38 訓誡
ミジャンカが矢を番た自分の手が放たれたことに気付いたのは、銃声が鳴り響いた瞬間だった。自分の目の脇と髪を擦り、背後の壁にめり込む銃弾。微かに聞こえる薬莢の落下音。頬に走るピリついた痛み。顔を上げればフィンドの頬にも赤い線が走っていて、放った矢によって傷つけられたものであることがわかった。いつもなら絶対に外さない距離にいる筈のフィンドを射ち損じたことに、ミジャンカは僅かに苛ついていた。
「(何をしている…。自分は何を迷った?)」
「ひひ、どうしたどうしたぁ!?外したぞ?威勢だけ達者なガキだなぁ!?くひひひひ!!」
ミジャンカは瞬時に体勢を立て直す。相変わらずの調子で焦点の定まらない、殆ど開いていない目を更に細めてこちらに向かってくるその手には幾つもの小さな手榴弾。ベルトからそれぞれのピンへは紐が括り付けられている。鷲掴んで引けば複数のピンを外すことが出来る単純な仕組みだ。そしてその手榴弾には釘や針、剃刀といった鋭利な刃物が糸で巻き付けられ、それを素手で握りしめたフィンドの手には血が滲んでいる。
「(痛覚が麻痺しているのか?)」
掌にほぼ垂直に食い込んでいるだろう剃刀の刃。しかしフィンドは痛みに顔を歪めるどころか、足も止めず更に大きな笑い声を上げ続けた。その様子は完全に中毒者のそれだ。
そして紐に手をかけたまま投げて来ない手榴弾。偽弾ではない筈だがこちらを挑発するように指先でそれを弄んでいた。爆発したらかなりの殺傷力があるのは明白でそれ故に下手に近付くことも避けるべきだとミジャンカは考えた。
それに意思疎通が取れるこのフィンドには聞かなければならないことがある。自分の問いかけに対して何かまだ隠していることがあるかもしれないし、それだけではない可能性も高い。とにかく落ち着いて話をする状況を整えなければいけないとミジャンカは思った。
「(致し方ない。)」
ならば、とミジャンカが瞬時に弓を構え、その腕を狙う。
…ドス!
「く、ひひ…っ当たったなぁ。」
鈍い音を立てて腕と太ももに弓が貫通するが、フィンドは顔色ひとつ変えない。やはり痛みを感じないのか、とミジャンカは確信した。矢が刺さった状態でひょこひょこと追ってくる様は何度も不気味で異様な光景だ。
ミジャンカが地面に手を着き、開けた右側へと跳躍する。とにかく万が一手榴弾が爆発した時に備えて、ルツ達がいる家から距離を取るしかなかった。フィンドが持っている爆発物は手榴弾だけとは限らない。そして何かの拍子でピンの抜けた手榴弾がフィンドの足元で爆発した場合、奴の身体に巻かれている爆発物が同時に爆発してしまう。どれだけの量があるのかわからない以上は、絶対に手榴弾のピンを抜かせるわけにはいかない。
「(一つ一つの威力は大したことがなくとも、爆発すれば巻かれている釘や剃刀が四方八方に飛び散る。それに無理に手榴弾を引き剥がそうにも、奴の体から離れたら起爆するように細工されていたら厄介だな。もうそろそろのはずだが…)
…間に合え。」
ミジャンカが呟く。それはフィンドには聞こえない。
「もういいだろおぉ…。死ねぇ!」
フィンドが紐を引く手先に力を入れようとした時だった。
…ドクン。
「は?」
フィンドの胸の中で、心臓が先ほどと違う鼓動を刻み始める。それは徐々に強くなり、身体中で血が沸騰するかのような熱が一気に駆け巡った。
「何だ、何だこれはあぁぁぁぁ!」
フィンドはその場に膝をつき、胸を掻き毟る。その胸はぼこぼこと波打ち、生き物が皮膚の下で蠢くように痙攣した。堪らずフィンドは頭を地面に打ちつけた。
そしてその様子を、ミジャンカは真顔で見つめる。
「漸く、効き始めましたか。」
ミジャンカがそう発する頃にはフィンドの胸には爪痕が赤い無数の線となって刻まれていた。目はまろび出そうなほどに見開かれ、舌は信じられないほど長く垂れ下がる。
「がは…っ、あが、ああ!!!こ、このガキ何をしやがったぁぁぁ!」
「先程あなたの腕と足に打ち込んだ矢には、自分が調合した毒をふんだんに塗り込んでありました。身体の自由を奪うのにうってつけです。結構な効果でしょう?」
