第11話 ファーストキス
松永の家は、俺の家から自転車で十分くらいの所で、外観は洋風、玄関周りも母親の趣味なのか、可愛らしい動物の置物が置かれ、この季節に花はないものの、リースや観賞用の植物が上手に飾ってある。二階が松永の部屋なのか、レースのカーテン越しに、黄色い熊のぬいぐるみが、通りからでも見えるように置かれていた。
それだけを見ると、十代の可愛い物好きな女の子の部屋を想像してしまう。
「二階か、帰りは窓から出られるけど、入るのは、家の中からでないと無理だな。和樹、松永を呼び出して、外でもいいから時間をつくれ。最低、一時間だ。」
「一時間、無理だよ。この前、薫子先生の時はもっと短かっただろう。何で今回そんなにいるんだよ。」
「馬鹿たれ、この前は目的が決まってたし、すぐにネタも見つけられたから良かったんだ。今回は、入ってみないと分からないし、そのぐらいの余裕がいるんだ。お前は、女と話すだけだろ。俺よりよっぽど、簡単じゃん。」
その簡単が難しいんだよ。女子に何のネタふりゃいいんだ。
少女マンガなんか読んだ事もないし、少年マンガみたいに、速攻でお尻を触らせてくれるとか、ないだろ。俺の母親なんて、フィギアスケートで有名な男の子を見ただけで、王子様みたいだとか、きっと心も美しいだわ、とか、近くで拝みたいとか、ファンタジックな妄想をダダ漏れのように、テレビに向って喋っている。
女子とは、ああいう、綺麗で、王子様のような男子が好きなのだ。
だが、そんな男子は現実にはそういない。
醜く、獣のような感情を女子に対しては持っている。モテ男でさえ、女子に対する欲求は計り知れないものがあるはずだ。要するに、女子の欲求と、男子の欲求では、天と地、交じり合う事のない、長くて深い溝があるのだ。
(それを俺にどうしろって言うんだ)
「だいたい何を調べに行くんだよ。」
「それは、行ってみないと分からん。俺の勘違いかもしれないし、とくかく、和樹は松永をどうにかしろ、いいな。」
そういうと、俺のジャケットの中に引っ込んでいった。
何だよお前、小さいからって、優遇されてると思うなよ。
ぶつぶつ、文句を言うも、ジャケットから出てくる気配はない。
仕方ない、電話をかけてみるか。
先程、桂から教えてもらった携帯番号にかけてみた。知らない番号に出てくれるかどうか不安だったが、あまり気にしないたちなのか、普通に、「はい」、間を置かずに出てくれた。
「あ、ごめん、俺、同じクラスの須藤だけど、今さ、松永さん家の前にいるんだけど、出て来れるかな。桂君から、君のことを聞いて、少し話がしたいんだ。受験勉強で忙しいと思うけど、少しいいかな。」
向こうも、俺のラインを桂から聞いたくらいなので、何か話したかったのか、
「分かった。私も須藤君と話したかったんだ。教室だと、あんまり話すことが無かったものね。来てくれてありがとう。今、家に誰もいないから上がってよ。パパもママも仕事だし、妹は学校なんだ。私の部屋は二階だけど一階の方が暖房が良くきくからそっちで話そう。今、玄関開けるから待ってて。」
そう言うと、通話が切れた。
部屋の中で話せるのは嬉しいが、果たして二人きりのこの状況は、良いのだろうか?それに、初めてくらい松永と話したんだけど、意外に明るいのにはびっくりした。
「どうぞ。」
松永が、玄関から顔を覗かしてくれる。
「いいの?」
一応、確認を取るも、
