8 暮夜


「申し訳なかったなァ。助かったぜェ。」


 役場から出て来たカースティは祭りで賑わう街並みの人混みをかき分け、裏路地にあるカフェの扉に手をかけた。カランカランと客の来訪を告げるベルの音を聞いた女給がいらっしゃいませと声を掛ける。カースティはそれを、連れがいるからと手で制した。店の最奥に設えられた四人席に向かうと、彼はご苦労様、と手を挙げた。


「やあカースティ。収穫はいかほどだったのかな?まあコーヒーでも飲むといい。」


「チッお前はまた涼しい顔で。まさかこれしきの情報を仕入れるのにこれだけ苦労するとはなァ。」ドカッと席に座ったカースティの前にコーヒーが置かれる。


「こちらも調べてきた。ただ、私が思ったよりもかなり結果は偏っていたよ。こちらも情報の引き渡しにえらく時間を割かれてしまったけれど、それなりの収穫はあった。」


「お前もか。俺も大分渋られたからなァ。」

 コーヒーに手をつけながらカースティは訝しげにハワードを見た。


「私からいこうか。整理して報告するよ。まず、この街にある孤児院は三つ。うち一つは修道院が管轄する公営孤児院だ。」


 難民が多いオガールには孤児院も多い。孤児院には大きく分けて国の委託を受けて修道院が管轄する公営のものと、個人が自営しているものの二つがあるが、前者に入所する場合には一つの条件が課されていた。


 それが難民証明書の有無である。


「国が地域ごとの難民の民族分布を把握する為なのだろうけど、言ってみれば入所の条件はそれだけ。都市部、地方などの地域差があるにせよ、それによって処遇が変わるわけではない。未成年者の場合、最低十八歳までに難民証明書を取得できれば大学への進学にも対応できるし、オガールに限って言えばどの道旅券を申請出来るのは成人してからだ。私営孤児院にいる間に証明書を取得する孤児も少なくないからね。」


「あァ。お前が言っているのは、『民族認定』の正確さだろ?全くセラウドが何を言い出すかと思えば、この為だったのかよ。毎度毎度回りくどい指示の出し方しやがって。」


 カースティの一言に、ハワードは頷く。


「その通り。さすがはセラウドだ。まさかあの短時間でここまで考えていたとはね。」


民族認定ー。

セラウドの思惑はここだった。


 そもそも首都ジャイレンに程近い比較的大きなこのハルトの街に、リスベニア兵の残党が上陸することは非常にリスクを伴う行為である。地方と比べれば軍警の目も届きやすく、警備体制も厳しい。だからこそジャイレンを中心としたトールケイプ地方は残党が入り込みにくく、比較的治安が保たれているのだ。


しかし、良くも悪くも『都市部にしか無いもの』もある。


「公営の孤児院は、一定の規模がある街にしか置かれてない。地方、特に他国との国境沿いの国は民族分布を測るまでもないし、むしろ国は治安維持に国費を投じることを優先させるから、地方の孤児院は殆どが私営だ。」


「なるほど。それにしてもお前よくそんなことまで知ってるなァ。」


「私は元教師だろう?ひとしきりの国内事情は把握しているつもりだよ。」


「そういやお前あのねえちゃんと同じく孤児院での教職経験があったっけか。」


「まぁ、随分と昔の話さ。何はともあれ難民証明書があればその難民が『どの民族に属しているのか』が証明される。表向きは、元々身分証明書を持たない難民が、国境規制が解除された際帰国する為に必要となる、最低限の証明書として発行されたものだからね。そして、恐らく西の入江の小舟の主達の狙いは『それ』だ。」


