第夏章 風鳥③

「ふぁい、おー」

  「ふぁい、おー」


一人を先頭に、後ろに続く生徒たちは言葉をオウムのように返す。

夏の暑い日差しの中、汗を流して走る姿にご苦労様と伝えたい。

半袖を肩までたぐり寄せ、左右に揺れる長い髪を後ろで結ぶ女子たち。

そんな運動部とは無縁になった風間は、自販機側の木陰に腰を下ろしていた。


「おごりだ」


「あ、あざっす」


花江から退出宣言をされた彼らは、彼女の絵が完成するまでの間、1階に位置する自動販売機で飲み物を買っていた。

風間は鳥羽に炭酸飲料を奢ってもらった。缶の蓋に爪をひっかければ、プシュッと爽やかに音を鳴らす。


「先輩はお茶っすか。なんか渋いっすね」


「そうか?」


走ってもいないのに暑い。

首から汗が滴り落ちる。


「でも、なんか先輩は涼しげですよね。汗、かいてます?」


「かいてるさ。汗だくだ」


「えー…」


顎の下から流れ落ちる汗をハンカチで拭う風間に対し、鳥羽は襟をパタパタとさせるだけだった。

鳥羽は壁に体重を預け、「全館にクーラーでも買うか?」と実現しそうな冗談を口にした。


「うちの高校にそんな金あるんすか?」


「ないなら、作ればいいだけだ」


「こっわ。寒気がしたっす」


「良かったじゃないか」


ひゅうっと涼しい風が二人の間を通過し、汗を連れていく。


「そう言えば悩み事は解決したか?」


「悩み事…は、その」


「当ててやろうか?」


鳥羽の推理力は探偵並みだ。

瞳を光らせて、風間の心の奥底に隠した秘密を掬いとる。


「お前の言う『くだらない内容』というのは、花江のことだろ?」


「………バレてました?」


「顔にくっきりはっきり書いてあるよ」


やっぱりか、と風間は一つため息をついた。

花江と親しい間柄の、この人には知られたくなかった。


「花江はくだらなくない。俺は存外彼女のことを気に入っている」


「ままま、まじっすか?」


まさか憧れの先輩である鳥羽から、最も聞きたくない言葉を耳にしてしまう。

鳥羽相手に敵うわけがない。

けれど、譲りたくもなかった。


「本気だよ。俺のお気に入りってやつだ」


「そ、そそそれは…『好き』ってやつですか?」


「待て待て。焦るな。どもるな。勘違いするな。飛躍しすぎだ。俺があれに恋愛感情があると思ったか?」


「少なくとも…鳥羽先輩が話すときの未来先輩への目線は、優しそうでした」


「気に入っているからな。できるだけ、優しく接したい」


「そういうの、『恋』って呼ぶんじゃないですか?」


「一般的には、そういうんだろうな。だが、俺のはそれと違う」


風間には鳥羽の気持ちが理解できなかった。

相手を側に置きたくて、優しくしたくて、気に入っているならば、男と女の間に芽生える感情があるはずだ。

一般的にはそれを恋と呼び、好き同士なら付き合ったりもするはずだ。


「なにが違うんですか?」


「俺の場合は、距離感が大事なんだ」


「距離感?」


「近すぎず、遠すぎず、あいつの領域に触れようとせず、あいつも俺の領域に干渉せず。似た者同士の俺たちだから、居心地がいいだけなんだよ」


「でも!鳥羽先輩は未来先輩と話すときだけ楽しそうです」


「お前は俺に嫉妬しているのか?」


「嫉妬って…小学生じゃあるまいし…。第一、俺は女子っていうものが苦手で…」


「でも花江のことは受け入れているじゃないか」


「未来先輩は別です。なんか…女子にないものを持っているんです」


「それが花江の魅力なのかもな」


「ほら!やっぱり鳥羽先輩だって!」


何やら難しいことを言っているが、結局は鳥羽だって花江に対し、特別な感情を抱いている。

花江の魅力にも気づいていると言うならば、それを恋とは呼ばぬのか?と、風間は食ってかかろうとする。


「何度も言わせるな。俺のあいつへの感情は、お前が抱いているものと違う」


「俺が…どういった感情を持っているっていうんですか?」


やんややんやと言われるのは好きではないらしい。

鳥羽の鷹のような鋭い視線に、風間は言葉を飲み込み、ピタリと停止する。


「知っているくせに、俺に教えを乞うな」


「し、知らないっすよ」


「いいと思うぞ。お前と花江は似合っている。ベストジーニエスト賞も狙えるベストカップルだと思う」


「本当…ですか?」


背中を押されたような気がした。


「ほら、お前のその顔が、『恋』って呼ぶんだよ」


風間の表情は至って普通だった。

気取ってもいないし、にやけてもいない。

けれど、その「普通」の中にうっすらと漂う気配を察知した鳥羽は、風間の核心へと迫っていく。