「だって外だと寒いでしょう。須藤君だって受験生なんだから、風邪引いたら大変じゃない。」
そこまで言われると、遠慮という言葉はなくなる。
(こっちも都合がいいし)
玄関からおじゃまして真っ直ぐな廊下を少し歩くと、二階に上がる階段があったので、松永に分からないように、そっとジャケットから巨人を掴み、階段側に置いた。
巨人は、さりげなく俺に親指を立てると、迷いなく階段の一段目を登っている。
後は、俺が何とか時間稼ぎをすればいい。
「須藤君は、コーヒーと紅茶どっちがいい。」
「気を遣わなくてもいいよ。」
「そうじゃなくて、温かい飲み物を飲みながらお喋りした方がいいでしょう。勉強、 勉強で疲れているし、息抜きついでだから気にしないで。」
そう言われ、「紅茶で」返事をすると、台所の方で何やらカチャカチャ音が聞こえてきた。
初めてこんなに松永と話したけれど、良い子じゃないか、桂め、何が嫌なんだよ。
まあ、俺達の年代は、確かに見た目も大事というか、性格よりどちらかというとそっちを選んでしまう。勿論、あゆたんに関しては、見た目も性格も良い。だけど、あれ程、嫌う理由がよく分からない。
「お待たせ、おやつも持ってきたから食べてね。」
そう言うと、市販のクッキーとカップに入ったマフィンを上手にお皿に並べ、持って来てくれた。
俺としては、何だか感動なんですけど。
本当に、あゆたん以外の女子の家にお宅訪問したのも初めてだし、野郎の家でこんな扱いを受けた事もない。何だ、女子っていつもこうなのか。
女子の生態が分からない自分としては、こそばゆく胸がホクホクしてしまう。
「えっと、話って、私の叔父さんの事だよね。」
リビングのソファーで向かい合うのかと思いきや、俺の隣に座って俺を見上げてくる。
(何でだ、こういうものなのか、普通は真正面同士で座るものなんじゃないのか)
俺の思考回路は、既にパニックになっていた。
玄関で会った時には気にならなかったけど、家でフワフワのスカートとか着るものなのだろうか、唇だって、何だか艶めかしくてツヤツヤしている。多分、色つきのリップなのだろうと思うけど、それって、今、つけるものなのか。
(あー、母さんとあゆたんしか知らない俺って、マジ駄目男じゃん)
「う、うん、そうなんだ。まあ、息抜きみたいなもので、もちろん強制参加ではなくて、男子メインのゲームをしたいんだ。バレンタインも近いし、女子にも少し参加はしてもらうけど、メインは男子で動くから、勉強の支障にはならないと思うよ。出来れば君の叔父さんに、三日間だけゲームの趣旨を理解してもらって、構内をうろつく三年生がいたとしても、気にしないで下さいって事なんだ。勿論、受験勉強に支障はきたさない。でも、ヤル気は出るゲームだからって事。もし、教頭先生に説明が必要なら、俺か夏目、堂珍からでも説明するけど。」
一気に喋るも、いちいち隣で頷かれ、その度に、松永の髪から良い匂いがしてくるのは、本当、心臓に悪い。
取り敢えず堂珍も入れて置かなければ、どうも俺達だけでは心もとない。
「そうなんだ、桂君からも聞いたけど、女子はカードを配られて、それにお願い出来る事を書くんでしょう。好きな男子のアドレスでも、写真でも、要するに、男子がこれくらいならしてくれるだろうなって事を記入して、それを多く集めたクラスが勝ちなんだよね。参加した女子は、勝ったクラスにチョコをあげるって事だよね。その場合、ホワイトデーはどうなるの?」
ハタと我に返った。ホワイトデー?
