オガール セルレイベルタ編

45 無神論者と憂虞の観月者


 人は、救われたくて生きていると思う。


 は皆違うけれど。


 親。

 子供。

 恋人。

 伴侶。

 友人。


 あるいは、神。


 皆程度の差はあれ、自分が生きていてもいい存在であるとの証明を欲しながら日々過ごしているのではないか。だからきっと自分をわかりやすく救ってくれるものに縋り、依存するのだろう。完璧な生き物でない以上、それは仕方のないことだとは思う。


 しかし、俺は無神論者だ。


 神なんてものが存在するならば、こんな理不尽な世界が続くはずがない。凡ゆる不幸が蔓延る今を看過するのが神だというのならば、それは死神の類だ。


 だから俺は目に見えるものしか信じない。

 無論教団も予言も。


 しかし、世間一般では俺のような人間は爪弾きに遭うことが多いようだ。特にこんな混沌としている時代は皆救いを求めている。俺のこの基本精神は、そんな彼らの信心深さに水を差すのかもしれない。『神』を祀り上る人間はこの世界には余りにも多いと感じてしまう。


 無論それは権力者とて同じことである。


 この世界には六つの国を治めるそれぞれの王達に予言を授けることの出来る者がいる。それが、世界宗教シルベスト教団の最高指導者であるプロフェリアである。


 そもそもシルベスト教団は、リスベニアの首都フェルカムンドに総本山を構える宗教団体だ。世界人口の半分以上が信者という強大な力を持つ教団であるし、特にリスベニア、カストピア、ワヴィンテには敬虔な信者が多い。リスベニアに至っては最早王族…いや彼らを牛耳っていると見られるリスベニア軍部が教団に依存していると言ってもいいだろう。



 そんな教団を形作る、ある神話がある。



 今よりも更に多くの国と民族が存在した遥か昔。度重なる戦争で荒廃し、戦火で燃え盛る世界に一人の白髪はくはつの女の赤子が生まれた。その手には生まれながらに小さな植物の種が握られており、その種を植えてみるとみるみる空を覆い尽くすほどの豊かな緑を茂らせた大樹になった。そして大樹が育つのと時を同じくして赤子も美しい少女となり、少女が大樹に祈りを捧げると茂った無数の葉から雨が降った。その雨は忽ち地上を覆っていた炎を消失させ、大地は一面の緑に覆われたという。その大樹と少女が起こした奇跡により、人間たちは心を洗われて争うことをやめたのだ。民衆たちは武器を捨て、大樹と少女に平伏した。


 少女は大樹に実った六輪の花を摘むと、この世界で最も力の持つ六人の権力者を自身の元へと集結させた。そして一人一人に大樹の花を授けると、それは権力者の掌で瞬く間に苗木になったという。


 これを愛し、愛しみながら育てよ。大樹を枯らすことは罷りならぬと少女は忠告した。


 大樹が葉を落とす時は即ち、世界が新たな混沌に見舞われる時であると。


少女は、遍く大樹の恩恵を行き渡らせる為に、この世界を六つに分割して彼らに統治するように命じた。六人の権力者たちは円卓を囲んで話し合い、世界をリスベニア・カストピア・オガール・ワヴィンテ・セレメンデ・ガジャルウインドの六つの国に分割した。そしてそれぞれ首都を定めて中心にその苗木を植え、王宮を構えた。大樹は王宮を守護するかのように天高く伸び、新たな王達を祝福したという。


 少女は大樹が健やかにあり続ける為に、一年に一度自身の生まれ故郷であり、そしてはじまりの大樹が聳えるフェルカムンドに王達を招いて助言をすること約束した。これが予言の起源とされ、人々は少女を予言者プロフェリアと呼ぶようになった。


 大樹は季節に関わらず青々とした葉を茂らせ、人々を見守り続けた。


 こうして少女と王となった六人の権力者達によって世界は泰平を取り戻し、いつまでも平和な世が続いたという。


 そんな大して面白くもない話だ。信者でなくとも誰でも知っている。神話というよりは御伽噺と言っていいが、敬虔な信者の前で御伽噺と言うと烈火の如く罵声を浴びせられる。彼らの中では単なる作り話ではなく、大事に語り継がれていた神聖な話だからだ。


 シルベスト教団には、所謂『神』とされるのはプロフェリアのみで、一般的に人間が救いを求めて崇め倒す霊的な神様は存在しない。プロフェリアも人のはらから産まれており、歴代のプロフェリアも国籍や身分に関わらず一般民衆から選ばれているからというのがその理由だ。


 その神秘性を保つため、初代に倣って歴代のプロフェリアは皆共通して白髪はくはつであるという。先天的に全身の色素が極端に薄いアルビノの人間を宛てがっているとしか思えなかったが、それについては外部の医師がプロフェリアに接触することは禁じられている為、謎のままだ。


