第20話 桐ヶ谷音杏は手を繋ぐ

 怖かった。本当に怖かった。一ノ瀬いちのせが私のところから離れていってようやく顔を上げたとき、年上そうな男の人が三人近づいているのが見えた。


 最初は単純に休憩しに来てるんだろうな、って思ったけど私の方を見ながらニヤニヤしているのを見て違うと思った。その瞬間、得体えたいの知れない恐怖におそわれて足がすくんでしまった。


 あんなことドラマとか小説の中の話だと思ってたからまさか現実に起こるとは思っていなかった。しかも自分が対象になるなんて夢にも思っていなかった。


 私は夢見る少女ではない。だからスーパーヒーローとか王子様が自分の窮地きゅうちを助けてくれるなんて思っていない。あのときも警備の人か誰かが助けてくれると思っていた。


 だから、一ノ瀬いちのせが、あの一ノ瀬が助けに来てくれて驚いた。驚き過ぎて夢を見ているんじゃないかと思った。と言うか一瞬、ホントに誰? ってなった。


 一ノ瀬があんな場面で出てくるとは思わなかった。普段の感じからああいうときは人任せにして、自分は関わらないっていうのが一ノ瀬だと思っていた。


 あの人たちがいなくなってほっとして涙が出たからだ。別に意外な一面にかれたわけじゃない。そんなはずはない。涙のせい。そのせいだ。それ以外に一ノ瀬がキラキラ輝いて見えた理由なんて思いつかない。


 今手を繋いでるのも、好きだからじゃなくて、安心したいから。一緒に公園を歩いてるのも誰かと一緒にいたいから。その誰かが別に一ノ瀬じゃなくてもいいはず。鼓動が少し早い気がするのもさっきのやつがあるから。そのせい・・・・・・


桐ヶ谷きりがや、ちょっと休憩きゅうけいするか?」

「え、あ、う、うん」


 一ノ瀬が少し先にあるベンチを指さしながら言った。それにぐに反応できなかったせいでまた戸惑ってしまう。


「あっ・・・・・・」


 でも、戸惑ったのは私だけではなかった。なぜか一ノ瀬が小さな声を出して立ち止まった。その反応を感じ取って私は逆に冷静になった。

 何を一ノ瀬が悩んでいるのはなんとなくわかる。多分私のために悩んでいるんだ。


「はぁ、そこまで気をつかう人じゃないでしょ。さっきのがあるからベンチはやめておいた方が、なんて思うのはらしくないよ」

「黙れ。そんなことは一切思っていない」

「ほんとー?」

「元気そうだな。俺はさっきの説明で疲れてるんだ。ほら、行くぞ」


 そう言うと一ノ瀬は私の手を離してベンチに向かった。手を離した理由が私から離れたかったからか、それとも私がもう大丈夫だと思ったからかはわからない。


 さっきの説明とは警備の人に対する説明のこと。その説明はことの成り行き、つまり私が男の人に絡まれたところまでは私が説明し、その後は一ノ瀬が説明したので割合として二対八くらいの割合で一ノ瀬の方が多い。


 私は先に行く一ノ瀬の後ろを追おうとして立ち止まった。そして、ベンチのある方向とは逆にあるクレープの屋台に向かった。


 本当なら好みとか聞いた方がいいのかもしれないけど、ドッキリということで。一ノ瀬なら「いらん。こんなチャラチャラした物の何がいいんだ?」って言うかもしれないけど、それはそれで面白い。


 あと、単純に、お礼もしたいし・・・・・・


――ブー。


 私の歩みはスマホの振動によって止められた。誰からだろうと通知画面を見るとそこには「一ノ瀬」と表示されていた。私は慌てて後ろを振り返ったが、一ノ瀬は私の方を見ることなくベンチに向かって歩いている最中だった。


 私はわけもわからずPINEのメッセージを見た。


――何でもいい。ただ無難なやつを選べ。


 ・・・・・・え? どういうこと?

 私はもう一度一ノ瀬の方を見た。私の方を振り返った様子はない。だって私がクレープの屋台に向かって歩き出してぐにメッセージが来たんだから、私が反対方向を向く前に私の方を振り返る前兆ぜんちょうか何かがあってよくない?


 私は不思議に思いながらも、思考をあきらめてメッセージをうった。


――り。


 そしてクレープの屋台に向かって再び歩みを進める。絶対マイナーなやつ選んでやる!




