27 ローリア社
ミジャンカ達が買い出しに出ている間、俺はある所を訪ねていた。
拠点から歩いて十分程の距離に建つローリア社の本社は、昔倉庫として使われていた煉瓦造りの建物を改装したものだそうだ。世界中に記者を派遣し、屈指の情報網を誇る大きな新聞社の本社としては些か役不足に見えるものの、その分支社の数が多く、全社員が一度に会することもないことを考えるとこの規模でも十分らしい。
「まさかハルトのような港街にまでフィンドの手が伸びていたとは、何とも末恐ろしいことだ。組織的に子供を食い物にしていたフィンドの話はうちの社内でも少し騒ぎになっていたところでね。カプセルの蔓延も、一般大衆まで広がり始めている。紋章も持たない一般人にも、ということになれば蔓延実態を把握するのは骨が折れるだろうね。フィンドはフィンドで、処分してもそれを上回る勢いで増えていく。完全なる鼬ごっこというわけだ。」
目の前に座る無造作に纏められた赤髪をガシガシと掻く無精髭の男は、俺にコーヒーを勧めながらも盛大な溜息をつくのだった。
今は丁度月が見える、常に開けっ放しにされているらしい窓に掛かるカーテンは、俺が初めてここを訪れた数年前には間違いなく綺麗な白であった筈だが、日焼けかあるいは煙草の脂によって黄ばんでいた。
室内にはそこかしこからタイプライターの音が響き、忙しなく走り回る記者達は来客など目に入っていないようだった。
その様子を見渡せるように窓際に置かれた大きな机には所狭しと物が置かれ、その斜め前に設られた来客を持て成すスペースにさえも、倒れて雪崩込みそのままになっている本が散乱している。大方いつも訪ねてくる客など固定化しているので、忙しさに感けて掃除も後回しになっているのだろう。俺の前に置かれているコーヒーソーサーですらも、指で撫でれば埃がつくのだ。こういうところに気が付き、率先して清掃に励む女性はこの建物には数少ない。新聞記者自体が未だに男性が多い職業でもあることに加え、ローリア社が普通の新聞社でもないことを考えると納得できるもので。
「フィンドが一般人を抱き込んで犯罪を起こすケースも増加の一途を辿っている。ハルトでの一件は氷山の一角に過ぎん。フィンドに加え、軍警がそうでない犯罪者の対応に追われることも日常化しつつあるということだ。」
「まぁねえ。でもそれが彼等の仕事なんだから、頑張ってもらわないと。んでもってネタを提供して貰って僕達がご飯を食べると。そうなると君達への情報も必然的に多くなるわけだから、世の中うまく回っているもんだよ。」
ここローリア社で長らく編集局長をしているこの男-アルゴ・クラトレアの明らかに度の合ってない眼鏡の奥に見える深い隈が刻まれた目元はしょぼしょぼと頼りないし、クタクタな皺だらけのシャツを見る限り、暫く家には帰れていないに違いない。ついさっき彼の後ろを着いて社内を歩いている際に扉が半開きになっていた仮眠室が目に入ったが、簡易ベッドの周りには日用品が溢れていた。生活感がすっかり染み付いたその部屋の主となっている彼は今年四十を越えたし、中年に差し掛かった男の体にはこの生活は堪えるだろう。
「まぁ、フィンドの情報については、なかなか僕達も一般紙面を割いて大々的に書くことが出来ないからね。貴重な人材を減らすわけにもいかないから、書けるギリギリを攻める。やることはいつも同じさ。お陰でお上のご機嫌取りに奔走する日々だよ。」
アルゴは辛うじて感じ取れるくらい微かに眉を顰めた。
オガールは鉄道や科学分野など、リスベニアから技術提供を受けているものが多い。無制限に難民を受け入れ、フィンドから被る損害も甚大であることを考えるとその補填の意味合いが大きいのは確かだが、それは自国の技術が数十年単位で遅れているオガールからすると決して手放したくないものでもある。その為、オガールの大手新聞社であるローリア社がリスベニアを公然と批判したり、フィンドの詳細な被害状況を記事にすることは下手すれば国際問題に発展する。これを国は恐れているわけだ。
それを避ける為、オガール政府からローリア社へは当然のことながら圧力が掛かる。フィンドの過度な情報収集やその情報を我々に提供していることを表沙汰に出来ないのはその為である。
