第夏章 風鳥①

 極楽鳥 

 ー…天国の鳥。天からの使い。脚がないので地面に降りることもなく風に漂って一生を送る鳥


 暑い日差しが照り、じりじりとコンクリートから熱気が伝わる。

コンクリートに押さえつけられた暑さは、歩くごとにスニーカーの裏を焦がす。

じわじわと鳴り響く蝉が天候を説き、青空は雲をのかす。


『朝からご機嫌だな』


 と、風間は恨めしそうに思いながら、太陽に映し出された自分の影を追う。

首から汗が滴り始め、じわじわと背中に広がっていくのが分かった。


「おはよー。夏休みに秀に会えるなんて感激ー。これから、部活?文化部に入ったんだっけ?」


「文化部でも部活あるの?」


「あー、うん。そうそう。文化部でも夏休みの部活はあるの」


 同じ中学校出身者の顔見知りの女子たちは、自分のものであるかの如く、馴れ馴れしく風間に話しかけてくる。

 親しくもなかったくせに。

 くだらないマウントをとりにきたかったのか。


「うける。ってか、やることないでしょー」


「秀らしくないよね。前みたいにサッカー部で輝いてよー。あ、そうだ!!いいこと考えた。文化部なんてどうせ暇なんだから、今度、テニス部に遊びにきてよ!」


「考えとくよ」


 やっと校庭に入り、影が広がるかと思った矢先の出来事だった。

何人かの日焼けした肌をさらすテニス部の女子に囲まれ、風間はふつふつと煮える怒りを表に出さずに会話する。

彼女たちに悪気はない。

悪いのはこの暑さのせいだ、と思いこみながら、彼は彼女たちの会話からするりと抜ける。


 校舎に入ってしまえば、夏の暑さとはおさらば。

冷房もないのにひんやりとした廊下に、風間の汗はすぅっと消えていった。


『らしくない…か』


 先ほど、彼女たちから言われた言葉を頭で繰り返しながら、風間は靴を履き替える。


 ー…認めます。きみの才能を…。だから、わたしに構わず、鳥羽先輩の元に行っていただいて結構です。わたしの方から話を通しておきますので、夏休みからは…


 そこから先の言葉は、あまり覚えていない。


 ただ言われたことは、もう自分は花江の傍にいてはいけないということ。

 少しでも彼女の心に自分がいればいいと思った…が、首を何度も横に振る彼女を見て、風間は自分じゃなかったのか、とため息と共に項垂れた。


『事実だけどさ。でも、俺は、本当は…』


 確かに、風間は鳥羽の撮る写真に憧れて、文化部へ入部した。鳥羽の写真は今でも憧れている。

それは変わらない事実だった。

今日から、鳥羽は写真部に入る。

本人の希望は通ったものの、どこか腑に落ちない。

 お元気で、なんて言葉で送り出されたことが悔しかった。

もっと自分を必要として欲しかった。自分じゃなくてはいけない理由を知りたかった。


『俺は…』


 気づいた恋心を忘れられない。


『もっと先輩の傍で、絵を描いていたかった』


 と、今更ながら、新たな希望を願うのだった。

 先ほど、風間はマウントを取りたがる彼女たちを軽蔑し、自分は上のポジションで高みの見物をしていた。

 自分は違う、媚を売るなんて馬鹿らしい、と思っていた。

 だから、まさか自分にこんな感情があるなんてこと、知らなかった。


「あーあ…先輩の1番になりたかったな」


 自分も歴とした一人の男で、人間なんだと肩をガックリと落とした。


「おはようございます…。本日から、よろしくお願いします」


 風間は晴れない気持ちのまま、内開きのドアを開ける。


 いつもとは違う教室。

ここは、鳥羽一人が利用する写真部の小さな小部屋だった。

正確には元・理科準備室。

マンモス校だった風間たちの通う高校は、年々の少子化により生徒の人数が減っている。

生徒の人数が減っているということは、自動的に教室も余るのだ。

そういった経緯で、教室の一室を生徒一人のために開けられるほど、有り余っているのだった。


「おはよう。迷わずに来れて良かったよ」


「そっすね」


「ふぅん…随分と静かなんだな。花江からは煩くて、陽が眩しいと聞かされていたが…。朝から変なものでも食べたか?」


「いえ、そんなことは…ないっす」


「今日から君の望んでいた写真部だぞ?もうちょっと嬉しそうな声を上げなよ。歓迎させてくれ」


 拍子ぬけた、と鳥羽は小さく呟いた。

誰もいない静かで日当たりの悪い一室だ。

写真部は鳥羽一人ということで、かなり狭く作られている。

元々、薬品が置かれていたガラス棚には、鳥羽の高そうなカメラや周辺機材が保管されていた。

机にはどこから持ってきたのか、真新しいパソコンが一台。

パソコンの画面には最近撮ったであろう編集前の写真が映し出されている。

その前で、鳥羽は椅子をゆらゆらとさせながら、風間を待っていた。


「元気がないっていうのは、本当ですけれど…念願の鳥羽先輩の下で学べるのは、すごい嬉しいです」


「ふうん…。言葉に力がないけど、まあ、今はそれで良いことにしよう。で、その元気がないっていう理由はなんだ?」


「先輩にとって、くだらない内容なので伏せます」


「俺はどんな話でも食ってかかるよ。雑食主義さ」


「え、意外っすね。カラスっすか?」


「自分で言っといてなんだが…カラス…ではない」


「あ…さーせん」


あの完璧な先輩でも傷つくことはあるんだと、風間は少し驚く。


「くだらないなんて話、この世にはたくさんある。数あるくだらない会話の中から、お前のくだらない話を聞けるなら、光栄に思うよ」


 まあ、座ったらどうだい?と、鳥羽は風間に席を勧める。

誰も来ない写真部へずっと置かれた木製のカウンターチェアは、元々の色が分からないくらい日が経っていた。

風間が腰掛けると、ギシっと音を立てぐらぐらと揺れる。


「アンティークだよ」


「そう言えば、売れますね。古腐ったものでも、その魔法の言葉を使えばなんでも解決する」


「やけに言葉にトゲがあるな…。しかし、生徒一人の意見を否定する生徒会長ではないから、肯定してあげよう。…そうだな。新しいものが好きな人類は、先へ先へと進んだにも関わらず、昔の輝きのないものを磨きたがる」