 旅券ほど厳格なものではないから、と付け加えた上でハワードはコーヒーに手を伸ばした。カースティも手元に持っていた紙の束を広げて息をつく。


「俺もまさかここまできな臭い話になっていたとは思わなかったぜェ。いつも通りフィンドを片付けて軍警から小遣いもらって終わりになるもんだとばかり…。」


「今回はそこまで単純ではなかったってこと。単に街人を襲って金品を奪うだけなら、わざわざ都市部を狙う必要はない。捕まるリスクが高すぎるからね。そう考えると、ある者にはプラチナパスポートの意味合いを持つ難民証明書に自然と行き着くのだよ。」

 ハワードはカースティへ向き直った。


「奴らは、その『リスベニア人認定の難民証明書』を求めてこの街にやってきたんだろう。しかも複数回に渡ってなァ。」


「その通り。フィンドの跋扈を防止する為、一度でもリスベニアの兵役についてたら原則証明書は発行されない。証明書がなければ旅券も手に入らない。手数料で青年貴族の年収並みの金が消し飛ぶビザを取得するなど以ての外。となると方法は一つだ。手っ取り早く合法的に自国に帰還するには他人の難民証明書を奪うしかない。事実、街に一軒だけある公営の孤児院に籍を置く子供達の分布を調べてたら私も驚いたよ。現状リスベニア人はたった一人だけだ。カースティ、聞くのは無駄だろうけど、町役場にあった難民の入街記録はどうだったんだい?」


 すかさずカースティが紙の束をハワードの前に突き出したが、その顔には脂汗が滲んでいた。


「証明書を持つリスベニア人の子供の記録はこの通りだ。どの子供も、入街記録がある。だがいずれも例の孤児院に入所してから一ヶ月以内に里親に引き取られていやがる。」


「偶然にしては出来過ぎだろうね…。証明書を持っている孤児は入所に時間のかからない公営の孤児院を選ぶ。ほぼ全てのリスベニア人の子供がそうしたはずだ。」


「だが引き取られた子供が街を出た記録はなかった。何人かの街人に聞いて回ったが、孤児院を出てからその子供達を見た街人は確認できなかったぜェ。」


 カースティが調査したのは、ここ一年の孤児の足取り、そして各孤児院の里親への引き渡し条件、引き取られた子供の行方についてだった。奇妙なことに、公営孤児院から引き取られたとされる子供達の退街記録は残されていなかったのだ。


「公営の孤児院の他に、二軒の私営の孤児院の分布を調べたが、ほぼ均等だ。当然難民証明書を持ってねぇ奴が多いから不確実だが、子供が嘘を吐く理由がない以上は信じて間違いはねェだろうよ。」


「やはりか。全く困ったものだよ。…どの道あの娘さんには、随分と酷な話になるだろうね。」


 難民証明書を奪うことだけが目的なら、盗んで子供は捨て置けばいい。しかし子供達の足取りは行方知れず。この事実が導く真理が決して祝福されたものではないことは彼らは知っていた。


 ハワードは息を一つ付き、眉間に指を当てて頭を擡げた。カースティも舌を打ち、既に温くなったコーヒーのカップをテーブルに置いた。


「街を出た記録が残っていないのは、残されたら都合が悪いから。単純過ぎてつまらない理由さ。街の正面門を避けて出たのだろうね。」


 指し示す真実は、間違いなく前に進めずにいる『彼女』を追い詰めるものになるだろうと、二人は悟った。


 平和な港街に燻る闇に触れた時、こちらもまたその闇に手を伸ばされている。そして、その闇に抗う術を彼女は持っていない。それが何を意味するかを考えた時、一度でも関わってしまった彼女を捨て置く選択を出来る程冷徹にはなれなかった。


 先に席を立ったのはカースティだった。

「取り敢えず戻ろうぜ。例の孤児院に残っているリスベニア人のガキのことは急いだほうが良さそうだしなァ。考えるのはそれからだろうよ。」


 その一言を聞いたハワードは、口元に小さな笑みを湛えた。


「考えるだなんて、回りくどいね。心配しなくても、私が考えていることは君と同じだよ。きっと、セラウド達もね。じゃなきゃ」



 君と相棒なんてやってられないよと、ハワードは目を細めるのだった。


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