第3話

 モモと共に酒場に戻ったアルドが見たのは、腹を抱える何人もの人々と、一人で治療にあたるネネの姿だった。

 ネネのこめかみから一筋の汗が落ちて、細い腕を伝っていく。


「ちょっと、一人でこの人数を診てたの!?」

「モモ…! 戻ってきてくれたの…!」


 ぱっと顔を上げたネネの表情は明るい。

 だが、汗だくの顔では疲労の色は隠せず、彼女がこれまで尽力したのは明確だった。


「それはいいから症状と治療経過の共有!」

「持ち込んだ食材に原因があったみたいで、食べた全員が食あたりのような症状。人が多くてまだ全員は診察出来ていないけれど、話を聞く限りはみんな同じ症状ね。ひとまず苦痛を和らげる術はみんなにかけたけれど、根本的な治療はこれからよ」

「了解。おばあちゃんは?」


 厳しくも頼もしさの感じる薬師の言葉に、姉もまた治癒術の使い手として答える。目の前に苦しむ命が必ず助けると決意している者同士の会話であった。


「それがぎっくり腰で来られないみたいで……」

「ええっ!? こんな時に……おばあちゃんは大丈夫なの?」

「自分でどうにかするとは言ってたみたい」


 言葉にしながらも、二人とも手は止めない。

 ネネの手からは治癒の光が溢れ、モモは大きなかばんから、いくつかの薬を取り出している。


「意識を失うほどの重症者はいないみたいね……原因はそこの料理? 毒のあるような食材はなかった?」

「毒のあるものは私の知る限りではないわ。ただ……」

「ただ?」


 ただひたすら二人の会話を追っていたアルドの目線が、妹モモで止まる。

 姉への医療者として信頼が見える。だからこそ、ネネが言い淀んだことへ、わずかな不安を感じたのだろう。わずかに表情が陰る。


「食べすぎると、その……便通が良くなりすぎる魚があったのよね」

「……なるほどね。あの魚なら痛みは和らげて、全てだしきっちゃった方がいいわね」


 不安は一転、安堵へ。

 言い淀んだのは、言い方への配慮。患者の中には女性もいた。あまりそういった状態に言及されたくない者もいるだろう、とアルドは彼女たちの気遣いに感心した。


「よし、使う薬は決まったわ。まだ診ていない患者は?」

「そっちの人がまだ診ていないわ」


 情報の共有ははここまでと、姉妹の視線はぶつりと切れる。

 それきっかけに、ようやくアルドは口を開く。


「……何か手伝えることあるか?」

「下手に手を出したら危ないわ。あなたもお腹を壊すかも」


 妹のモモが口早に答える。

 患者の苦しむ様子を見て、アルドはごくりと息をのんだ。戦いの最中、ひどい傷を受けることもある戦士である彼でも、腹痛などの日常的な苦しみはまた別格である。

 彼らと同じ症状が出たときの痛みと苦しみを想像して、思わず後ずさった。


「そ、そうだな……。そしたらオレは……おばあさんの様子を見てきたらいいかな?」

「ありがとう。あ、あとそれだったら、作り置きしておいた薬を持ってきてくれないかしら。たぶん十分だとは思うけれど、もしものためにね」


 ありがとう、の声だけがわずかに明るい色を帯びて、その後は事務的に。

 さらさら、とメモを記し、アルドへ手渡す。


「必要なものはこれ。治療院の誰かに場所はわかるはずだから」

「わかった。急いで行ってくる」


 アルドも端的に返して、すぐに酒場を飛び出す。

 非常事態とは言え、姉妹はひとまず協力している。患者にとっては不運だったが、姉妹にとってはもしかしたら幸運だったかもしれない、とひそやかに思いながら。







 酒場を飛び出したアルドは、姉妹の祖母がのんびりと噴水に腰かけているのを発見して、ぎょっとした。


「えっ!? おばあさん、なんでここにいるんだ!? ぎっくり腰じゃあ……」

「まあまあ。ちょいとここにお座りよ」

「だ、大事ないんだったら、よかったけどさ……」


 老婆に、痛みを我慢している様子などはない。

 なにがなんだかわからないまま、アルドは彼女の隣に腰を下ろす。


「ネネとモモは、上手くやっていたかい?」

「上手く…仲直りしたかどうかはわかんないけど、協力して治療していたよ。おばあさん、二人を手伝わなくていいのか?」


