5 転がり出した石


「言い過ぎだァ、ありゃ。」


 イレイズの姿が見えなくなってから、カースティは椅子の背もたれに寄りかかり、ため息交じりで天井を仰いだ。水の飛び散ったテーブルを拭きつつ、すでに見えなくなった彼女を案じるかのようにハワードは窓の外へ目をやる。


「セラウド。いつものことだが正論だけで相手と接するのはやめるべきだ。得体の知れない敵国の残党に襲われてただでさえ精神が高ぶっている時に、逃げ場を封じる言葉は相手を追い詰めるただの武器だ。よくわかっているんじゃないのかい。」


 説教くさいハワードの言葉に耳を貸しつつも、俺はどうしても彼女に同情を寄せる気にはなれなかった。


 心に大きな壁を自分自身で作って立ち止まっている人間を前に、俺たちが手を差し伸べるのは筋違いではないのか。ようやく普通の人間としての生活を手に入れながらも、用意されている選択肢を前に彼女は自分で時を止めている。またあろうことか父との死にしがみ付き、そして過去の自分の苦労を功績と置き換えることで自我を保っているような、そんな気すらした。


「お前らはおかしいと感じなかったのか。あいつが両親に対して…特に父親の死に言及するときの口ぶりをな。『結果的に無駄になった死』と言ったんだぞ。普通の親子関係に置かれていたならそんな言いぶりが浮かぶはずがない。大方それまで父親とはうまくいっていなかったんだろう。挙げ句の果てには目の前で死なれて、最後の大仕事ですら形に残ることはなかった。しかも死なれたせいで自分は孤児になった…どこまで自分の人生をかき乱せば気がすむのか。そんな仄暗い本音が見え隠れしたように俺は思ったがな。」


 父親の死にしがみついて前に進めないのはイレイズ自身だ。その痛いところをつかれたからこそ、赤の他人にすらあれほどの怒りをぶつけたのだろう。


「難民認定…か。そしてオガールの市民権を獲得する苦労は並じゃないけど、私はそんな苦労をしみじみと振り返れるほど心の余裕はなかったから、少し新鮮に感じてしまったよ。彼女はごく普通の娘さんだからかね。」ハワードがさらに手をつけながらポツリと呟いた。


「あら?まるで私が普通の娘さんじゃないような言いぶりじゃない?」


「ハッ。お前が普通の娘なら女はみんなどうかしてるぞォ。」


「あんた一寸表出なさいカースティ。」


 ベルーメルが普通の娘でないことはともかく、イレイズがあの考えを捨てない限り、きっと前に進める日は終ぞ来ないのは目に見えた。


「まぁ、俺たちには関係のないことだろうがな。」


「でもセラウド、現実問題どうするんです?『Rの紋章』の小舟が発見されたという情報が本当なら、フィンドであるかはいざ知らず、ハルトの街にまだ残党が潜んでいるはずです。港を使わずに街外れの入江に隠すように船を泊めているあたり、真っ当な理由でこの街に来たとは考えにくいでしょう。イレイズさんに遭遇した時は偶々4人纏めて片付けられましたけど、他の残党が街中に散っているのだとしたらこのままにしておくわけにもいかないのでは。」


「そこだ…。」

 頭の痛い問題だった。それは俺たちの生活費に直結する問題だったからだ。

 

 普段オガールの首都、ジャイレンに拠点を構えて生活をしている俺達は、オガール全土に散っているヘレアン戦争が元で残党となった奴等の情報を集め、主に奴等を「処分」して軍警に引き渡すことで得た報酬で生計を立てている。通常の賞金稼ぎとしての稼ぎよりも遥かに割りがいい。それに処分といっても無差別に全ての残党相手に武装しているわけではない。戦時中にリスベニア兵に蔓延した覚醒カプセルを使用して、その後遺症で自我が恒常的に暴走し、一般市民に危害を与える残党や、犯罪組織を形成し、テロ行為に走っているフィンドには、軍警も手が出せない。俺たちがターゲットにしているのはそいつらだ。


 しかも。


「今月ちょっとピンチなんですよ。」

「言われなくてもわかってる…。」

 そう。実は今懐がかなり寒々しい状況なのだ。


「仕事選んでる暇ねェぞオイ。」カースティがフォークを置いて何もなくなった皿に目をやる。コイツ…俺のぶんまで食いやがって。


「そんな財政状況で朝っぱらから酒盛りしていたお前らがよくも言えるな。」


「やだ違うわよ、あれは街の人のご好意だったんだってば。」


 だから、と。ベルーメルが紅を引いた唇に指を当てて悪戯に微笑む。

「街にそのご好意のお返しをするのが筋だと思うけど?」


「まぁちょうど今のお昼の代金を払ったら殆ど手持ちのお金は無くなりますからね。」

「何?」

 待て。それは聞いていなかったぞ。帰りの交通費どうするつもりだったんだコイツ。


「おや、後がなくなったようだ。どうするんだいセラウド。坂道を転がり出した石は、ひとりでには止まってくれないものだよ。」


 ハワードの奴め。性格の悪さに拍車がかかってやがる。

 結局ここまでくると選択肢がないのだ。いずれは奴らを処分しなければならないことを考えたとき、費用対効果も考慮すると結局は…。


「…例の小舟について即刻調べろ。」

「てめェも調べるんだよバカ。」


 こうなるのだった。



「おいハワード。同時にこの街の孤児院の数と場所、収容されている孤児の民族分布について調べろ。」

「孤児院だァ?」


 カースティが怪訝な顔をして首を傾げる。何の意味があるのかと口を開こうとしていたが、ハワードがカースティの肩に手

をかけてそれを制した。頭の回転が早いハワードのことだ、俺の目論見を察してのことだろう。


「わかったよ。私とカースティはそちらに行こう。」

「あァ?何で俺が…。」


「まぁまぁ。じゃあ小舟の方は申し訳ないが頼んだよ。」


「わかったわ。じゃあ私とミジャンカは西の入江に向かうから。セラウド、あんたもくるの?」


「いや、俺は別で動く。日付が変わる前には宿に戻れ。いいな。」


 どちらにしろ、今日中に片はつくはずだ。あの娘の囚われた記憶も、奴らも…。

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