「お前は花江のことが好きなんだ」


心臓をナイフで突かれた気がした。


「花江がお前に対してどういう感情を抱いているか分からないが、あいつは大変だぞ」


「先輩は…花江先輩のなにを知っているんですか?」


「自分の感情に鈍いこと。そして、相手からの感情にも鈍いこと。本人は薄々気づいているが、雰囲気を読むことに長けていない。あいつの世界は桃源洞裡だ」


「どう…げん?」


「マイペースというやつだよ」


「なるほど。で、でも…先輩は俺に対して、なんの感情も抱いていないと思いますよ。だって、美術部員からいきなり写真部員に移したし…。女子って欲望に対して忠実だから、もっと側にいて欲しいんだったら、自分の特権使いそう」


「あいつと他の女子を一緒にするな」


ちょうど風間と鳥羽の前を陸上部が通過する。

生徒の間では怖いと称されている、生徒会長である鳥羽がいる手前、気軽に風間に手を振れない女子たちは、チラチラと横目で風間の姿を見つめた。


「ふぁい、おー」

   「ふぁい、おー」


通り過ぎていく女子たちを眺めながら、鳥羽は言葉足らずだった花江のフォローをする。


「正直言うと、俺がけしかけた」


「なんでまた?」


「サボり気味だったんだよ。お前とつるむようになってから、夏まつりの絵は仕上げないし、作業に大幅な遅れが出ていた」


「すいません、っす…」


「色々言いたいことはあるが…あいつの言動はお前のことを思ってだ。お前は始めに写真部員を望んでいただろ。花江はお前の願いを忠実に叶えただけだ」


過ぎたことは仕方がない、と鳥羽は目をつむる。


「俺は、まずお前の本気度を見たかったんだよ。俺の写真に憧れて入部したいなんて言うやつはいる、が…適材適所という言葉があって、俺はそいつの才能に見合った場所に采配しているんだよ」


「確かに先輩もそんなこと言ってた気がするっす…じゃあ、俺は美術の方が向いているっていうことですか?」


「お前の場合、難しかった。風間からはどこにでも準ずることができる気がした。正直な話、俺には分からなかったから、花江に任せた」


「先輩にも分からないことがあるんですね」


「お前らと同じ人間だからな」


「つまり、写真への向き不向きを未来先輩に任せたってことですか?」


「いい化学反応になっただろ?」


「なりました」


「だが…さっきも言ったが、お前が美術部員になってから、今度は花江の調子が悪くなってくるのを見た。絵の描くスピードは遅くなるし、部活を遊び場にしている気がしてきてな」


「俺のせいですね」


意外と根に持つタイプらしい。

鳥羽は同じことを二度も言う。


「いや、自分のことを自分で管理できなかったあいつのせいだ。だから、少々きつく当たってやった」


「なんて?」


「風間の希望である写真部へ送れ、と言ってやった。もちろん当初の予定通り、風間の絵が恥じぬレベルになるまで面倒を見てから…だ」


ここで鳥羽は一旦言葉を止めて、一呼吸置く。


「そしたら、あいつは急にお前を俺のところによこしてきた。命令放棄もいいところだと思ったが…俺もお前の絵を見てみたよ。形にはなっていたし、しっかりしていた。だから、花江の言葉に嘘はないと確信した」


「じゃあ、先輩は俺のことを思って…」


「あいつは素直にお前の絵を褒めて、お前の希望する写真部へ送り込んだんだよ。別にお前のことを嫌いになったから、とか複雑な感情は抱いていない。言っただろ?あいつは自分の感情にも鈍いんだ。お前といれば楽しいことは分かっていたが、自分の感情を後ろに置いて、まあいいやとスパッと切り捨てる。」


「なんか…気を使いすぎて損した気分です」


「ははっ。ロボット的なんだよ。あいつは」


そっか、と風間は思う。

そして、それならば…と次の自分の目的を決意する。


「…鳥羽先輩…俺のことを写真部に入れてくれて、ありがとうございます。めちゃくちゃ嬉しいし、生涯の自慢になります。嬉しいんすけど…同時に、もう一つ目標ができました。俺…美術部にいたい!右往左往して本当に申し訳ないっす…でも、でも、俺…自分の欲望には忠実にいたいから…!もっと未来先輩の傍で、もっと絵を描いていたい」


「それがお前の原点か…」


「え?」


「いや、なんでもない。いいぞ。お前を美術部に戻してやってもいい。だが…それは俺に認められてから…だ。俺は花江以上に厳しいぞ?」


「はい!ついていきます!」


飲み終えた缶をゴミ箱に入れると、カコンと音が鳴る。

同時に、野球部の威勢のいい音が校庭に響き渡った。

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