6 斜陽の入江


「お祭りの日にご足労お掛けしてすみません。」


「いや、別にいいんだけどねぇ。あぁ、だいたいこの辺だって話だよ。私は見てないけど、今にも壊れそうな小舟があったって。紋章云々の話は知らないよ。すぐ無くなったみたいだから。」


「え?なくなったですって?」


 ベルーメルとミジャンカが街人の案内でやって来たのは西の入江。例の不審な小船が発見された場所である。街の中心地から徒歩で數十分の場所だったが、あたりに民家はなく、穏やかな波の音だけがこだましていた。街灯も見る限りは設置されておらず、日が落ちれば出歩くには危険な場所だろう。街人は退屈そうに入江のあたりを指差した。しかし、問題の小舟の現物は既にないという。二人は怪訝そうに目配せ、再び街人に向き直った。


「具体的には、いつまであったんですか?」

 ミジャンカが尋ねると、彼は肩を竦めて両手を挙げた。


「さあね。実際私も又聞きだし、詳しくは知らないよ。」


「ねえ、今日はお祭りだから人が少ないのは当然でしょうけど、ここは普段からあまり人は近寄らない場所なのかしら?」


 入江という性質上本来であれば港にふさわしい場所に見えたが、見た所人通りは異様なほど少ない。今日が祭りであることを考えても、ベルーメル達は俄かに違和感を覚えた。


「港が反対側にあるし、この辺りは潮が満ちて来ると泥濘んで危ないんで。用がない限りは近づかない場所だろうねぇ。」


「用、ですか…?こんな何もない泥濘んだ場所に?」


「あぁ。釣りの穴場なんだよ、ここは。すぐそこに小屋があるだろう?釣りに来る街人がよく利用する休憩所になっている。」


 男性が崖になっている岸壁を指差す。確かにそこには物置にも見える古い木造の小屋があったが、人の気配はしなかった。


「普段から解放されているってこと?」


「いや、鍵は役場で管理されているよ。特に今日は祭りだからね。終日施錠さ。」


 特段関連性も見当たらなかったので、ベルーメルは特に気には止めなかったが、街人の返答にミジャンカが眉間に皺を寄せる。ほんの刹那だったが、街人が返答時に空に目をやるのを見逃さなかった。


「ねぇ、ひとつお願いがあるのだけど。今日の朝、酒場で直接その不審な小舟を見たって人がいたのよ。その人に直接話を聞きたいのだけど、役場に呼び出してもらうことは出来ない?名前を聞きそびれてしまって。」


「生憎あいつは丁度今日昼から漁に出てるからもう話は聞けないよ。」


「漁?祭の日に?」


「そうさ。暫く戻らないからお姉さん達がこの街を発つまでに戻るのは難しいだろうよ。大体お姉さん達も軍警じゃないだろう?漂流していた小さな船がたまたま流れ着いただけさ。こんなつまらない話に口を挟まなくてもいいだろう。」


 違和感の正体が少しだけ見えた気がした。これ以上踏み込んでくれるなと。余所者は口を挟むなと言わんばかりの街人の口ぶりに、二人は沈黙した。街人も居心地の悪い沈黙が耐えられないのか、ポケットに手を入れて悪戯に体を左右に揺らしていた。


「もういいかな。私も祭りに戻りたいんだ。どうせもうすぐ日も落ちるし、この辺真っ暗になっちまうよ。危ないったら。」


「ええ…。どうもありがとうございました。少し自分達だけで歩くのは構わないですか?」


「それはお好きに。せっかくの祭りの日なんだから、お姉さん達も参加したらいいのに。」


「お気遣い痛み入るわ。少し見てからにするから、もう結構よ。」


 街人はベルーメル達の方を振り返りながら、心なしかそそくさと入江から立ち去っていった。



 街人の背中が見えなくなった後、ベルーメルは再び入江の方に向き直った。潮風にさらわれる漆黒の髪を手で押さえながら、暫しの間穏やかな水面を見つめていたが、ふと口を開く。


