37 大人であること

 ミジャンカには、決して人には言えない悪癖がある。そしてそれを知っていてミジャンカに単独行動をさせた俺に、ベルーメルは怒りが収まらない様子だった。


「セラウド、あんた本当に馬鹿じゃないの!?」


 夕食時に一際大きな声が響く。ベルーメルの持っていたフォークから肉がぼとりと音を立てて皿へと落ちた。そのお陰でソースが跳ね、俺のシャツに小さなシミが出来る。 


「お前…気をつけろ。」


「どうしてあんたはいつもそうやって勝手なの!?信じられないわ!」


 ベルーメルが立ち上がり、テーブルを叩いてさらに語気を強めて俺へと食い掛かる。数日前、結局イレイズを見送れずに終わったことが余程癪に触ったらしく、彼女の元々の機嫌も決して芳しい物ではなかった。次の仕事までに日数が空かず、ジャイレンに滞在出来る時間が殆ど無いことも気に入らなかったようだ。そして、急遽入った仕事をミジャンカ一人で行かせたことを俺が事後報告したことが追い討ちになった。


「おい、うるせェぞ。飯は座って食えやァ。大体今更騒ぎ立てたところで仕方ねェだろうが。」


「あんたは黙ってて!」


斜向かいに座っていたカースティが鬱陶しそうにベルーメルを睨むが、頭に血の上ったベルーメルはそれに目を見開いて一喝する。只ですら真紅の瞳が更に紅く燃え上がり、腰に手を当てて再び俺の方に向き直る。これからどのように俺を責め立てようか考えを巡らせているらしく、なかなか言葉が出てこない。俺はちょうど食事を終えたところだったこともあり、手を止めた。


「急遽フィンドの情報が入った。別件で調査に向かっていたミジャンカが一番近い距離にいた。だから行かせた。以上だ。」


 別に言い訳を並び立てるつもりもなかったので、簡潔にミジャンカを一人で行かせるに至った背景を説明する。我ながら無駄のない、伝える必要のある情報だけを厳選したつもりだったが、何故かカースティとハワードが眉を顰めてじっとりと見つめている。その目は一同に冷たい。


「…アホ。もうお前黙ってろォ…。」


「何だお前達その目は。」


「あー、セラウドそういうことでは無「頭沸いてんの!?そんなこと端からわかってるわよ!何でミジャンカを行かせたのか聞いてるのよ!」


 口を挟みかけたハワードにも構わずベルーメルから怒号が飛ぶ。このままでは埒が開かないので、一先ず言いたいことを吐き出させてからの方が良さそうだと、椅子の背に寄りかかり、腕を組んで聞く姿勢を貫くことにした。


「あのね!あんた達は全然気にも留めてないのかもしれないけれど、あの子はあんた達が思っている以上に不安定なの!珍しくここ二ヶ月は四六時中一緒に行動していたものだから忘れてるのかもしれないけれど、一人にさせたらどうなるかわからないでしょう?またフィンド相手にへきが出たらどうするのよ!」


 正直な話、ベルーメルが抗議してくることは大体読めていた。それを承知の上でミジャンカを一人で行かせたのだ。実際問題移動時間を考えるとミジャンカ以外に行かせる選択肢は無かったし、ジャイレンから列車で半日かかる農村に態々もう一人お目付役で向かわせるのも非効率的極まりない。しかし、その手間を割いてでもベルーメルは一人にするべきではなかった、と俺を詰ってきた。


 それは数ヶ月前まで見られた、決して褒められる物ではないミジャンカの悪癖のせいだろう。


 ミジャンカは、フィンドを処分する際に拷問めいたやり方で、時間をかけて死に至らしめる癖がある。それはむごいなんてものではない。戦時中に捕虜が甚振いたぶられた果てに殺される場面を頻繁に見ていた俺ですら、軽い吐き気を催す程であったし、普段動揺した様子を決して表に出さないハワードも瞠目して完全に言葉を失っていた。



『殺し…っ殺してくれえええぇぇえ!!!』



 断末魔、肉が引き千切られる音、生きたまま裂かれた腑から放たれる湯気と強烈な血腥さ。


 死を切望しながら苦しむフィンドを見下ろすミジャンカの顔は穏やかだった。それは怖気おぞけを覚える程に不似合いなものだったし、その表情を見た瞬間にこいつは人間であることを捨てたのだと悟った。