 とどのつまり打ち拉がれた民衆の中から奇跡を起こし得る少女が出現し、その少女が始祖となって大樹の守護人まもりびとである六人の王と共に平和を保つべく教団を作った。こういうことである。神話の中では、その六人の王は所謂リスベニア・カストピア・オガール・ワヴィンテ・セレメンデ・ガジャルウインドの始祖とされている。国によっては彼等の直系子孫を名乗る王もいる。


 実際世界の均衡はヘレアン戦争で完膚無きまでに崩れ去った訳だが、それでも悠久の昔から世界宗教として民衆を導いていた基盤は簡単には揺らがない。その理由は神話に登場する各国の大樹が今も美しく葉を茂らせ続けていること、そしてプロフェリアによって王達に授けられる予言にある。


 これまでに、予言の内容が一般民衆に公表されたことは唯の一度もないらしい。しかし、王達はこの予言を絶対視し、それを元に統治を行なっているとされている。実際、王がかしずくのはプロフェリアの前以外にありえない。その神秘性、秘匿性が教団の力を維持する源になっているのだ。


 先の神話がより具体的に綴られ、これまでの予言が纏められている教典も存在するが、たった一冊しかないそれはプロフェリアの手元に置かれて決して外に出ることがない為、信者達は王達の統治を通じて確かに存在するプロフェリアを絶対的な導師として尊崇しているのだ。


 プロフェリア自身フェルカムンドのフェングリス大聖堂に住まうが、その姿を一般民衆が見ることはほぼない。大聖堂の最上階のバルコニーの扉が最後に開いたのは戦前のことであるし、プロフェリアへの謁見が叶うのは王と、プロフェリアの予言を王へ伝える預言者インタープレッター、そして教団の上層部の人間のみである。


 インタープレッターは、プロフェリアの護衛を兼ねた教団所属の通訳者だ。プロフェリアは中立な立場で予言を授ける為、初代プロフェリアが生まれた時に世界の共通語であった古代語を話す。その為王が直接口を利くことは出来ないので、彼らを介してプロフェリアの予言が授けられるのだ。


 たった一人の少女が起こした奇跡から今日まで続く大層な宗教団体は、こうして世界の頂点に君臨し続けている。


 しかし、俺はそれが底気味悪くて堪らない。


 別に教団に救われたいと思っている人間を貶めるつもりもなければ、信仰によってその人生に一筋の光が差しこんだと歓喜する信者を嘲笑う気もない。しかし、今の世界情勢は決して初代のプロフェリアが目指したものではないことは明らかだ。

 

 予言があったのならば、何故戦争を止められなかった。何故三十年も続いた。


 何故フィンドなんてものが生まれた。何故こんなにも戦後復興が進まない。


 戦火を消す恵みの雨が降ることもなかったし、最後まで奇跡など起こらなかった。


 リスベニアから戦勝国としての権利を剥奪したから何だと言うのだ。それで死んだ人間が戻ってくる訳でもないと言うのに。領土の割譲や賠償金の支払いがなかったからといって、カストピアが救われたと思っているのならばそれは盛大な勘違いというものだ。カストピアの地に爆弾が降って来なくなったからといって、自分に明日が来るかもわからない国民の数は少しも減っていない。


 王を失ってからそれは顕著になったように思う。王の中には始祖の子孫を名乗る者もいるが、少なくとも今のカストピア王はそうではない。


終戦後、リスベニア軍部によって当時のカストピア王と王妃は処刑されたからだ。


市中引き回しの上民衆の前で首を落とされ、遺体は晒されたと聞く。子供達の生死もわからない。リスベニアに拉致された挙句、獄中で辱めを受けて死んだと言う話や、民衆に紛れて息を潜めて暮らしている噂など、真偽不明の噂が流布したが誰にも本当のことはわからない。


 教団は、カストピア王の処刑を止めなかった。リスベニア軍部は、プロフェリアの御名の元ギロチンの刃を落としたのだ。民衆がヘレアン戦争が何だったのかも理解しないままに。


 それでもカストピアに敬虔な信者が多いのは、王の首が掲げられたことによって長きにわたって自分たちを苦しめてきた大戦が終わったと思っているものが余りにも多いからだ。


 それは違う。敗戦が決まったから王は処刑されたというのに、そんな単純なことがわからなくなるほどに人々は戦争で心を抉られて思考力を失っていた。


 俺は王に誓いを立てた騎士ではない。しかしそうでなくとも自国の王が非業の最期を遂げたことに対して、何も感じない下種でもないと思っている。


 リスベニアの首都で、リスベニア王よりも遥かに大きな大聖堂の中で日の光も浴びぬまま大樹への祈りを捧げているプロフェリアが『神』だと言うのならば、俺はどれほど後ろ指をさされようと悪魔で構わない。