「だって、女子は男子の為に、チョコをあげるんでしょう。女子にはないの?」
「いるかな。一応その見返りが、カードに記入してある願望になるんだけど、ダメなの?」
疑問符のように、松永に問いかけるが、失念していたのも事実だ。
何せ、チョコは身内から貰うもので、お返しをしないといけない頭など、ない。
「まあ、そうだよね。要するに、勝ちそうなクラスにカードを渡せばいいって事なんだけど、でも、同じクラスに好きな人がいた場合は、自分のクラスを応援出来ないって事だよね。うーん、それは少し悲しいかな。」
「でも、松永さんは、桂が彼氏なんだから、自分のクラスを応援したんでいいんじゃない?それに、これはあくまでもゲームだから、別に本命に渡して貰えばホワイトデーのお返しはあると思うけど。」
何だか、ずりずりと寄ってくる松永に、少しずつ体を横にずらしていく。
(なんで近づいてくるんだ。巨人、早くしてくれ、俺、心臓がもたない)
「ねえ、桂君と付き合ってるのって、誰に聞いたの。」
甘えるように見上げてくる松永は、何だろ、免疫のない俺には、もう理解不能。
「ごめん、それは言えないんだ。気付いている人もいるって事じゃない?」
ようやくそう言うと、唇を尖らせ、少し非難するようにいやいやと首を振る。
「気づく人なんて、いないわよ。私が彼をどんなに見ても、桂君、すぐに目を逸らすの。電話しても素っ気ないし、好きだとも言ってくれない。受験が終わったら、デートしようって誘っても、今は考えられないって言うの。もう自分でも分かってる、好きじゃなくなったんだなって。誰か他の人を好きになったんだと思う。桂君はアイドルだもの。少しでも付き合えただけで、良かったと思う事にする。でも、振られるのは嫌じゃない。だから、こっちから振ろうと思うんだ。アイドルを振るって、女子としても自慢できるじゃない?でもね、受験って辛いし、励まし合いながら勉強とかできると嬉しいでしょう。須藤君はどう思う?」
顔が近いし、足が触れているから。
何だろ、教室で、制服着ているのを見るのとは違って、女の子らしいし、胸もあるし、足があたってるけど、男子と違い、むにむにでツルツルなのだ。
(おさまれ、俺の動悸)
「まあ、確かにそうかもしれないけど、俺は自分でいっぱいいっぱいなので、一緒とかって、無理かも。特に俺ギリだし、頑張んないといけないから。」
松永から遠ざかるように、ソファーの上を後退していく。
至近距離は、駄目だろ。
好みでなくても、落ちる。
「知ってる。杉崎さんと一緒の高校へ行きたいんでしょう。クラスの皆、知ってるよ。杉崎さん、可愛いし、頭も良いし、性格も良いものね。それで、幼馴染なんでしょう。せっかく、須藤君を好きな子だっているのに、全面に出てるから、女子もいきにくいんだよ。」
「俺を好きな子がいるって、ウソだろ。」
そんな事は、聞いた事がない。
俺のモテなさすぎは、俺が一番知っている。
あゆたんを好きなのは、致し方ない。夏目や設楽にも、だだ漏れなのだ。他の奴にも分かって当然なのだ。だから、気持ちを隠すことはしない。
しかし、それとモテたいとは違うのだ。ここは一応訂正しておかねば。
「須藤君は、優しいでしょう。麻呂顔っていうか、品の良い顔立ちじゃない。ただ、ボーとしてるというか、おっとりしてるというか、だから、気づきにくのよ。それに、杉崎さんと比べられたら、無理かなっておもっちゃうもの。」
「松永さん、それはさすがに無いっていうか、チョコなんて一度も貰った事ないんだよ。それに、杉崎さんは、ただの幼馴染だから、勿論好きだけど、それと彼女とはまた違うといいますか。」
本当は、彼女になってほしい。
けど、最後くらい誰かから告白とかあると嬉しいかも。
「じゃあさ、私が個人的にあげてもいい?そしたら、ホワイトデーのイベントも出来るし、試験が終わって、映画とかも行けるじゃない。バレンタインのイベントなんてしなくても、私があげるよ。だって一度も貰ってないって事は、杉崎さんからも貰ってないって事でしょう。脈がないって事じゃない。イベントなんていいから、そうしない?」
すでに、体がくっついている。
松永の手が、俺の片足の上でお触りしている。
(巨人、俺、もう無理かも)
