12 紅

 

 風が吹く。人一人通れるほどの道を足早に急ぐ。水気を含んだ三人分の跫音が狭い空間に木霊していた。


 そして、天井の高い海蝕洞が開けた時、見えた人影は三つだった。


 その影を捉えた瞬間、一番後ろにいたハワードが懐から小刀を取り出し、叫んだ。


「二人とも伏せろ!」

 前方にいたカースティとベルーメルの頭の真上を縫うようにして一閃の影が飛んでいく。


「ヒィッ」

 

 カッという甲高い音と共に、そこにいた男が尻をついた。ハワードの投げた小刀が、リスベニア兵の軍服の袖を貫き、木の小舟に突き刺さっていた。


「なんだてめえら!軍警か!?」


 全員同じ煤けた緑色の軍服を着た、リスベニア兵だった。目が血走り、息は荒い。どこからどう見てもフィンドに違いなかった。


「これが、町の人たちの言っていたRの紋章をつけた小舟ね。」


 そこにあったのは3隻の小舟。双頭の大鳥を遇らった紋章がしっかりと刻まれていた。ベルーメルは無視するんじゃねえと喚くリスベニア兵に無言で銃を突きつけて黙らせると、未だハワードの放った小刀に慄いて腰の立たない男が乗った小舟を覗き込む。


「よかった。メリル、無事だったのね。」

 小舟の底には、黒い柔らかな髪を散らばせ、体を丸めて眠る一人の少女がいた。首元が空いているのを見て、先ほど拾った赤いスカーフが巻かれていたことが容易に想像できた。目隠しをされ、後ろ手に縛られてはいるが、見る限り外傷はない。


 銃を構えて片手が使えないベルーメルの代わりに、カースティが少女を抱き上げる。


 ここで、一連の行動を黙って見ていたリスベニア兵が声を荒げたが、仲間の一人が肩に手をかけ、其れを制そうとする。


「おい!勝手なことしてんじゃねぇ!そのガキを返しやがれ。」


「ま、待て!その女…」


 夜明けの時間が近づき、辺りが白澄んでベルーメルの紅い目と漆黒の髪が露わになったと同時に、その男の目が見開かれた。


「は、はは。『混ざり物』かよ。こりゃ珍しいぜ。」

 それを聞いた瞬間、ベルーメルの周りの空気がすっと冷えたことをハワードとカースティは感じた。

 

 乾いた笑いを浮かべ、ふらりとベルーメルの前に足を進める男からは、フィンド特有の臭いがする。甘ったるい薬に侵された中毒者の臭いだ。それを見るベルーメルの目には既に光は無い。


「こんな別嬪の混ざり物がお目見えとはなぁ…。大方その野郎どもも身体で絆され」


「はいそこまで。」


 その刹那、ベルーメルの目の前に、自身の目と同じ『紅』が広がった。


 その男がベルーメルの髪に触れようとするのと、ハワードが音もなく男の首に一刃振り下ろすのは、ほぼ同時だったからだ。

 己の死に男の表情が崩れるより前に、飛んだ首は鈍い音を立てながら海蝕洞の岩壁に跳ね返り、広がる海水の中に沈んでいった。みるみる面積を広げる真紅の海水を見たカースティも蛆虫を睨め付けるような目を向けながらも、万が一少女が目覚めた時にこの惨状が目に入らぬよう、少女を抱えたまま入江側に向かった。


 全て一瞬の出来事だった。自身の足元にうつ伏せた男を見下ろしたベルーメルは、眉ひとつ動かすことなく動かなくなったその胴体を仰向けると、紋章を引き千切って衣嚢に仕舞い込んだ。そしてその身体を跨ぎ、背中越しにハワードへ「後はお願い。」と残してカースティの後に続いていった。


 それは感情の全く無い、冷めた声だった。


 唖然と立ち尽くした男と、小舟に尻をついたままの男。ハワードが剣の血を払い、二人に向かい直った。


「さて。お嬢さんは返してもらったわけだけど、君たちはどうするんだい?」


 淡々と抑揚のない声に二人の男の背筋に冷たい汗が流れる。ハワードは未だ剣を収めていなかったからだ。


「軍警に出頭する?それとも、ここで終わる?どちらでも私は構わないよ。」


 処理する手間が省けるかどうかの違いだから。


 そう言いながら一歩一歩自分たちに近づいてくる秀麗な顔つきの青年。人の首を刎ねたとは信じられない返り血の付かない小綺麗な服。虫も殺さないような涼しい顔の筈なのに、男たちは震えが止まらなかった。


「あ、あ…まさかあんたら…あのジャイレンの猟犬…!?ハウンズか!?」

「ひ、嘘だ…!何でよりによってこんなところで!」


「生憎と君たちに名乗るような大層な名前は持ち合わせていない。私もあまり気が長い方ではないのでね、早めに答えを頂けると助かるよ。」


 数メートルの距離が縮まるのが悠久の時間に思えて、小舟の男は声にならない声を出す。


「あぁ、その前に。」と思い出したかのように、ハワードが足を止めた。




「いくつか君達に確認したいことがあるのだよ。」




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