「何であの人、あんな見え透いた嘘をついたのかしら。余所者に知られたら都合の悪いことでもあるってこと?」


 その言葉にミジャンカは目を細めてベルーメルの方へ歩を進めた。


「今日漁に出かけている、の下りですか?」


「ええ。今日は祭りの日よ。市場が昼から閉まるのにあの旦那さんが漁に出るはずがないわ。それに、私達の指す目撃者を、あの人が知っているはずがないのよ。」

 そうだ、おかしい。ベルーメルは直感的にそう思った。何日も戻ってこない大掛かりな漁。そんな頻繁に出れるものではないだろう。加えてこの時期は季節的に時化ることも少ない。祭りは一日しかないのだから明日から出れば良いではないか。何故今日から漁に出る必要があるのかがどうしても引っかかっていた。そして、ベルーメルは件の目撃者を特定出来る具体的な情報を一切漏らしていないにも関わらず、彼はそれが誰を指しているのかを正確に把握している様子だった。


「朝の時点でかなり飲んで出来上がってましたからね。こちらもはっきりと酒場で話を聞いたと言ったわけですし、あの状態で漁に出る漁師はいないでしょう。」


 件の目撃情報をくれた街人は酒杯片手にベルーメル達と語らっていた上、酔いっぷりもかなりのものだったのは二人も記憶していた。ベルーメル達は途中で退席していた為、それ以後の様子は未確認であるものの、とても船に乗れる状況ではないはずだった。こうなったらより多くの街人の話を聞くより他にあるまい。


「小舟が一晩で忽然と消えるのも不自然ですね。今日イレイズさんを襲ったフィンドがいたわけですし、仲間を置いて出航したとも考えにくいですから。」


「誰かが私たちの動きに気付いて小舟を隠したのかしら…。」


 主にフィンドを処分する彼ら五人については、軍警はもとより一般市民の中でも情報が流れ始めているものの、この街の人間に小舟を隠す理由はない。不可解だった。


「どちらにせよ、私たちが思っていたよりも厄介でしょうね。この街の抱える事情自体が。」


「ええ。しかしベルーメル、日没になったら視界が遮られます。ひとまず手がかりが残ってないか、今のうちに調べてしまいましょう。」


「それもそうね。」


 今は時間がない。ミジャンカの言う通り、何か少しでも痕跡が残されていないかを調査するのが先決だろう。波が穏やかな上、入江という地形の性質上漂着したものは外海に出にくい。手がかりは十分残されている可能性があった。


「これでカプセルとか出てくれば決定的なのに…あいつら落として行ってくれてないかしらね。」


「まぁ…。出てくれば。そこまでお馬鹿さんじゃないと思いますよ。」


 カプセルが海水に浸かれば跡形も無くなってしまうのは兎も角、若干の怪しさが出て来た以上物的証拠が出てくれば前進は早いはずだ。ひとまず今はここにリスベニア兵が上陸した痕跡が見つかればいいのだ。


 ひとしきり見て回るが、漂着ゴミもある。手がかりと区別が付きにくい為、気になるものは一つ一つ見ていくしかなかった。ベルーメルが手に取りながらポイポイと仕分けをしていく。気の遠くなる作業だった。


「セラウドったら今何してるのかしら。途方もないわよこの作業。」


「目撃者に直接話が聞けなかったのは大きな誤算でしたからね。セラウド達も、こっちサイドが宝探しをしてるなんて思いもしないんじゃないですか?仕方ないですよ。地道にやりましょう。」


 ベルーメル自身ぶつぶつと文句も言いたくなるのだろう。手がかりとやらがどのような形なのかも、はたまたそれが残されているのかすらもわからない中での「宝探し」は途方に暮れるものだったからだ。

