諦めた物書きの哀愁がとても伝わりました。
小説は自らの経験や思想から成るもので、言わばこの男性は存在を否定されたも同然と考えたかもしれないと思いました。そのやり切れなさ、悔しさ、とても共感してしまいます。
願わくば、図書館は他にもあり、また全く別の本を取り扱う場所があり、多様な好みと文学がある事に気がついて欲しいと、思わずスマホを持つ手に力が入ってしまいました。
害なる者のメタファーである屈強な男は、親や友人、師など様々な立場からそうなる可能性があり、自らも創り出してしまうかも知れませんし、言葉は善意によるものだったかも知れません。しかし私自身、そうならないよう気をつけねばと気がつくきっかけになりました。