 何度でも言おう。


 俺は、神を信じない。

 俺は自分の意思で決める。

 生き方も、進む道も、自分の最期も総て。



         ***



「おや、セラウドはお疲れのご様子かな?」


 硬く閉じていた瞼から力を抜けば、そこには微笑みながら俺の様子を窺うハワードの姿。


 サワサワと風に遊ばれる木々が擦れる音が周りを支配する満月の夜。彼の亜麻色の髪は薄ら暗い夜の帳の中でも月明かりを反射してぼんやりと浮かび上がっていた。無駄に整った優男風の秀麗な顔は傷ひとつなく、群青色の瞳は楽しげに細められている。


 普段からループタイを締め、それに合わせたスリーピーススーツを着用したハワードは、そのままシルクハットを被ってしまえば夜会を騒がす青年貴族そのものだ。腰に下げられた剣が全体の印象を引き締め、普段からつるんでいるカースティとは全く違う世界に住んでいるかのような紳士的な立ち振る舞いをする。


 しかし、飄々としていて掴みどころがないのもこいつなわけで。


「別に疲れていない。余計な気を散らすな。」


「ふふ、ならよかったよ。最近は、例の夢は見なくなったのだろう?」


 ハワードのその言葉には答えず、落としていた腰をゆっくりとあげれば足元はギシリと軋む。そうだ、奴の格好が不意に気になったのはここが大きな樹木の上という全くアンマッチな状況だからだ。ほんのひと時思考を遠くへ飛ばしてしまっていたところから、改めて自分の状況を把握する。


 俺たちハウンズは、現在三手に分かれてそれぞれが別の街で行動をしている。俺とハワード、ベルーメルとミジャンカ、そして単独でカースティだ。大規模な組織相手でない限り、ここ最近は別々に行動する頻度も増えてきた。理由は単純、そうしないと仕事が回らないからだ。


 特に俺たちがハルトからジャイレンへ戻った時期から、フィンドの被害件数が劇的に増えた。ジャイレンを挟んで東西真逆の遠隔地で同時にフィンドが出没したこともあったくらいだ。


 今回もそれぞれの関連性は不明だがフィンドの人的被害の情報が寄せられ、俺たちが駆り出される運びとなった。十数人という比較的少人数のフィンド集団が目撃されたこの街–ビルド–にいるのは主に剣を使う俺とハワードのみだ。


 ちなみに被害規模の詳細が不明で、ここよりも潜伏しているフィンドの人数が多い可能性が高い街–オジョレア–には拳銃を使うベルーメル、爆薬と弓矢を使うミジャンカが向かった。飛び道具であれば距離を置いて戦える分人数を捌ける。ライフルを使うカースティが別の街-ヤガダルク-で単独行動しているのも同じ理由だ。


 今は待機時間。しかし数時間経ってもフィンドは影すらも現さない。広範囲を見渡せる木の上から索敵しつつもこれだけ時間ばかりが過ぎて行くとうんざりするのは致し方ないことで。


 今日は恐らく動きはない。満月が明るいお陰でフィンドは行動が起こしにくいだろうし、集団で行動しているということは思考力を持ったフィンドであることは間違いない。俺たちがビルドに入ったことで敵も俺たちの出方を窺おうとするだろう。


「交代で宿に戻るぞ。無駄に雁首揃えるくらいならまともな食事や睡眠をとったほうがマシだ。月が明る過ぎて木の上じゃ碌に眠れないからな。お前も腹が減っているだろう。」


 そう、今宵の月はいつもの何倍も明るく感じるし大きい。それは他の星が霞んで見えない程で、月の模様もはっきりしている。そのせいで、まるでこちらを見下ろしている顔のようにも見えて居心地の悪さを感じるくらいだ。双眼鏡を衣嚢に仕舞いながら他の荷物も纏める。


「ねぇ、セラウド。」


「何だ。」


「本当に今夜は月が美しいね。それも疎ましいくらいに。」


「お前な…。」


 俺は全く会話にならない上にこの状況で気障な台詞を口にするハワードが気に入らず、そのまま振り向いた。


 するとハワードが一点を見つめていたのが分かり、すっと頭が冷えた気がした。言葉とは裏腹に彼が見ていたのは月ではなかったからだ。


 ハワードの目線を辿れば、遥か遠くに見えるのは朽ちた城壁。その向こうにあるのはヤガダルクだ。


 大昔は城塞都市だったヤガダルクは、当時の城壁がそのまま残されている。都市全体を取り囲むように築かれたそれは、今となっては遺跡に近いが、月明かりに照らされた朽ちた城壁は廃墟を彷彿とさせた。


 それだけで、俺はハワードがなにを言いたいのかを察した。それを敢えて口にしないのは、ここにいない誰かを思ってのことだったのかもしれない。



 満月の夜には決して人を寄せ付けようとしない、あるセレメンデ人の。

 

 そしてもう一度呟くのだ。


「ねぇ、今夜は月が綺麗だね。」


と。


 その顔にはつい先ほどまで浮かんでいた笑みはなかった。




        

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