瓢箪から駒
志穂は,病院を後にし,また電車に乗り,家へと向かった。
家の玄関前まで来て,不思議な気持ちになった。この玄関の灯りを見ると,中で家族が待ってくれている,ここには自分の居場所があると,これまで何度安心させられて来たのだろう。それなのに,今は,安心や安堵とはとても違う気持ちを抱いた。中で待っている父親は,本当の父親ではない。父親どころか,自分にずっと嘘をついて来た血縁関係のない男性が待っている。そう思うと,胸が辛くなった。
しかし,他に行く場所がないので,中へ入ることにした。家の中へ上がると,父親が迎えてくれた。
「志穂,大丈夫?」
父親が心配そうに志穂の顔色を伺い,尋ねた。
母親が亡くなった時に,志穂は悲しみとショックのあまり,しばらくご飯を食べたり,話したりすることが出来なくなり,落ち着くのに一年以上かかったのだった。それを見て,乗り越えられるように優しく見守りつつ,サポートしてくれたのは,目の前に立っている男性に他ない。
父親は,いつだって,志穂を大事に思い,守って来てくれた。親子だと疑ったことは、これまで,一度もなかった。それなのに,祖母によると,彼は,父親ではない。つまり,親子ではない。他人である。そう思うと,志穂は,どう接したら良いのか,わからなくなった。
貝殻を渡され,何か秘密があると言われただけで,ここまで身近な人に対する考え方が変わるのなら,「知らぬが仏」と昔から言うけれど,確かに知らない方が幸せだったと思った。貝殻の話がなければ,今だって,幼い頃のように親に抱きつき,話せるのに…貝殻のせいで,今は,それがとても出来ない。
祖母は,志穂に貝殻の秘密を突き止めてほしいと言う風に思っている様子だったが,志穂は、ずっと家族と思って来た人たちと他人になってしまうぐらいなら,むしろ知りたくないと思った。
「大丈夫よ。」
志穂は、弱々しい声で答えた。
祖母の自己診断が当たり,末期癌だった。3ヶ月の余命宣告を受け,志穂が毎日,放課後に父親と2人で,病院へ通うことになった。少しずつ痩せて,生気がなくなって行く祖母の姿を見るのは,とても辛かったが,前みたいに,自分の気持ちを親に話したり,泣きついたりするようなことはしなかった。父親と一緒に通うようになってから,祖母と2人きりになることはないので,貝殻の話をすることも,なかった。
志穂は、何回か,貝殻を調べてみたが,どう見ても,普通の貝殻にしか見えなかった。どう考えても,何か大きな秘密が隠されているとは,思い難かった。そして,たとえ何か秘密が隠されているとしても,志穂はもはや,それを知りたいとは思わなかった。できるものなら、知る前の自分に戻りたかった。
祖母は,余命宣告を受けて,約3ヶ月半後に,ある天気の晴れた,うららかな春の朝に息を引き取った。
志穂は、当然お通夜も,葬儀も,出席したが,祖母に対する気持ちは,変わっていた。本当の孫ではないと知る前は,祖母に対して抱いていたものは,純粋の愛情に間違いなかった。しかし,今は,幼い頃からずっと自分の孫のように可愛がってくれたことに対する感謝の気持ちや愛情はあるものの,長年嘘をつかれたことに対する裏切りの気持ちや怒りが混じり,純粋ではなくなっていた。
志穂は、その自分の気持ちが嫌で,たまらなかった。今は,祖母との楽しい思い出を振り返り,それを偲んで,悼む時期なのに,貝殻の秘密のせいで,それがきちんと出来ないのは,この上なく,腹立たしかった。
葬儀が終わり,帰宅すると,志穂は、自分の部屋に入り,いつも他人に見つからないように,大事に鞄の底にしまっている貝殻を取り出した。やっぱり,今日も,どう見ても,何の変哲もない,極めて普通の貝殻だ。それなのに,この貝殻のせいで,自分の祖母や父親との関係が変わり,亡き母との関係まで志穂の中では,変わってしまっていた。そう思うと,貝殻が忌々しく思えて来た。
志穂は、思い切って,貝殻を放り投げた。すると,壁に当たって,粉々になった。壁に当たった瞬間に,小さなキラキラとしたものが床に落ちるのが,志穂の目に入った。
志穂は、慌てて,床を調べ,キラキラとしたものを探した。すると,小さな青い宝石が落ちているのが見つかった。
「宝石!?何,これ!?」
志穂が小さな宝石を手に取りながら,呟いた。
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