「えっと、なんで俺なの。桂とは本当にいいわけ。設楽とかだって、イケメンだろ。」
この状況が酷く、恐ろしく、俺にはどう扱っていいのか分からない。
(松永って、こんなに大胆なわけ)
教室でしか会わず、そんなに話した事もない女子など、みんなシャイで真面目なんだと思っていた。喋る女子はどこにいても騒ぐし、ぎゃーぎゃー言っている。だから、一人一人の性格までは分からなくても、あまり喋らないし、大人しい子は、見た目そのままなのだと、単純男子は思ってしまうのだ。
「桂君はいいの。どうせあんなイケメン、高校入ったら他の可愛い女子がほっとかないもの。その前に、振ることにしたんだ。でも、やっと受験が終わって、卒業式があって、少し長めの春休みがあるわけじゃない。須藤君と遊びたいなって思っても、いいでしょう。」
「えっと、俺、教頭先生にお願いできればと思って・・・。」
尻切れトンボになってしまう。なにせ、松永が、プーと頬を膨らませ、こちらを睨むのだ。
「何よ、高坂さんが須藤君のこと女子と喋ってたわ。杉崎さんの事は、『見慣れてるっていうか、空気みたいっていうか、居て当たり前のような感じなんだ。高校も何となく一緒になった感じで、でも、あっちだけ受かって俺だけ落ちるのは嫌だろ。』って言っていたの聞いたもの。別に、今、彼女もいないし、杉崎さんの事も取り合えずいいなら、遊ぶくらいしたっていいじゃない?でないと、叔父さんには言わないから。」
(高坂、なぜ、こいつに聞かれたのだ。しかし、それはまずい)
「えっと、そしたらこうしない。バレンタインイベントのカードに、俺を希望で書いてよ。他のクラスが一番になれば、それは希望で通るからさ。だって、俺等ってそれ程、親しいわけでもないし、悪いんだけど俺にだって好みがある。松永は、ただ高校入学までの彼氏的なものがほしいだけだろ。なら、ゲームで勝ち取った方がスッキリするというか、素直に飲めるというか、えっと、それでどう?」
何だか、必死の形相というか、頭から水滴の一粒を絞りだすように、もう懇願にも似た提案をした。
(俺にはこれ以上無理です)
心の中で、男泣きをしている俺。貧乏人がいきなり金持ちになって、あたふたするのと一緒で、今まで、箸にも棒にもかからない俺だったんだ、いきなりこんな状況でいい考えなんて、浮かぶわけもない。
松永は、一瞬悩むも、パッと明るい笑顔になり、
「確かにね、その方が燃えるものね。分かった、叔父さんには言ってみる。その代わり、私が勝ったクラスのカードだったら、覚悟しといてね。あー、何だか、そう思うと、須藤君を落とそうとした私が馬鹿みたいだね。私ってモテたことないし、少女マンガを読む度に、素敵な彼氏が現れないかなって思ってたんだ。だって、可愛い子に男子って、みんないっちゃうでしょう。でも、私だって女の子だもの。彼氏とかほしいし、自分の事を好きだと言ってほしいじゃない。バレンタインチョコだって、あげてもホワイトデーのお返しなんか貰った事がないんだもの。だから、須藤君が杉崎さんの事、ただの幼馴染で好きとかじゃないんなら、いいじゃないって思ったんだ。モテない女子もいろいろ考えるだから。」
そう言うと、ペロッと可愛らしく舌を出した。
(女子も苦労があるんだな。俺も、気持ちは同じだけど)
「あ、部屋に携帯忘れたから、とってきてもいい。少し、待っていてくれる?」
「もう、いいよ、俺、帰るから。」
さすがに一時間は経っているはずだ。巨人も、窓から逃げていればいいけど。
「ごめん、本当に少しだけ、すぐに取ってくるから。」
俺の返事も聞かずに、階段を上って行った。
ツーショット写真とか撮らないよな。
このまま、玄関から帰った方が良さそうだ。
腰を上げ、荷物を抱えると、玄関の方へと移動する。
(何だろう、このよく分からない怠惰感)
肩に、何か得体の知れないモノが乗っかっている感じだ。
玄関で靴を履いていると、勢いよく階段を下りてくる音がした。
「もう、帰ろうとしないでよ。もう一杯、紅茶飲んで行かない?」
「いや、さすがにもういいよ。おじゃましました。」
玄関のノブに手をかけようとしたら、いきなり後ろに引っ張られ、振り向いた瞬間、
(え、え、えーーーー!)
