新しい世界

志穂は、新しい世界で,しばらく,夢のような日々を過ごした。海中の景色,深海の不思議な生き物たち,海中を器用に泳ぎ回る新しい体,姉が聴かせてくれる志穂の記憶にない両親の話,何もかもが新鮮だった。


しかし,どんなに時間を共有しても,実姉の佳穂と家族になれる自信はなかった。どんなに一緒に過ごしても,本当の家族の話を聴かされても,家族愛みたいなものは、一向に芽生えない。それどころか,不信感が募る一方だ。


姉は、志穂の話を聞こうとしないし,志穂が人間の親の話をすると,佳穂は、すぐに,ふてくされた態度を示し,

「それは,家族じゃない。」と志穂の気持ちを無神経に否定するのである。


志穂は、この姉の態度が腹立たしかったが,姉の態度が間違っているのか,自分の気持ちが間違っているのか,いまいちわからなくて,常にこの点に悩まされながら過ごすようになった。


気持ちのモヤモヤの原因は,自分のこれまでの人生を否定する態度だけではなかった。何も言わずに,すぐに戻るつもりで,家を出て行ったあの日から,気がついたら,もう何週間も経ってしまっていた。父親が心配して自分の帰りを待っているに違いない。もしかして,警察に捜索をお願いしているのかもしれない。


「父親」と呼んだら,姉に怒られるだろうけれど,志穂にとっては、姉が一生懸命聴かせてくれる話の中の人魚の親ではなく,自分を育ててくれた人間の親こそが,本当の親に感じてしまう。正直,実姉を「姉」と呼ぶのは,まだ違和感を感じる。この自分の気持ちは,自分ではどうしようもなく,変えられないものだし,変えたくもないと思った。


本音を言うと,今すぐにでも,父親の元に戻り,安心させ,母親と祖母の思い出を胸に,前の暮らしの続きがしたいと思った。ただ,体を人間に戻す方法を,志穂は知らない。姉の佳穂は、知っている。しかし,普通に尋ねても、教えてもらえそうにないので、志穂はどうしたら姉を騙し,人間に戻る方法が聞き出せるか,常に姉の様子を伺い,考えるようになった。


姉を騙すと決めても,志穂は,不思議なことに,罪悪感に悩まされることはなかった。理由は、自分も,騙されたからだ。姉に騙されて人魚になってしまった以上,人間に戻るために,姉を騙しても責められないはずだ。志穂は、自分にそう言い聞かせて,自分の中で,正当化しようとした。

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