 俺はその自覚が本人にあるものなのかと疑問に思って、本人に問いかけた。


 『お前は、いつまでも外道に成り下がったままでいるつもりか。』と。


 するとミジャンカは返り血で濡れた顔を傾けてこう返してきたのだ。


『これは鶏を絞めることと何ら変わりませんよ。』


『散々悪事を働いておいて楽に死なせて欲しいだなんて、虫が良すぎるのではないですか?』


 当時のミジャンカにしてみれば、フィンドは家畜を屠殺することと同等だ。決して人間と同枠では見てはいない。彼の中では独特の哲学があるからだ。


 悪事を働いたものは、それ相応の苦しみを甘んじて受けるべきであり、それこそが救われる道であると、ミジャンカは言った。死後に最後の審判があるかなど、誰にもわからない。ならば生きているうちに裁きを受けさせるべきであると。


『自分はずっとそう教えられてきましたよ。それをおかしいと思ったことはありません。』


 少年時代に異質な環境で育ってきたことがその一言でわかった。


 しかし俺にはその言葉がまるでミジャンカが自分を納得させるかのように、言い聞かせているように感じたのだ。でなければ、こちらが聞いていないにも関わらずおかしいと思ったことはないなどと強調してくる理由がない。


 片一方で日常的に見える人間的な温かさは、ある程度大人に近づいてから誰かに教えられたものなのだろう。頭のいいミジャンカのことだ、人の世に入り込むにはどう振舞えばいいかなど一度聞けばすぐに覚える。そしてそれはミジャンカが時折口にする『先生』という人物によるものであることも容易に想像がついた。


 恩師を失ったのは俺も一緒のはずだったが、ミジャンカの師への想いは尊崇だけではなく、極度の依存も垣間見えた。それが彼を残虐な行動へ駆り立てていたのは目に見えて明らかだった。


 だから俺は一年前のあの日に言った。


『お前の肩は潰れるその時を待つばかりだ。なら俺達に寄越せ。その肩にのしかかった大きな荷物をな。背負ってやる。そして軽くなった分、お前の力を預けろ。そうすれば、お前は…



人間に、戻れる。』

 

 己に生きる術を教えてくれた師を失う悲愴感や喪失感は俺も理解してるつもりだったし、乗り越えた立場だからこそ言えることもあると思った。そして類稀なる戦闘力と頭脳。目的の為に必要な人間だと思ったからこそ、俺はミジャンカに手を差し出したのだ。


『いいえ。そんなものはただの弱さです。自分はこのままでいい。…今更やり方は変えられません。』


 あなたとは違います、と一度は拒んだ。しかし重すぎる荷を下ろす方法もわからぬまま突き進んで来たミジャンカは、自分の中に明らかに生じた迷いに戸惑いを感じていたようだった。だから、俺は彼の腕を引いた。



『なら俺が連れて行く。来い。』



俺の手を取るのを待っていても、いつまでもそんな日は来ないと思ったからだ。


 最初こそ戸惑いを隠さなかったが、まだ見ぬ新しい景色への好奇心もあったのだろう。ミジャンカは引かれるままついて来たし、そのうち少しずつ愛嬌のある笑顔を見せるようにもなって来た。この一年、一人で戦わせることもなかったので、フィンドに対して以前ほどの悪質な嬲りをすることもなかった。その節が見えようものなら、俺たちの中で気が付いた者がミジャンカに手を下させないように立ち回っていたことも大きいだろう。


 ミジャンカ自身も少しずつ自制するように努めていたし、一般人の目に入るような場では殆ど癖を出すことはなくなった。ハルトでフィンドを射た際も、イレイズがいたからこそあの程度で済んだのだ。むしろ彼女に対して『見苦しいものを見せて申し訳ない。』と気遣う言葉をかけたことに対しては多少の驚きもあった。


 ただし根本的な部分がどうなっているかは別だ。それはミジャンカにしかわからない。

 

「よりによって今回バイロンに派遣された軍警が新人だなんて!何の役にも立たないじゃない!」


 そう、今回同行しているのは一般人ではない。新人とはいえ軍警である。ミジャンカの癖が出ないで済む保証などどこにも無いのだ。しかし、バイロンがすぐに駆けつけられる場所でない以上、今喚いても詮無いことで。