「ひ、ひひひひ…くそ、グソおぉぉおお!」
フィンドは口惜しそうに顔を上げてミジャンカを睨め付ける。それでも笑いは止まらない。地面に何度も強打したその額からは血が流れ、顔の中心が二つに割れているかのように鼻に沿って顎まで流れ落ちていく。そして苦しげに胸を押さえたまま仰向けに倒れた。
「じっとしていてください。」
ミジャンカは静かに近付くと、ベルトから手榴弾に伸びている紐に小刀を通し、フィンドの体から切り取っていく。
「(随分と簡素な作りだ。組織的に大量生産されたものではないな。銃火器もリスベニア兵に支給される一般的なものだし、爆弾は信管が粗雑で安全装置もついていない。見様見真似で作られたのだろう。)」
ミジャンカは大きな組織単位ではなく、単独で活動をしていたフィンドと踏んだ。爆薬の知識にも明るいミジャンカからすると、あまりにもフィンドの装備がおざなりだったからだ。むしろ、これでよくもまあ
自分が丸腰にされていくのを成す術もなく受け入れるしかないフィンドの胸はまだぴくぴくと震えたままで、喀血も見られる。
太い血管から吸収されたおかげで毒の効きが強い。様子から察するにフィンドに残された時間はそれほど長いものでもないだろう。急がなければ、とミジャンカは静かに問いかけた。
「あなたに聞きたいことがまだ残っています。家畜を盗み、小屋を燃やしたのはあなた方ですね?どうしてそんなことを?」
「げほ…っ、ひひ、ひひ、ひ…。」
血を吐きながらも笑いは本人の意思とは無関係に続く。その顔に苦悶の表情はなかった。ミジャンカはその手を取り、脈を診る。
もって数分だろう。その間に聞き出さなければ。ミジャンカは懐中時計を取り出し、現在時刻を確認した。思案する。
どうする。
嬲れば早いか。
指を落とすか。いや、このフィンドには無意味だ。
足を折るか。矢が刺さっても平然としている。適切じゃない。
ならば、胴体はどうか。
掌の痛覚は麻痺しているが、毒で苦しみを感じられるのであれば腹を裂けば痛みで一時的には覚醒するだろう。
しかし。
「(…違う。)」
ミジャンカは目を閉じた。
思い返せば、痛めつけて自分の求める言葉が返ってきたことは今まで一度もなかった。それでも、悪事を働いた報いを受けるべきだと、フィンドには何でもした。
しかし、それは果たして正しいことなのだろうか。そんな考えが頭に浮かぶとは思いもしなかったミジャンカは、赤い泡を吹くフィンドに視線を移した。
一人の仕事でフィンドに一矢放とうとするその瞬間に頭に浮かんだ、昔の記憶。あまりにも鮮明な光景に、先程は思わず行動が停止した。ミジャンカはそれが口惜しく、情けないと思いながらも待てよ、と立ち止まる。
そして一つの考えに至った。皮肉にもそれが冷静さを取り戻すきっかけになったことも事実だと。
拷問する時間すら残されていないこんな状態のフィンドに、自分は今一体何をしようとしていたのだろうとミジャンカは細く長く息を吐いた。
「(もうこのフィンドが答えられるのはさっきの質問一つで限界だ。)」
それ故に少ない可能性に賭けて恩師の行方を聞き出す為に甚振ることは、きっと正しくない。だから急ごう。
そうミジャンカは自分に訓誡した。
以前の自分には無かった思考回路。一人になって初めて気づいた変化だった。
「あなたの最期はもうすぐそこまで来ています。義理立てするものもないのならば素直に答えてください。」
「ひ、ひ…。」
相変わらず
そこでミジャンカはふと思った。もしかしたら、意思疎通の取れるこのフィンドには自分にも刺さった言葉で説得する価値があるのかもしれないと。そう思ったら、絆されているわけでも教誨師になったつもりでも無かったが、不思議と穏やかな声色で話すことができた。
「いいんですか、このままで。先に逝った貴方の仲間の分も悔悛をするのならば、最後の機会ですよ。
薬漬けの人形ではなく…
人間として死ねる、最後のね。」
フィンドが目を瞠った。
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