「はい。一ノ瀬の」

「ありがと・・・・・・」


 私は一ノ瀬の後ろからクレープを渡した。そのクレープを見た一ノ瀬は驚いた、と言うよりも拍子抜けと言う方がしっくりくる顔をした。


 そのことに反応せずに私は一ノ瀬の横に腰掛ける。私たちの前方には楽しそうにはしゃいでいる子供たちや、ひなたぼっこしている大人、デート中と思われる若者まで幅広い年齢層の人がいた。


 この公園はウミ水族館の隣に作られているだけあってデートスポットとしても人気だが、大きさから多くの人のいこいの場として有名である。


 私は買ってきたバナナとチョコレート、それにホイップクリームの入ったクレープを一口食べた。甘そうな組み合わせだけど、チョコが少し苦めで、ホイップクリームの甘さも控えめなので全体的にみるとちょうどいいバランス。


「って、食べないの?」

「いや、お前ならひねくれたのを買ってくると思ったがまともなのを買ってきたのが驚きだと思ってな」

「私、一ノ瀬みたいにひねくれてないんですけど」

「俺よりも十分ひねくれてるぞ」


 一ノ瀬以上にひねくれてるやつなんてこの世にいるわけないでしょ! 難癖なんくせつけて、いちいち人のことを馬鹿にする人以上にひねくれている人を私は知らない。


 私が一ノ瀬に買ってきたのはイチゴとホイップクリームのクレープ。本当のことを言うと私は一ノ瀬の言う通り最後の最後までから揚げとホイップクリームのクレープにしようか迷ったけど、それを選んだらお礼の意味がなくなるかもしれないと思ってやめた。気になるけど・・・・・・


「いいから食べたら? 変な物とか入れてないし」

「そうだな」


 一ノ瀬がクレープを一口食べる。なぜかその様子を見てしまう。別に私が作ったわけでもないのに味が美味しいかどうか気になってしまう。きっとお礼が成功したかどうか気にしているのだと思う。


「ど、どう?」

「うまいが、お前が作ったんじゃないだろ」


 知ってます! わざわざそんなことは言わなくても知ってます! 作った物じゃなくても美味しいかどうか気になるってさっき言いました!


 やっぱり一ノ瀬だ。ウザい、ウザすぎる。

 あっ、そんなことより。


「どうして私がクレープに行くと思ったの?」

「桐ヶ谷は読みやすいからな。俺に助けてもらった、何かしたい、散歩中にクレープの屋台を発見、買おう、となるくらい俺にでもわかる。まぁ、ここに来るまでお礼できる物がなかったからどうするかわからなかったけどな」


 へぇ、私ってほとんど初対面の人に行動が読まれるくらい単純なんだ・・・・・・って危なくない? そうでもない? ならいいんだけど。


「あっ、そうだ」


 一ノ瀬が何やら鞄をさぐり始めた。

 そして中からペットボトルのコーヒーとオレンジジュースをとりだして、私の方にオレンジジュースを差し出してきた。


「向こうで買ったやつ。まさかクレープを食べるとは思わなかったからこれにしたが、コーヒーの方がいいか? ホットだが」

「ううん。オレンジジュースで大丈夫」


 ホットなんだ。まぁ、まだ晩春、初夏だし、そんなに熱くないからわかるにはわかるけど、ホットなんだ。


 しかもオレンジジュースって、

「私がオレンジジュース好きなの、誰かから聞いてた?」


 これを偶然と考えることももちろんできるけど、一ノ瀬なら何か考えがあるのではないかと思ってしまう。


「いや、誰からも聞いてないが。まぁ、この前のファミレスでほとんどオレンジジュースを飲んでたからな」

「あー」


 覚えてるんだ。あんなちょっとしたことでも覚えてるんだ。怖さ半分、尊敬半分って感じの気持ちかな。


 私はオレンジジュースのキャップをはずして飲んだ。確かに甘いと甘いだけど、このクレープなら問題ないかな。


 心の中で「はぁ」とため息をつく。ようやく心が落ち着いてきた。色々あったけど、一ノ瀬のことを少しはわかったかもしれない。


 ありがとう、一ノ瀬。私も少しはあなたのことを見習みならわないといけないのかもね。

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