驚きすぎて、驚きすぎて、大パニック。
俺、今、何してる。
そして、それ以上にビックリしたのが、松永の頭の後ろから、巨人と誰だこいつ、ヨタったチビが顔を覗かせ、俺を憐れむように覗いていた。巨人に関しては、俺を指さしたまま、半笑状態だ。
巨人が俺を指さしたまま、松永の肩から俺の肩に飛び移り、パーカーの後ろのフードに入ったのが分かった。
(あいつ、絶対、絞める、いや、潰す)
何度目かの、潰す発言だが、まじで、ムカつく。
何なんだこの状況は、だいたい、何で、松永から俺にどうどうと渡って来れるんだ。
頭の中が真っ白で、本当にどうしたらいいのかさえ分からない状況とは、こういう事なのだろう。
一連の行為が終わり、松永が俺から離れていく。
俺はと言えば、なぜか、涙が溢れてきた。
松永がそれを見て、俺の顔から、手で涙を拭うと、
「どうだった、気持ち良かった?私、やっぱり須藤君が好き。須藤君は、私じゃ駄目?」
俺はと言うと、何とも形容しがたい心の葛藤があった。
(俺は、あゆたんが好きで、ファーストキスはあゆたんが良くて、こんな不意打ちでがっちりなのは、俺があゆたんにすることで、あゆたん、ごめん。俺のファーストキス)
頭が混乱し、自分でもよく分からない。俺からしてみれば、これがファーストキスだけど、あゆたんは違う奴としたことがあるかもしれない。でも、そんな事はどうでもいいのだ。やはり、俺のようなモテ男でもない一般庶民は、誰でもいいわけではなく、キスに夢を描いているのだ。
「ごめん、俺、無理だ。こういうのは好きな人とがいいし、そういうのが気持ちいいんだと思う。松永は誰でもいいの?桂とだって、まだ別れてないんだろ。ごめん、教頭には、お願いしなくてもいいから。」
そう言って玄関を開くと、泣きながら自転車に飛び乗り、その場を離れたのだ。
傍から見たら本当に変だったと思うけど、中三男子が大泣きしながら、必死に自転車をこいでいる図など、夏目が見たら爆笑するだろう。
女性がセクハラされて訴えているニュースとか見ていると、本当に?とか、わざと触らせたりしてない?とか思っちゃう事もあったけど、やっと理解できた気がする。クラスの女子も、電車でお尻を触れたとか、密着してきて気持ち悪いとか、話している時があるけれど、布の少ない服装でもしてたんだろうとか、スカート丈でも学校が終わると、一段二段とスカートを折ってはいていたりしているのだ、触られてもしかたないだろ、そんなふうに考えていた。
今は完全に改める。いきなり何かを奪われるのは、酷く屈辱的なのだ。
(クラスの女子、本当にごめんなさい。俺も貞操を守れなかった)
ひとしきり涙を流すと、ようやく周りの音が聞こえてきた。
そう、パーカーのフードの中で、大爆笑している巨人の声が聞こえるのだ。
俺は今すぐ握りつぶしたい衝動を必死に耐え、いつの間にか自分の家さえ越えて走っていた事に気づく。とにかく、人のいない場所でこいつらを掴みあげ、絞り上げられる場所を検討した。
夏目ん家が近い。
いきなり行って入れて貰えるのかは分からなかったが、俺は無性に腹が立っている。
なぜ、俺だけ、ここまで駆けまわらなければならないのだ。
玄関の前で夏目に携帯をかけると、三コールめで出た。
「夏目、俺、家入れて。」
「馬鹿たれ、受験勉強中だ。」
「お前のせいで、俺の心は死にそうなんだ。もっと、働け。お前が先に、巨人の馬鹿な提案にのったんだろう。」
「お前ものっただろう。」
「うっせー、出ないと、大声出すぞ。」
ブチッ、携帯がいきなりきれ、数秒後に玄関がカチャリと開く。
「夏目、俺の活躍を聞け。大変だったんだぞ。本当に、お前等にかかわって、ろくな事がない。何でだ、俺の何がいけないんだ。」
目の前の夏目に涙声で訴えるも、しれっとした顔をしている。
その上、俺の後ろのパーカーのフードから、巨人が現れ、