 急いで行ってくると言った手前、アルドも急いていた。

 患者は命に別状はないようだったが、腹痛の痛みというのは本当に辛いものである。


「わたしが手伝えば、いくら経ってもあの二人は互いが必要なことに気づかないからね」

「も、もしかして……ぎっくり腰って言うのは……嘘?」


 ほほ、と老婆は笑った。

 穏やかで善良なのだが、少し意地の悪い笑みだった。


「二人を仲直りさせるためとは言え、患者さんを放っておくのはよくないんじゃないか」


 感心しないな、と言外に付け加えて、アルドは険しい顔をした。

 そのアルドに、返ってきたのはまたもや笑み。


「わたしが死んだら、二人でやらなきゃいけないんだ。どうか目をつぶっていてくれないかい」

「……おばあさん、もしかして」


 突如出て来た死という言葉に、アルドは冷や汗をかく。

 見ず知らずのアルドに姉妹のことを頼んだことといい、もしかして彼女に残された時間は少ないのではないかと。


「いやね、死ぬ予定がある訳じゃないよ。ただね、年を取ると……人の死と、残された者の未来について考えることが多くなってね」

「……そっか。正直こういう嘘はよくないとは思うけど……オレは許す許さないって言う立場じゃないし、わざと話をややこしくするようなことはしないでおくよ」


 その嘘を許すか許さないかは、姉妹と、患者たちが決めることだ。

 あくまでメッセンジャー、旅人の立場でアルドはそこまで入り込んで怒ったりする気にはならなかった。それに、人の為を思ってやったことが、悪い結果ばかり引き起こす訳がない、とアルドが信じたいからでもあった。


「ありがとう。やっぱりあんたに相談してよかった。こう見えても人を見る目には自信があるんだ。モモからこれを頼まれているだろう。もっておいき」

「……すごい、ほんと一緒だ」


 見事な一致は、孫の見立ても、それを予見した老婆も、確かな腕前なのだと確信させるものだった。


「あの子の腕前は、もう私に引けを取らないぐらいなんだ。……あの子自身が、それをわかっていないのは歯がゆいがね」

「伝えてあげてやってよ。拒否されても、何度でも。家族って、そういうことを何度でも言っても足りないぐらいなんだからさ」


 アルドの言葉に、老婆は目を見開いて驚いたようだった。

 何歳も年下のアルドに諭されたことか、それともその言葉が年頃の青年が口にするには照れくさいだろう、真っ直ぐすぎる愛情に溢れたものだったからか。あるいは、その両方か。

 こぼれるような笑みを浮かべ、老婆はアルドの右手を包み込むように握った。


「ほんとに、私の見る目は確かだったようだね」

「おばあさんから見て、オレはどんな風に見えた?」


 純粋に不思議に思って、アルドは問うた。


「底なしのお人よし」

「ハハ……」


 何となく予想はしていた答えだった。仲間にも言われた言葉だ。けれど、性分は仕方がなく、それに呆れつつも付き合ってくれる仲間たちを、アルドは何よりも失いがたく思っている。


「それに……優しすぎる顔をしている。同業者には、そういう顔をした人間は……誰もを救おうとして、潰れていった者もいたよ」

「大丈夫だよ。オレには仲間がいる」


 強く、強く言い切った。共に戦う仲間がいる。叱ってくれる仲間がいる。そして、受け止めてくれる仲間がいる。待っている人がいる。また会いたい人がいる。

 人と繋がりを持っている限り自分は大丈夫だと、アルドは信じている。


「あと、ネネさんとモモさんには、互いがいるだろ?」

「ああ、そうだね。……ずっと、互いに側にいて欲しいね」


 そして、老婆が心配しているのは姉妹のことだろうと言葉を加える。

 少し付き合っただけのアルドでもわかる。姉妹は二人とも、見返りがなくとも、苦しむ人がいれば、寄り添おうとするに違いない。


「きっとうまくいくよ」


 まだ、何の確証も得られた訳ではないが、アルドは力強く言って、酒場へと戻っていった。

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