第32話 一ノ瀬和也は合流する

音杏のあ~、ただいま~」

「あっ、やっと帰ってきた」


 桐ヶ谷きりがやたちと合流するやいなや双葉ふたばはダッシュで桐ヶ谷のもとに走って行って抱きついた。さっきまでの思い話が嘘のような元気ぶりだ。それは双葉が幼稚だとか、脳天気だということではない。桐ヶ谷に心配をかけたくないとかそこら辺の理由だろう。


「私がいなくてさみしかった? 寂しかったよね! 寂しかったって言ってー!」

「はいはい。莉音りおんがいなくて寂しかったよ」


 何なんだこいつらは? 俺たちの前で繰り広げられている無残な光景は一体何だ? 俺はLGBTを容認する側の人間だ。自分の信念を突き通すことはいいことだ。


 だが、そんな俺でも目の前の光景にはめまいを感じてしまう。陽キャどもは全員こんな感じなのか? それならやはり俺は俺の道を行く。


 ちらっと九条くじょう志波しばの方を見た。俺と同じで嫌悪感をいだいているかと思ったら、逆に少しうれしそうな表情をしている。なんなんだお前らは? こんなものを見せられてどうしてそんな反応ができるんだ?


 喜んでいると言うよりも、ほのぼのしている、やされているといった方が適切かもしれない。どちらにしても俺には理解しがたい事実だが。


 そんなことを思っていると、桐ヶ谷が俺の方を見て顔を少ししかめた。おそらく、心の声が顔にでも出ていたんだろう。別に隠す気もなかったが。


「何?」


 桐ヶ谷が俺に聞いてきた。さすがにしてやっている俺に向かってその態度はないんじゃないか? しかも、俺はお前のせいで絶賛ぜっさん迷惑中なんだが!


「特には何も。ただ、何を見せられているんだろうなと思ってな」

「おい! 桐ヶ谷さんに向かって失礼だろ!」


 俺の言葉に反応したのは桐ヶ谷でも双葉でもなく、九条だった。しかも変に大声を出しただけでなく、俺の方に向かってきている。その顔が怒りにゆがんでいるのは言うまでもないだろう。


 九条が俺と腕一本分の距離に来た。俺はおくすることなく九条の目をまっすぐに見る。挑発する意味ではなく、負けたくないという競争心でもなく、ただただそんなことを無駄なだけだと理解させるだけだ。


 こういうやつらはときたま感情に左右されて動くことがある。九条の場合、今だろう。少しのあいだ見ていただけでもこいつがの信者であることは明白だ。ちなみに志波も。


 そんな信者が自分たちの崇拝すいはいする女神様をけなされたのだ。それは怒り狂っても当然か。もっとも、そんな宗教もどきに入っていること自体が狂っているが。


 だが、俺の意志に寄らず、九条は俺の行動を挑発と捉えてしまったらしい。

 九条が俺の胸ぐらをつかんでくる。これで何度目だ・・・・・・最近こんなことしか起こっていない気がする。それもすべて桐ヶ谷のせいだが。


「謝れ!」

「何に対してだ?」

「桐ヶ谷さんたちが何しようと自由だろ! お前の発言は侮辱以外の何ものでもない!」

「俺がどう思おうと俺の自由だ。お前の言動は俺の自由を奪おうとするもの以外の何ものでもない」


 九条の顔が紅潮こうちょうしていく。やれやれ、好きなやつのためにそんなに感情的になれるのか。よほど好きなんだろうな。だが、残念なことにそれは恋愛感情ではなく、ただの信仰心だ。俺には関係ないが。


「九条! やめておけ!」

「九条! イッチーを離して!」

「うるせぇ!!!!」


 九条が二人の静止に耳を貸すことなく、俺の胸ぐらをつかんでいる手とは逆の腕を後ろに引いた。まるで何週間前の繰り返しだな。


 俺は一発食らうのも嫌なので、右手で牽制を入れ――


「だめー!」


 る前に桐ヶ谷が俺たちの方に走って来るのが横目で見えた。九条がぎょっとした表情で桐ヶ谷の方を見る。そのすきに九条の手から逃げようとしたが、またしても桐ヶ谷が先に俺たち二人を地面へと倒した。