「こいつ、良い事してたんだぜ。松永と抱きって、チューしてたんだ。何で、こんなに泣いてるのか意味不明だろ。俺が二階でせっせと仲間を救出している間に、和樹と松永はリビングでいちゃいちゃしてたんだよ。やっちまったら良かったのに。」
夏目はと言うと、俺と巨人を交互に見ながら、
「お前、何やってんだよ。俺だってしたことないのに。」
本当に情けない顔で俺を見てくる。
玄関先で、膝から崩れ落ちた。
(違うだろ、俺、好きでもない女とキスしたんだぞ。そこ、落ち込むとこじゃないだろ)
肩に乗っていた巨人を、左手で体ごと握ると、
「巨人、てめー、俺はあゆたんが好きなんだよ。世界中であゆたん以外の女は、女じゃねえ。俺の貞操が奪われたんだぞ、初めてはあゆたんと決めていたのに、もう、初めてじゃないんだぞ。」
力説するも、鼻をほじくりながら聞いていた巨人は、
「貞操って、たかがキスじゃん。それも、俺、人の生キス見たの初めてだぜ。まあ、そのお陰で二階に上がってきた松永に飛び移り、お前に移れたんだけどな。いきなり松永が部屋に入って来た時は焦ったぜ。それも惚れ薬を取りにきやがったんだ。お前が助かったのは、男子だからだ。男には、せいぜい三十分効くかどうかだ。基本は女性にモテたくて、作った薬だからな、女性ホルモンを刺激するんだ。あいつ、唇に塗って下りてったから、最初からお前とキスするつもりだったんだぜ。多分、あいつ自身も飲んでた可能性があるな。興奮状態だったから俺等がしがみついても気付かなかった。俺ってやっぱ、すげーかも。」
俺の左手に握られているというのに、危機感はないのか。
握りつぶされるとは思わないのか。
俺の怒りは、頂点に達しているんだぞ。
心の中で思うも、全く伝わらない。
余裕で鼻くそをほじくり、指でピンと投げている。
夏目がなぜか俺をじっと見た後、来い、家の中に上がらせてくれた。
「なあ、巨人。もしかして和樹も発情するのか?俺に発情するとかは、無いよな。」
確認するように、夏目が巨人に聞いている。
(アホか、それで俺を見てたのかよ。ぜってー、ないだろ)
「大丈夫だ。女がいない場所だと関係ねえし、キスくらいだと量がたんねえ。和樹は、玄関先でディープキスされて、そのまま泣きながらここまできたんだ。発情する間は無かった。」
(神様、本当に握りつぶしてもいいですか)
「何だよお前、すげーいいじゃん。お前じゃなく、俺が行けば良かった。松永は、顔は普通だけどボディはいい線いってる。あー、俺がチューしたかったぜ。」
(お前が母ちゃんと靴なんて買いに行くからだろ。お前等が言いだしっぺなのに、俺が一番頑張ってんだぞ)
「で、巨人、こいつは何なんだ。」
何かさっきから、怯えたように話を聞いている、もう一人のヨタッとしたチビが、俺の肩の上で、俺の短い髪の毛にしがみ付きながらうごうご動いているのが、気になって仕方ない。
「こいつは俺の仲間で、ハイ・トール・スカラ。松永の家にいたんだ。どうも怪しいと思ってたんだよ。桂の異様な嫌い方は、惚れ薬を飲まされたんじゃないかと思ったんだ。普通はそれなりに遊んでから別れたいと思うだろ。なっ、なっ。」
俺に同意を求められても、思い出したくないんですけど。
というか、
「惚れ薬を飲んで嫌いになるって、どういう事だ。」
聞いた瞬間、巨人とヨタチビが、げっ、お互いに顔を見合している。
「えっ、惚れ薬って、嘘なの?」
夏目まで、不安そうな声で聞く。
「あー、だから、だな。まあ、副作用的なものがあってだな、まあ、いろいろ。」
巨人がくねくねしながら愛想笑いを浮かべ、完全に目がいってる状態で、誤魔化そうとしている。
(気持ち悪い)
ヨタチビまで、くねくねしながらもじもじしている。
(重ねて気持ち悪い)
「説明しろ巨人、でないと、キットカットもうやんねーぞ。」
ぎょっとした顔で俺を見てくるが、そんなに欲しいのか?
