そして始まる非日常(シアワセ)


 頬が一番痛むと言っていた

 彼だけれど、

 損傷が最も激しかったのは

 膝だった。


 赤く鬱血しているばかりか、

 擦り傷まであるせいで

 下手に湿布も貼れない。


 少し触ると痛むらしく、

 消毒と絆創膏の

 貼付を施してから

 保冷剤を与えることにした。


「ありひゃほう、ごひゃいまふ

(ありがとう、ございます)」


 膝に当てるつもりで

 渡したそれは頬に使われたので、

 もう一つ手渡した。


 そこでようやく、

 それが膝用だと分かったらしく、

 彼ははにかんでいた。

 

 釣られて私も笑った。


 冷やしてばかりでは寒かろうと

 簡単なスープを出した。


 すっかり頬の痛みも取れた彼は、


「見ず知らずのボクに

 ここまでしてくださり、

 誠にありがとうございます。


 申し遅れました、

 飴売りの飴脳裏(あめのうり)

 といいます。


 以後、お見知りおきを」


 と非常に流暢な喋りを見せた。


「あ、はいご丁寧にどうも……。

 私は月雲知織(つきぐもちおり)です、

 よろしくどうぞ」


 外見だけならば、

 十四くらいなものだが、

 実際は私よりも上なのかもしれない。


 そんなどうでもいいことを考えて

 適当に相槌を打っていた。



「――――なので、飴売りのボクから

 お礼をさせていただきたいのです。


 願いの叶う飴を、

 あなたに贈らせてください」


「へ?」


「あなたさまが今、

 一番望むものはなんでございますか?」


 そんな益体もなければ、

 突拍子もない話だった。

 それなのに私は……、


「陽央。

 元彼の、葉桜陽央に

 ……あの頃の彼に会いたい。


 私が間違えなかった

〝もしも〟の世界を見たい」


 そんな世迷い事を

 口走ってしまっていた。


 初対面で半生の後悔を

 語られたにもかかわらず、


「では、こちらの商品がよろしいかと」


 彼は怪しげに微笑むと

 バスケットから包みを二つ取り出して、

 私の前に掲げて見せた。


「名を――〝元彼ドロップス〟。

 そして〝浸想水〟。


 こちらは元彼とのロールプレイを

 夢で楽しむという代物にございます。

 夢を見ている間は

 心ゆくまで陽央さまとの

 甘酸っぱい日々が楽しめます。


 前者は、ロールプレイを楽しみたい

 夜の就寝前に一粒お舐めください。

 後者は、毎晩一滴お飲みください。


 あなたさまの夢に幸多からんことを」


(まぁもう、どうでもいいか)


 こんな夢みたいな話は、

 きっと夢に違いないのだ。


 今の彼、陽央に会うならまだしも、

 過去の彼に会うなどできるはずがない。


 そんな、

 いい思い出だけに浸るような真似は

 夢の中でしかできやしないのだから。


(どうせなら、

 都合のいい夢に縋ってしまおう)


 そう思い、私はそれらを受け取り、

 封を開ける。


 中にはハートを象(かたど)った

 キャラメルのようなものが入っていた。


 色はキャラメル色~チョコレート色。


 飴をコーティングでもしているのか、

 表面は艶やかで光に当たる度、

 テラテラと光って見える。


 一粒摘まみ上げてみると、

 それは変化を見せた。


 灯りに透かすと

 ガラスのように透き通り、

 オーロラのようにまだらな色が

 内部で揺蕩い出したのだ。


 それから何秒か眺めていると、

 中で華が開き、

 それは万華鏡のような美しさを

 生み出した。


 体温で少し蕩けだしたそれを、

 私は口元へ運んだ。


 舐めてみる。


 すると、瞬いた後に

 一筋の涙が流れ出していた。


「な、に……これぇ…………っ」


 それは、

 あの夏の薫りと青春の煌めきを持ち、

 それから――噎せ返るほどに

 甘い恋心の味をさせた。


「こ、んなの……

 悪夢よりよっぽど――っ」


 私は全てを諦めて、目蓋を閉じた。


 その刹那、私は仄(ほの)かに

 甘いキャンディの匂いと

 冷たい体温を感じる。


(甘くて、ふわふわくらくらする――)


 それはまるで、

 竜の髭をモチーフにした

 凍らせた飴で包まれている

 かのような感覚だった。


(冷たいのに、やさしい……)


 そう思う一瞬の間に、意識が落ちた。


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