第5話 生きた時間

 時間はゆっくりと、でも確実に進んでいた。


 小学生だった僕も、中学生になり、今年の春、高校生になった。

 高校生になって、運動部に入り、クラブ活動が忙しくなり、前よりクロと遊ぶ時間は少なくなった。


 でも、夜遅く部活から帰ると、駐車場で待っているクロ、その頭を撫でる僕、それはずっと変わらなかった。

 春から夏、そして秋、僕の町が、冬に入ろうとする十一月に、僕の考えていなかった事が起こった。


「どうしたの?」


 僕が玄関で靴を脱いでいると、玄関の廊下にダンボールがあった。

 その中をのぞき込むと、クロが身体を丸めて寝ている。

 僕の姿を見たクロは、目で僕を追ってはいるが、いつものように立ち上がったりはしなかった。

 お母さんが玄関に出てきて、僕に事情を話してくれた。


「今日、駐車場の隅で丸くなっていたから、家の中に入れたの」

 僕は、クロの頭を撫でながら言った。

「そう……何かの病気なのかな?医者に連れていく?」

「ちょっと、様子を見てからね」


 元気がないクロを見て僕は心配だったが、部活を終えて、お腹も減っていたので、立ち上がり、居間へと歩き出す。


 夜、寝る前に黒砂糖を持って、玄関のクロに会いに行く。

 やはり、身体は起こさず、僕を目で追うクロ。黒砂糖を口に運ぶが、少しなめただけだった。クロと会った時は、小学生だった僕、今は高校一年。

 あれほど大きく感じたクロは、小さくなっていた。


「明日、医者に連れて行くからな」

 初めてのクロの病気。

 僕は部活を休んで、クロを医者に連れて行くことにする。

 お父さんに車を出してもらい、知り合いの隣町の獣医へと、クロを連れて行った。


 車の後ろの席で、僕はクロを抱える。

 小さい頃、大きくて力が強かったクロに、小川に落とされた事が思い浮かぶ。

 その事を口にすると、今日は口数が少なかったお父さんが笑った。


「クロに川に落とされた……裕太が怒りながら帰ってきたな」

 僕も明るく答える、車の中の空気が、それが嫌な考えに繋がるからだ。

「もう、ビショビショだったよ……あの頃は楽しかったなあ」

 お父さんがバックミラーでチラリと僕を見る。

「今は、楽しくないのか?」

 すぐに首を振った僕。

「ううん、楽しいよ。友達も増えたし、部活も大変だけど楽しい……でも」

 またバックミラーで僕の顔を見たお父さん。


「クロって……こんなに軽かったっけ……」


 お父さんは少し間を置いてから答えた。

「それは裕太が大きくなったからだ……」

 二人の言葉の最後が頼りない……その後はあまり話さないまま、隣町の病院に着いた。


 先生が、クロを見ている間も、クロはぐったりとしていた。

「大きな傷跡がある……あの時の犬か」

 立派なあごひげを生やした、身体の大きな先生は僕に言った。

「ええ、僕がまだ小学生の頃、車に轢かれて、傷だらけでした」

先生は、診療用のベッドに横たわるクロの頭を撫でた。

「この犬はその時に、命を拾われたんだな」

 頭を撫でられたクロは、先生を見ていた。


「大きなケガをして、今までよく生きた」

 先生の言葉、それは僕が車の中で思っていた事と重なるものだった……だから直ぐに分かった。


「クロは……死ぬのですか?」

「ご飯を食べる力も残っていない。身体も痩せて力を失っている」

「点滴とか、薬を打ってください」

 僕は懸命に頼んだ……でも先生は首を振る。

「もう寿命なんだ。少しは力が戻るかもしれないが、もう元通りにはならない」

「一日でもいいです、お願いします」


 先生は僕の言葉に、お父さんの方を見た。

 お父さんも「お願いします」と頭を下げた。


 クロは点滴をしてもらい、一時間後、また僕に抱かれ、家へ帰る車の中だった。

 しばらく、エンジンを止めていた車の中は、冷たく寒かった。

 クロは震えていた、雪が降っても、嬉しそうにしていたクロが、プルプルと震えていた。


「お父さん、クロが寒いって……」


 お父さんは、車のヒーターのスイッチを入れてくれた。


 その日、クロを家の中に入れて寝せた。

 古い毛布を詰めてクロを囲い、寒くないようにした。

 点滴が効いたのか、僕を見るクロは少しだが、力が戻った感じがした。

 突然、具合が悪くなったのだから、突然、元気になっても良いはず。


 僕の都合のいい考え、でも、少し元気になったクロを見て、少し安心していた。

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