「急に生徒会長風吹かさないでくださいよ…」


「事実だからな。で、どう思う?」


「頭の悪い俺からすれば…焦りすぎたのかもしれませんよ」


「そうだね。人類には早すぎたのかもしれない」


「昔の光景とか見て懐かしむ人も大勢いるし、いや、それは悪くはないんですけど…おっさんの話とか聞くといっつも『俺の若い頃は〜』ってのが口癖で嫌になってくる。『栄光』ってやつを取り戻したいだけなんかなって」


「昔はすごかった…ってやつか。今もすごいと思うよ」


「でも、それは今の人でしょ?時代に追いつけない人は、昔を見せつけて輝こうとしていると思いますよ。あ〜嫌だな〜。結局、俺も言う時が来るんかな…『俺の若い頃』はって…」


「そんなに卑下に語るな。昔を大事にしているだけなんだ。人間は誰だって原点に戻ることの大事さを知っている」


「原点に…戻る…」


「落ち着くだろ?育った街を見る…帰り道を辿る…。何気ない日常を無邪気に遊んでいたあの頃を思い出すと、恋しくなるんだ。皆、ただ原点に戻りたいだけなんだよ…」


 鳥羽がパソコンのマウスをカチカチっと鳴らすと、照らし出された彼の顔が急に暗くなる。


「後ろを向いて、一呼吸する。そして、もう一度立て直すんだ。だから、アンティークは人に好かれるのかもしれない」


「俺は……まだ若いし、そういう経験ないから分からないです」


「それは暗に俺のことを年寄りだと言いたいのか?」


 部屋の暗さもあいまって、鳥羽の威厳に風間はゴクリと唾を飲み込んだ。

 花江が彼の言うことをすんなり聞く理由がよく分かる。

 笑顔の裏に隠された彼のただならぬ雰囲気に圧倒されそうになる。


「それは違うっす!違います!けど…」


「けど?」


「先輩は全部知っているように見えるから。これから、俺がどういう道を進むのか、どういう選択があるのか…全部、その目が語っているように思えます」


「俺は人間だ。そんな神様みたいなことはできないよ」


「知ってますよ。先輩は神様じゃない…けど、鳥羽先輩は大人びいているので、どこか常世の物でない気がします」


 花江だったらすかさず「あなたは神様風でしょうに」と茶々を入れてくるところだが、風間は鳥羽を理解しきれていない。

 風間の率直な鳥羽に対しての印象だ。

 目の前にいるというのに、鳥羽はフィクションに近い想像の生き物のような気さえする。


「さっきの会話だって、まるで先輩は見てきたかのように話します。俺はただ昔の人が、昔にすがっているからアンティークなんて名前を出して、売り出そうとしている…くらいの見解しかありません」


 会話に意図はなかったにも関わらず、鳥羽は風間が何について悩んでいるのか手にとってわかっているように見えた。


「でも、鳥羽先輩はアンティークを懐かしむ品だと言いました。原点に返ることの大切さ、とか…」


「難しい話をしたね。でも、これは俺が好むくだらない会話だ。そんなに深く考えないでくれ」


 鳥羽はおもむろに立ち上がり、カメラの棚に手をかける。


「先輩、俺は…今、原点に戻りましたよ。元々、鳥羽先輩の写真に憧れて、文化部に入ったんです。今も、先輩の小型カメラとか、高そうなカメラを見て、正直ドキドキしています」


「それは良かった」


「でも…なんだか…自分が納得できないんです。俺が文化部に入った原点である先輩を目の前にしているのに…俺は違うものを期待している気がするんです」


「くだらないね。実にくだらない内容だった。けれど、面白い」


 鳥羽はくっくと腹の底から笑っていた。


「悩んでいても、しょうがない。実は、今日は編集作業へと入ろうとしていたんだが…ね。気が変わった!今日はお前の気が晴れるまで、外で撮影をしよう」


「え…いいんですか?早速、カメラに触っても…」


「ああ。と言っても、触れるのはこちらの安いデジカメだ。もっとうまくなってから、俺が使っているやつを貸してやろう」


 風間に一台のどこにでもありそうな小型のデジカメを渡す。

 初心者はまず構図から、といったところだろう。

 鳥羽は自らの小遣いで購入した一眼レフを手に取り、首にかける。


「落とすなよ」


「ありがとうございます」


 手のひらで握り込むデジカメを見て、鳥羽は風間の腕にデジカメの横から飛び出ている落下防止の紐を通す。


「先輩、どこ行くんですか?」


 ついてこいとはあえて言わない鳥羽。


「俺のお気に入りの場所だ。今日は自由にさせてやるから、お前も好きなところを撮ってこい。撮ってきたものを見てやろう」


「…じゃあ、俺もお気に入りの場所で撮影します」

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