騙し合い

「お姉ちゃんと再会して,本当の自分になれてよかった!でなければ,ずっと嘘の家族と嘘の人生を送っていた。想像するだけで,ゾッとするわ。」

志穂は、佳穂の前では,こういう風に話すことにした。佳穂に,自分は、陸の生活に未練がないと安心させ,油断させるための作戦だった。


佳穂は、志穂の態度が変わったのを見ると,素直に喜び,志穂の演技を見抜いている気配はなかった。


志穂がよく,佳穂の前で歌を歌うようになった。佳穂は、妹の歌声を聴くと心底から感動し,「上手!」と褒めてくれた。志穂が姉に,陸の学校で合唱団に入っていたことを説明した。佳穂は、この時に初めて,妹の陸の思い出話を拒絶反応を見せずに、熱心に聴き入ってくれた。


ある日、とうとう,志穂が姉に尋ねてみた。

「お姉ちゃんが,私を魔法で人間にしたって言ってたでしょう?どうやって,そんなこと出来たの?」


佳穂は、警戒している様子が微塵もなく,

淡々と説明した。

「宝石珊瑚には,特別な力があるから,群生地を探し,珊瑚の中の力を刺激するために日光を浴びせた。太陽光に温もられ,刺激された珊瑚を人魚の尻尾に擦り付けると脚に変わると聴いていたから,そうした。そして,最後に,私の声を吸い込ませた。簡単だったよ。

群生地も,このすぐ近くにあったし。」


「え?どの辺?」

志穂が相槌を打つ延長線で訊いてみた。


「見たい?今度,連れて行ってあげる。」

佳穂が志穂を少しも疑っていない屈託のない口調で言った。


数日後に,姉が例の宝石珊瑚の群生地を案内してくれた。深海の洞窟の中だった。


志穂の興味津々で珊瑚を眺めている姿を見て,佳穂は、突然尋ねた。

「本当は、なんで,ここに来たかったの?」


佳穂の口調も,表情も鋭くて,怖いものだった。


「え?」

志穂が姉の態度がいきなり豹変したことに戸惑い,たじろいだ。


どうやら,佳穂の志穂に対して見せた安心している様子は,志穂の陸への未練を捨てた様子と同じく,芝居だったようだ。佳穂は、屈託のない表情を見せながら,とっくに志穂の魂胆に気付き,ずっと,心の中で自分を騙そうとしている妹を恨み,忌々しく思っていたようだ。素直な姉のことだから,簡単に騙せると軽視していたら,実は,姉の方が上手だったという訳だ。


「私を騙せると思ったのね?」

佳穂が内心の憤りを顔に出して、尋問を続けた。


しかし,志穂は、弁解するつもりはなかった。何を言っても,きっと,姉には,自分の気持ちはわかってもらえない。だから,騙すしかないと諦めたのに,この展開になって,皮肉だと思った。


「家族を騙すなんて,酷すぎるわ!あなたには,家族思いというものは,知らないの!?やっぱり,人間に育てられたから,ダメだ!完全に堕落している!あなたには,その珊瑚を絶対に使わせないわ。」

佳穂が洞窟の出口の方へ,少しずつ退きながら、脅すような口ぶりで,志穂を戒めた。


しかし,志穂には,家族思いは,十分ある。だからこそ,姉を騙してまで,必死で陸に戻ろうとしているのだ。ただ,志穂の抱いている家族思いは、実姉に対してではなく,自分を育ててくれた両親と祖母に対するものだ。それを堕落していると言われようと,何を言われようと,構わない。揺るぎない気持ちなのだ。心の声そのものなのだ。背くわけには,いかない。従わないと,自分自身をも裏切ることになる。志穂の心には,前あったような,もやもやとした迷いの気持ちは,もはやなかったのだ。


佳穂が洞窟から出て,洞窟の扉に手をかけて,言った。

「この扉は,外からしか開かない。あなたを陸に帰らせない!もう,家族を失いたくない!」

そう言い捨てると,佳穂が洞窟の扉をバタンと閉めた。


志穂は、扉が閉められ,真っ暗になった洞窟の中でうずくまり,絶望しかけた。ここから出られないと,珊瑚を刺激することも,人間に戻ることもできない。父親の元に戻ることができない。


しかし,志穂は、前よりしぶとくなっていた。もうこのことで,くよくよし,諦める弱い少女ではなくなっていた。


志穂が洞窟の奥で,穴を掘り始めた。穴が充分深くなれば,トンネルにすればいい。トンネルを掘れば,脱出出来る。


「この騙し合いゲームは,私の勝ちだ。」

トンネル作戦が失敗しても,また振り出しに戻り,新しい作戦を考えたらいい。何回でも,練り直せばいい。自分にそう言い聞かせた。


諦めずに,努力を継続していたら,必ず陸に戻れる。その気がした。もう,自分の守るべきもの,自分のするべきことはわかったから。自分の心の声を聴いたから。

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