーを風間に送り、風間は口元を言わ猿のポーズで隠した。

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