第22話 一ノ瀬和也は見送る

 俺は三波みなみの後ろ姿を目で追っていた。のではない、のだ。あいつは確かに「面白くないですね」と言った。それが俺に対してなのか、三波自身なのかはわからない。


一ノ瀬いちのせ、大丈夫?」


 桐ヶ谷きりがやの言葉で俺は後ろを振り返っていた顔をと桐ヶ谷の方に戻した。早く戻さなかったのは未練みれんが残っていたからではなく、ただただ面倒くさかったからだ。


「へぇ、一ノ瀬でも心愛ちゃんに見とれたりするんだ」

「お前の足りない脳みそならそう思うのも無理ないかもな」

「足りなくないし! これでも春高はるこう受かってるし!」


 こいつの言う「春高」とは、某スポーツ大会のことではなく、俺の通っている「春葉咲はるはさき高校」の略である。春高はこのあたりでは意外と有名な進学校である。


 俺のいた中学から行くやつはほとんどいない。と言うのも、実は春高は中高一貫であるため定員が少ない。中高一貫と言っても、敷地しきちがまったく別の場所なのでそんな気は感じない。


 さらに言うと、学年の三分の一しか中学上がりがいないのでそんなに中高一貫感を感じない。俺は言うまでもないが高校からだ。と言うことは自動的に寧々ねねもということになる。


 桐ヶ谷の言い方だと桐ヶ谷も高校からだろう。と言うことは自動的に双葉ふたばも高校からということになる。なぜ双葉が桐ヶ谷と同じ中学か知っているかというと、最近双葉が「中学から仲いーんだよねー」と言っていたからだ。


 だが、仮にも春高に受かったやつがあんな小学生でもわかるような魚の種類を間違えるか、普通? どう考えてもカンニングか不正入学だろ。


「何?」

「いや、バカでも春高に受かるんだな」

「そ、そんなにバカじゃないし!」

「それをさっき魚を間違えたやつが言うか?」


 桐ヶ谷がすごみの目で俺をにらんでくる。もっと頑張ってみろ。それはただ眉間にしわを寄せて目を細くしているだけだ。もっとみたいに冷たい目をしろ。


 さっきまでは水族館の話題を出すのがはばかられたが、これだけ回復したのなら大丈夫だろう。それよりも。


「さっきの三波ってやつは誰だ?」

心愛ここあちゃん?」

「他の三波がいたか?」

「確認しただけじゃない! もう、知らない!」


 そうさけんで桐ヶ谷は顔を俺とは反対方向に向けた。

 面倒くせぇ。ぐにこうやってわーわーわめくやつの脳の中を知りたい。一体どういう思考回路をしたらこんな風になるんだ?


 ともあれ、これじゃあ聞けなくなったな。まぁ、知らなくても平気だろう。俺の平凡へいぼんで平和な学校生活をこわそうとしない限り関わらなくていい。


「心愛ちゃんは春高の四天王の一人よ」


 へそを曲げたと思われた桐ヶ谷が意外にも説明を始めた。気まぐれなやつはよくわからない。


「あっ、お礼で教えてるだけだから」


 本当にへそを曲げてしまったようだ。声がぶっきらぼうになってしまった。だからどうしたということもないんだが。


「一年か?」

「うん」

「どんなやつだ?」

「誰にでも分けへだてなく、とまではいかないけど結構誰にでも話しかけるタイプ。男子からの人気は結構あるみたいだけど、一部の女子からは少し敬遠けいえんされてみたい」


 距離感の取り方がざつでいい顔しい。猫をかぶりすぎて周りの女子からうとまれている、青春という阿呆な時間を全力で生きている阿呆。そういう解釈でいいな。


「それで、本当はどんなやつだ?」

「さっきのが印象のすべて。それ以上でも、以下でもない」


 はぁ、陽向ひなたでしか過ごしたことのないやつはこれが限界か。おそらくこの先は寧々ねねの領域だろうな。まっ、絶対にあいつには聞かないが。


 面倒くさそうになってから対処すればいい。それより俺の問題の優先順位は桐ヶ谷、寧々の順で深刻だ。こっちを先に片付けなければならない。見えないこまと戦っている暇などない。


 後味の悪い終わりになったが、総合的に見るとやっぱりいい気分転換にはなった。月に一回くらいならこういうことをしてもいいかもな。・・・・・・やっぱり半年に一回。


 時間もそろそろ夕暮れだ。が初デートは二、三時間が理想的みたいなことを言っていたが、四時間半くらいか。途中に色々あったからしょうがないと言えばしょうがないが。


 にしても二、三時間は長くないか? そんなに他人のために時間を使うなど暇人のすることだ。やはり一人がいい。その方が絶対にらく有意義ゆういぎだ。よくもまぁ、こんなことを世の中のはやるな。


「桐ヶ谷、そろそろ帰るか?」

「・・・・・・うん」


 一瞬考えるような間ががあったが、桐ヶ谷は俺に顔を向けることなくうなづいた。何を考えたかくらいわかる。俺に多少なりとも恩ができてしまったと思っているのだろう。


 一応俺も「貸しにしておく」という言葉を使ったが、正直に言って貸しやら借りやらは嫌いだ。面倒な上に、そんな昔のご恩と奉公みたいな関係を作る必要があるんだ?




 俺は桐ヶ谷と一緒に最寄りの駅にいた。この辺りはそれほど職場があるというわけでもないのであまり混んでいない。その桐ヶ谷きりがや対峙たいじしていてもとがめられない。


「送らなくていいんだな」

「うん。途中で買い物に寄るから」


 と言うことで桐ヶ谷とはここでお別れだ。ならこのことを悲しむべきなのだろうが、俺たちはなので悲しまない。悲しむはずがない。


 桐ヶ谷が俺に背を向ける。そのまま歩き出す、と思ったがなかなか動き出さない。


一ノ瀬いちのせ、その、ごめん。最後の最後にすねた真似まねして」


 そのことか。俺がそんなことを気にすると思うか? それよりもそのひどく悲しんでいるような声を出される方が俺的には困るんだが。


「はぁ、んなことか。気にする必要はない。


 俺がを言うと桐ヶ谷は振り返った。その目がうっすらと湿しめり気をびていることはせておく。


「そんなこと、言う人じゃないじゃん」

「俺を極悪非道な人間か何かと思っているのか? なら残念だが、俺は人の心はある。じゃないとお前になどしない」


 俺はその台詞を言い終わると後ろを振り返って歩き出した。これ以上ここにいても何もうまれない。うまれたとしても無駄な時間だけだ。


 ただ、俺の耳にはしっかり聞こえていた。桐ヶ谷の「ありがとう。ありがとう」という言葉が。俺の言われた言葉ランキングで下から数えた方が早いような言葉を二回も。


 それでも、俺の心は、想いは、感情は、まったく動くことはない。この程度で、俺は道をあやめたりはしない。


 俺は己が身の丈を知らないようなそこらへんのやつらではない。

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