 ため息交じりに作業を続けていた時だった。


「私はミジャンカやカースティと違って細かい作業は苦手って…何かしらコレ。」


 ふとベルーメルは手を止めた。拾い上げた植物の茎の束に赤い何かが縛り付けられていたからだ。茎の根元は強い力で引き千切られたように窄まっていた。白い砂浜では、それはかなり目立つ。


「何かありましたか?」


 ミジャンカが駆け寄ってくる。ベルーメルは入念に何重にも結ばれた「何か」を剥がしにかかった。水を含んでいて解くのには一苦労だが、色がまだ鮮やかで布の生地が傷んでいないところを見ると、つい最近流れ着いたものに思えた。結び目を見る限り、漂流している間に絡みついたものではない。おそらく人の手で結ばれたものだろう。


「固いわねぇこれ…。ただの布切れかしら。」


「布切れというよりは、スカーフじゃないですか?触った感じだと麻みたいですね。」


「スカーフ?その割には随分短いと思うけど…あ。とれた。」


 広げて見ると、確かにスカーフのようだったが、大人用のそれではないだろう。海水で縮んでいることを考慮しても思いの外小さく見えた。布の端を見るとうっすらと小さな文字が縫い込まれていることもわかったが、何が書いているのかは滲んで判別できなかった。ベルーメルが目を凝らしながら布を見てみるが、人の目では限界がありそうだ。


 ミジャンカが暗くなって来た辺りを見回す。すると、入江のほとりに生えるあるものに目が止まった。ミジャンカはそちらに目を向けたまま、蹲み込んでいるベルーメルの肩を叩いた。


「ベルーメル、あれ。」

「なに?痛たた…。」


 ベルーメルがミジャンカの方に視線を向けると、ミジャンカが砂浜の際にある叢を指差していた。1.5メートルほどの高さで、手入れがされている様子はない。生え放題の叢が闇に紛れて視界が悪い。ベルーメルは暗くてよく見えないのか、痺れた足を摩りながら立ち上がる。そして腕を下ろしたミジャンカが叢へ歩を進め、生い茂っている草を手に取った。懐からペンライトを取り出し、スイッチを入れて手元を照らし出す。ベルーメルが遅れてミジャンカの後ろからそれを覗き込む。


「これって…。」


「ええ。そのスカーフが結び付けられていたのはこれですよ。」

其れにほら、とミジャンカが叢を掻き分け、ペンライトをそちらへと向けた。


「陸側から海側に向けて、2メートルほどに渡って草が倒されている。足跡もあります。根元の足跡の大きさを見る限りまだ小さな子供のものでしょう。それにほら。」

「一箇所だけ根元から茎が千切取られてる?」


 穴が空いたように、地面から数センチほど残してそこだけ不自然になくなっていたのだ。鼻につく青臭い匂い。茎から流れ出た液。間違いなく誰かが手で引きちぎったようだった。状況を見ようとベルーメルが手を伸ばすが、ミジャンカがそれを制した。


「触れるのは控えて。この臭い…かぶれるかもしれませんから。」


「え、ええ。誰かがスカーフが結び付けられた状態で茎を引きちぎり、海へ投げ捨てたってところね。でも何でそんなことを…。」


 ベルーメルが握りしめたスカーフを見つめる。これが一体何の意味を持つのか、全く見当がつかなかったが、見過ごしてはならないー。ベルーメルとミジャンカは本能的にそう感じた。そしてこのような状況下での勘は憎たらしいほどよく当たることも。


「そういうことになりますね。ただ入江の中で物を投げ捨てても、なかなか外海には出ていかない。それを知らないあたり、捨てたのはこの町の人間ではないでしょう。それか余程焦っていたか。いずれにせよ先ほどのスカーフ…。単なる漂着ゴミとは思えません。持ち帰る価値はあると思います。」


「そうね…。ある意味、目撃証言よりも重要な手がかりかもしれないわよ。」



 この街に偶々漂着したフィンドが街人を襲うー。そんなありふれた出来事だと思っていた二人は、そんな表向きの出来事の裏に見え隠れする何者かの闇を感じ取っていた。


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