大きな大きな溜息をつくと、
「惚れ薬には、副作用があるんだよ。男性でせいぜい三十分、女性で一日くらいは効くんだ。飲んだ相手はその人を好きになるんだけど、その間に相性が良ければ、そのままいい関係になる。だけど、薬が切れた時に、好きな相手が自分の事をそれ程好きでは無かったと気付いた時は、惚れ薬を飲んだ方が物凄く相手の事を嫌いになるんだ。松永みたいに自分から飲む奴は珍しいけど、スッゲー和樹の事が好きになったのは確かだな。よって、なんで桂が松永を嫌いかと言うと、薬が切れて自分が松永を選んだ事に疑問を抱いたからなんだ。要するに、自分に惚れている確証がないと、飲ませても、後でとんでもなく嫌われるって事。」
渋々言っている巨人の話を聞きながら、
「それって、別に惚れ薬いらなくね。だって、ほぼ両想いでないと、彼女になってくれないって事じゃん。それなら飲まさなくても、好き同士なら付き合えるって事じゃないのか?」
俺が疑問符を口にすると、その場が凍りついたようにしんとなった。
「要するに、相手が自分の事を好きだろうと確信して、好きだと恥ずかしくて言えない場合のみ、惚れ薬の力でなんとかするって事か?でも、違った場合、友達にも戻れないって事だろ。怖くて、つかえねー。」
夏目が凍りついた空気から目を覚まし、確信を付く。
「お前等、宇宙人だろ。地球に宇宙船で来れるくらいの文明人だろ。何なんだ、そのオチは。女子とのサイズ感も間違ってるし、ちゃんとしろよ。」
「そうだぜ、惚れ薬に期待した俺の初々しい気持ちを返せ。バカヤロー。」
多分、世の中がどんなに広かろうと、男子中学生に怒られる宇宙人がいようとは、誰も思わないだろう。
(俺だって、思わねーよ。宇宙人って、もっと凄いんじゃねーの。宇宙船作れるんだろ、宇宙人のイメージに謝れ)
巨人とヨタチビは、俺等の方を向くも少し涙目で、
「仕方ないだろ。だいたい、そんな都合の良い薬が作れると思うか?惚れ薬だぞ。夢みたいな薬だぞ。モテる奴には、まったく関係のない薬だぞ。存在するだけでも、夢があると思わないか。」
何だか、どこそこのマンガみたいに玉を集めれば、龍が現れて夢が叶う的なやつみたいに、惚れ薬の期待感は、俺達の中では半端なかったんだ。
「つかえねー。」
「同感。」
その言葉に、宇宙人二人が項垂れてしょんぼりしている。俺と夏目はお互いに、アイコンタクトをすると、
「ほれ、チョコやるから元気だせ。で、ハイ・トールだっけ、何で松永に惚れ薬をやったんだ。」
夏目の勉強机の引き出しから、チョコが入った袋を取り出すと、巨人とハイ・トール・スカラに渡した。
「ぼ、僕は、和菓子ってやつが好きなのです。松永様は、いつも用意しておられました。」
どもりながらも、主張してくる。
「ねえ。」
夏目がぶっきら棒に言うと、仕方なくチョコを受け取り、がさがさとビニールを開けて取り出している。
「僕は、気が弱いのです。いつもそこを、母親から言われていました。男になって来いと言われてこの任務に付いたのですが、松永様に捕らわれ、苦し紛れに言った惚れ薬を無理やり取られ、副作用の事は怖くて言えなかったのです。男性には、あまり効かないとは言っておいたので、自分から飲まれてみたのかもしれません。とにかく、和菓子はとっても美味しかったのですが、松永様は横暴で、僕をカゴの中に入れて、あれやこれやと言うのです。効率の良い勉強方法とか、カンニングマシーンとか、そんな物があれば僕が既に使っています。」
チョコを頬張りながら言う様は、あまり悲壮感がない。
「俺は、チョコの方がいい。」
口の周りをチョコまみれにしながら、巨人が美味しそうに食べている。
(こいつらが、駄目な理由がなんとなく分かってきた気がする)
チョコを食べている二人を見ていると、何だか切なくなってくるのは、なぜだろう。
夏目も、俺と同じように思ったのか、
「なあ、お前は何点だったんだ?」
ハイ・トールに向けられて言った言葉に、ポカーンとチョコに食いついたまま、夏目を見て、俺を見て、首を傾げている。
「技能テストだよ。お前も自分の星で受けたんだろう?」
ようやく得心がいったのか、アレですか、みたいな顔をした。
巨人の方はというと、ゴクリ、生唾を飲みこんでいる。