 これで俺たちが崖のへりか山の斜面のそばに立っていたら面白かったのだが

そんなこともなく、普通に転んだ。


 だが、普通にと言ってもそこは山の地面。アスファルトでこけるようなひどい切り傷は負わなかった。


「いてててて」

「音杏ー、大丈夫?」

「うん、足をちょっと・・・・・・」


 体を起こして見ると桐ヶ谷きりがやが右足首をさすっていた。その顔も痛みのせいか、しかめて見える。


「桐ヶ谷さん、大丈夫?」

「ごめん。


 そこに志波と九条が便乗びんじょうする。これだけ早く立ち上がることができるとは普通に驚きだ。


 それにしても「俺たちのせい」とはな。百歩退いて九対一でお前のせいだろ、となすりつけあいをする気はサラサラない。そんなことに固執こしつするのは阿呆のすることだ。


 俺はリュックを下ろして中からポーチを取り出す。そしてそれを持って立ち上がり、桐ヶ谷の方に歩いて行く。


「九条、志波、どけ」

「は? お前、こんなときにけんか売ってんのか?」


 面倒くさい。けんかを売っているのはお前だけだろ。俺を変なことに巻き込むな。


「お前がどう思おうと知らないが、お前たちがそこにいても何もうまない」

「「何を!!」」


 今度は二人そろって俺につっかかってきた。俺の言い方が悪いのか? それともこいつらの理解力がとぼしいのか? 一応、両方としておこう。


「はぁ、ならお前らは桐ヶ谷の応急処置ができるものを持っているのか?」

「うっ、それは・・・・・・」


 反応したのは志波だ。


「言葉は心の奥底に響く。それ故に言葉は人を深く傷つけ、温かく救うことができる。だが、今の桐ヶ谷に必要なのはねぎらいの言葉でも、愛のささやきでもない。物理的な治療だ」

「志波、九条、イッチーに場所を変わって」


 で志波と九条が渋々場所を動いた。俺の横を通り過ぎるときに舌打ちをしたのは何かの挨拶か何かだと考えておこう。

 俺は桐ヶ谷の許に歩み寄る。


「イッチー、ありがとう」

「俺は何もしていない」


 俺は桐ヶ谷の右足付近にしゃがんで、ポーチの中からテーピングとはさみを取り出す。


「お前は何をしているんだ?」

「言葉は人を深く傷つけるんでしょ」


 ・・・・・・なるほど、そう来たか。どうやら桐ヶ谷も脳で考えるということができるようになったらしい。多少は、という言葉を付け足しておくが。


「はぁ、足首を見せてみろ」

「このくらい、大丈夫」


 桐ヶ谷の顔をちらっと見ると、わかりやすくそらされた。仕方なく俺は桐ヶ谷の右足を少し動かした。案の定、わかりやすく顔をしかめる。


「強がるのは医療という技術を持たず、群れを心配させまいとする動物だけだ。知能を持つお前が強がるなど意味不明だ」

「・・・・・・」


 桐ヶ谷の無言の返答を、俺は「わかった」という意味だと解釈した。

 桐ヶ谷の右足を伸ばして、足首が直角になるようにする。そして、外くるぶしにテーピングを貼り、内側から足の裏に、外側から足の前を通るようにして貼っていき・・・・・・


「へぇ、上手」

「お前に褒められたところでうれしくもなんともない」

「普通にありがとうって言えないの?」


 社交辞令に対していちいち「ありがとう」というようなよそよそし仲ではないだろ。


「でも、ホントー。イッチーってテーピングうまくない? 女テニの人と比べても同じ、ううん、多分一番丁寧で早いと思う」


 双葉まで。いくら九条や志波がいるからと言っても、俺を褒めたところでこいつらの異常な信仰心が緩和するとは思わないがな。


「一ノ瀬、どこで覚えたの?」

「まぁ、昔な」

「昔って?」

「・・・・・・昔は昔だ」


 と言ってもそれほど昔ではない。俺が中学のときだからな。


 お前らにはわからないだろ。何をしたわけでもないのに変なやつらに絡まれ、打撲云々うんぬんを日常的に起こし、それを自分で処置してきた俺のあの頃の日常を。その中でつちかわれてきたものを。

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