「大体オガール人の新人軍警なんて戦争も経験してないし、平和ボケしてるに決まってるでしょう!そんな子達がミジャンカの悪癖を見てトラウマを植え付けられたらどうするのよ!この手のトラウマはなかなか消えないんだから!」


 鬼の形相で俺を詰問するベルーメルの様子を見ていたカースティが、視界の端でため息を吐くのが見えた。長期戦になるかもしれない、とうんざりしているのだろう。ハワードに至ってはいつの間にか自分の食器だけ綺麗に片して離脱していた。面倒毎をとことん避けるあいつはいつもこうだ。


「フィンドにとっては倫理観や道徳観など石ころも同然。軍警である以上はそんな場面にも遅かれ早かれ出会すだろう。全員が通る道だ。」


 人を人とも思わぬフィンドの手にかかった被害者の成れの果ては口に出すことすら憚られるような凄惨なものだ。フィンドの被害を調査する軍警の立場では決して避けては通れない。だから、ミジャンカの悪癖が人の道から外れたものだったとしても、結果としてそれを見ただけで心を病むのであればその新人軍警はそこまでだ。むしろ今後の自分の為にも早く辞したほうがいいだろう。


「じゃああの子は?ミジャンカ自身の問題はどうなの?前みたいになったら?」


 訴えたいことを一通り口にしたことで落ち着きを取り戻してきたのだろうか。ベルーメルの目が苦しげに細められる。細く長く息を吐いて、感情を制御しようとしていたが、怒りの次に彼女の心に広がるのは、きっと懸念と悲嘆なのだろう。


「私は絶対に嫌よ。やっとあそこまで持ち直したのに。」


 ベルーメルは、ある意味俺たちの中では一番だ。情に厚いし女性ならではの気遣いも出来る。だからこそミジャンカのことはずっと気にかけて来た。


 しかし、大切に思う相手を甘やかすがあるのも事実だ。信用していないわけではないだろうが、俺たちのような特殊な仕事をしている人間はある程度の放任も許容出来なければならない。出来ることは出来る人間に任せることは大原則だ。


「誰しも完璧でない以上は、足りないところを補完する為に手を差し伸べることは悪いことではない。しかし、ミジャンカがであることもいい加減認めてやれ。」


「!」


 ベルーメルが息を呑む。



『セラウドの手で、このデイルを自分の双肩に掛けて頂きたいのです。もしもあなたが、自分を一人の大人として認めてくれるのなら。』



 ガジャルウィンドの遊牧民族ジョゼル族に古くから伝わる成人の儀で、三日間の断食の後に一族の長に認められた男子のみがその肩に掛ける事を許される伝統的な外套-デイル。


 俺はあの日、跪くミジャンカの肩に成人の証たるデイルを掛けた。


「俺がデイルをミジャンカの肩に掛けたのは、あいつを大人と認めたからこそだ。あの日からあいつを子供として扱ったことは一度たりとも無いし、勿論これからも無い。」


「それは…。」


 当然正式な成人の儀ではなかった。

 オガールにいる以上は伝統に則った形で儀式を行うことは不可能だし、所詮は真似事に過ぎない。それはデイルも同じだ。


 本来なら金の糸も用いられた絢爛な刺繍が一面に施されている筈のデイル。一族の女がその男子の健勝と多幸を祈りながら何年も掛けて針を通して誂えられるものだ。


 しかしミジャンカのものはお世辞にも立派とは言えな心ばかりの簡素な刺繍が施された、豪奢とは程遠い薄い布だった。それでも、ミジャンカにとっては間違いなく重要な意味を持つものに違いなかった。俺の前に跪いたミジャンカの目には確かに大きな光が宿っていて。少しずつでも過去の呪縛から自分自身を解き放とうと足掻く覚悟を見たのだ。



『ミジャンカ・コラケム。お前を、成人として…一人の人間として認める。』



 そして人の痛みを憂い、寄り添える人になれ。その過去が例えどのようなものだとしても。俺はデイルを掛けて願った。



「あいつは弱くない。もう自分の感情に突き動かされて本来の目的を見失うような子供ではない筈だ。少なくとも俺は、そう信じている。」 


「…。」


 ベルーメルは、もう何も言わなかった。


 気付けば先程までの席に腰を下ろし、冷め切ってすっかり固くなった肉の乗った皿を見下ろしていた。


 







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