夏目と俺はというと、御仏になったような気分だ。ぼやっとした顔、オドオドした 雰囲気、気弱そうでいじられキャラだ。どう思っても、無理だろう。
「八十六点、でした。まだまだです。」
数秒後、
「はあ~、お前、今、なんつった。」
キョトンとした、おとぼけ顔で、
「ですから、技能テストの事でしょう。八十六点でした。僕は、体力が無いものですから、彼女の要求に、まだまだ答えられなかったのです。」
首を落し、残念そうに言う。
(八十六点って、高いよな、高い方なんだよな、えっ、巨人)
巨人を見ると、チョコを口から落し、目を左右に揺らしながら涙が浮かんでいる。
「ちなみに、平均ってどのくらいなんだ。」
「そうですね、六十七、八点くらいだと思います。なかなか、厳しめにつくってありますから、五十点以下は、男として、役にたたないですね。」
さらりと言ってのけたハイ・トールだが、隣で今にも死にそうな顔になっている巨人の事は、気づいていない。
「だけど、お前、モテなさそうなんだけど、どうやったらそんな上手く出来たんだ?」
モテないはずだ。
例え技術があったとしても、こいつに負けるのは嫌だ。
「まあ、そこそこ出来たのは認めますが、中には百点を出す人もいますから。僕は、 勉強は出来る方なんです。惚れ薬の開発にも参加しましたし、とにかく、本と映像を事細かく見ました。本当に、女性達の表情一つ逃さずにノートに記載し、技能テストまでに、頭に記憶したんです。まあ、そのせいで家族には変態扱いされるし、妹に練習させてくれっていったら、死ぬほど嫌な顔をされた挙句、今日に至るまで口を聞いてくれません。ですが、妹だって技能テストの結果を参考にして、お付き合いしたりするんだから、兄に協力してくれてもいいものだと思うのですが、どう思われますか?」
何の悪気もなく、本当に困ったように聞いてくるハイ・トールを見て、ああ、こうなってはいけない、そう思うのは俺だけか?
巨人も、物凄く微妙な顔をしている。
夏目も大きく息を吐くと、
「ハイ・トール、それだけは言ってはいけない。妹とて羞恥心というものがある。なぜ好き好んで、兄の練習台にならなきゃいけない。俺が妹の立場なら全力で断る。いや、断固として、断る。気持ち悪くてやってられるか。それにしても、巨人もお前も、宇宙人のイメージを壊すな。もっと高度で知的で圧倒的な文明があるのだと、信じさせてくれ。ああ、和樹、俺は、宇宙人なんて信じないぞ。信じられん。」
ごもっとも。
これでは、俺等と何ら変わらんではないか。
中学生男子が、女子の動向にいちいち左右されるのと一緒で、こいつ等も女性に認められたいとか、モテたいとか、アピールしたいとか、そういう事なのだ。
でも俺等はまだ中学生で、未熟で女性も知らなくて、底辺で頭を悩ませているのに、こいつ等もまた真剣にそんな事を考えているのだ。
それも、地球に来てまで。
ハリウッドがつくる映画は、どれも迫力があり、宇宙人だってたくさん出てくる。グロテスクな見た目で、だいたいは地球を侵略しにきて、泣き叫ぶほど酷い事をし、人間の知恵も勇気も通用しない程の科学力を持っている。
なのに目の前の宇宙人は、小さく、迫力もない。おどおどしてる割に、横柄な態度や言動はするし、すぐに凹む。
夏目のいう通り、宇宙人のイメージを根底から覆しているのだ。
しかしだ、きょとんと可愛らしく座って食べているこいつ等に、罪はない。
「ハイ・トール、お前、今日から夏目ん家で暮らせ。そんで、宇宙人の何たるかを学ぶんだ。後、ハイ・トールって呼び方は長いから、今日からノッポって呼ぶ事にする。日本語で、背が高いって意味だ。お前の名前がそうだからな。夏目、後は宜しく。」
夏目も仕方なく頷くと、
「なあ、和樹、俺達、受験生なのに大丈夫かな。」
珍しく、萎んだ声で、弱気な発言をする。
「だんだん俺も自信が無くなってきた。でも夏目、こいつ等、ほっとけなくね。」
目の前の小さな宇宙人を見て、二人で深く深く息を吐くのである。
多分、世界中の中学三年生の中で、一番不憫な事で悩んでいるのは俺達なのではなかろうか。
デカいバッタを投げた瞬間から、ここまで来たんだ。
仕方ないよなぁ。
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