リスベニアが一つの国として直接一介の新聞社に手を出すことはないだろうが、私怨によりフィンドの襲撃を受けないとも限らない。最低限の護身ができる者たちばかりとはいえ、フィンドの前では到底太刀打ちはできないので、社員を守る為にはその境界線を守らねばならない。
オガールとしては外交に対してやフィンドの被害に対する国民からの反感を生まない為でもあり、国内屈指の優秀な記者が集うローリア社の人材を守る為でもある。世界的にも苦しい立場のオガール政府は、絶えず多方面へのご機嫌伺いを強いられているわけだ。
本来なら、ローリア社への圧力もアルゴがトップでなければこんなものでは済まなかっただろう。
アルゴの場合、過去の経歴から当局との関係も悪くない。記者として言論の自由をある程度制限されることに対する遺憾を上に通す特別な伝手もある。俺達とは個人的に協力体制を築いていることもとっくに政府関係者の耳には入っていることに加え、ハウンズがローリア社のバックにつく軍警公認の武装集団であることもあり、限りなくグレーな記事をギリギリまで攻めて書くわけだ。それは、アルゴにとってもローリア社にとっても一つの記者としての意地だった。
そんな彼の赤毛の中に見える白髪は一、二本ではない。目を凝らせば数えられない程に紛れたそれは、彼の日頃の苦労故なのかも知れない。彼が一頻り話し終えたところを見計らって、俺は口を挟んだ。
「ところで、手紙の件だが。」
アルゴはそれにあぁ、と思い出したように手を叩いて物が散乱した机の引き出しから書類を取り出す。
「それにしても、まさかハウンズのリーダーである君直々に人材の売り込みだなんて、どういう風の吹き回しなんだい?よもや同郷だからなんて理由で態々ハルトから連れてきたわけでもないんだろ?」
彼は手元の書類に目を通しながら、口に咥えたペンを弄ぶ。耳にもペンを挟んでいるところを見るに、その存在はとうに頭にないのだろう。
「多忙なあんたに、これ以上世間話に花を咲かせる体力と時間を取らせるのも申し訳が立たないのでな。単刀直入に言う。彼女はカストピア人の戦場カメラマン、ヴィリアス・パーハップの忘れ形見だ。」
「…ほー。そりゃまた何とも。随分長く行方不明だったと聞いていたが、漸く見つかったのかい。」
微かに目を見開いて、改めて書類に目を落とした。その際に眼鏡を押し上げたお陰で、アルゴの耳からペンが落ちた。当の本人はそれには御構い無しで、食い入るように書類と俺が予め手渡しておいた手紙を交互に読み進めていく。
「まだ一般人と変わらぬ娘だ。あんたには苦労をかけるが、戦火の中を一人で生き抜き、状況を冷静に分析して行動に移せる力はある。多少の平和惚けで鈍ってはいるが徐々に持ち前の直感力も取り戻せるだろう。下積みからで構わん。面倒を見てやってくれ。」
「成程。まぁ新聞社なんて万年人手不足だからね、身元を引き受けるのは問題ないよ。君の人を見る目を疑うのも野暮だろうしね。」
ただ、とアルゴは手元から目線を上げて俺を見据えた。先程のしょぼついた中年の目ではない、射抜くような鋭い目だった。
「その上で一つだけ確認しておきたい。」
「俺にか。」
この男は、伊達にこの世界で生きてない。見た目通りの冴えない中年とは違うのだ。若かりし頃、軍警で最前線を張ってきた過去を持つ彼が抱えている疑問は安易に想像がつく。
「…いや、これは彼女と直接話をした方が良さそうだね。」
「そうしてくれ。人の心の奥底を会って数日の俺に聞くのはそれこそ無駄だ。推し測った結果をあんたに伝えたところで、何の足しにもならん。」
相変わらずさっぱりしてるねと表情を緩ませるアルゴには目もくれず、俺は残ったコーヒーを口に流し込んで立ち上がった。
「明朝、うちの記者をおたくに迎えに寄越すよ。荷物をまとめておくように彼女によろしく伝えてくれ。…って、あ!ちょっと待って!駄目だコレだけは先に聞いておいてもらわないと!」
「何だ…。」
帰ろうと踵を返しかけた時に外套を掴まれる。焦ったように片手で頭を抱えるアルゴを見る俺の目はさぞかし冷えたものだったに違いない。アルゴは困ったように首を傾けて言うのだった。
「宿舎の部屋風呂無しなんだけど、嫁入り前の娘さんなのに大丈夫かな?」
「知るか。」
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