2 ハルトの娘


 街の学校では、通常通り授業が行われていた。

 街外れの修道院の敷地内にあるの孤児院では、ハルトの有志の若者が教鞭を取っている。オガールの孤児院では、地元の大学生が無償で持ち回りで授業をしていることが多い。この孤児院もその一つである。


「ほーら!!皆昼迄は授業有るんだから集中しなさい!」


 地元の大学に通う学生ーイレイズが両手をパンパンと叩いて、教室の喧騒を鎮めようと努める。子供が集まった時の破壊力といえば大人でも中々敵わない。沈静化する迄の時間が意外と馬鹿にならないのだから恐れ入る。「後一時間しかないのに…」とイレイズは困り顔だ。


 と云うのも、今日の授業内容に原因がある気がしてきた。勿論学ばねばならないことではあるのだが、十歳位迄の孤児達が教室で学んでいるのは現在の世界を取り巻く情勢だ。確かに若干大人向けの内容ではあるのだが。祭りの日というタイミングも最悪だった。


「せんせー!つまんない!算数にしよう!」


「ダメよ書き取りよ!」


「もういいじゃん帰ろうよー。お祭りお祭り!」


「…ハァ。」


 この手の授業は遊び盛りの子供達には退屈なのだろう。自分も完全に理解するようになったのは、十代も終わりに差し掛かった時だった。しかしここですごすごと退散する訳にも行くまい。あと一時間の辛抱だと言い聞かせ、目を見開いて教壇を叩く。


「算数も書き取りも今日はやりません!いいから静かにしなさい!」

 

 イレイズの、今日何度目かもわからない絶叫だった。




「この世界は、現在リスベニア・カストピア・ワヴィンテ・セレメンデ・ガジャルウインド、そして私達の住むオガールの六つの王国によって統治されています。方言、地域的言語は有っても共通の一つの言葉で成りなっており、六大国の支配者達は絶対的な存在として、古来より人々からの信仰を集めて来た世界宗教団体シルベスト教団に君臨する『プロフェリア』と呼ばれる指導者から、『予言』を授かることで国を統治してきたのです。」


 教科書片手に、イレイズは黒板に貼り出した世界地図を指示棒で叩きながらゆっくりと授業を進めて行く。


「先生。『予言』って何?」


 クラス一番のわんぱく男子がはいはーいと手を挙げる。


「本来予言っていうのはね、神様から授かる未来の道標よ。古来より絶対的な、そして神聖なものとされているの。」


 わんぱく君は「ふうーん。」と興味なさげに天井を仰ぐ。また真面目に聞いてないんだから、とイレイズは続ける。


「プロフェリアは、教団の指導者であるとともに『神様』と同等の存在だから、王様は彼女から『予言』を賜ってより良い国づくりを目指していくの。」


「予言者様って女の人なの!?先生は見たことあるの!?」教室がざわつく。しまった、とイレイズは再び沈静化に努める。


「こらこら静かに!お姿を拝見したことはないけど、今のプロフェリアは女性と聞いています。リスベニアの首都であり、教都であるフェルカムンドがシルベストル教団の聖地になるのだけれど、プロフェリアは大聖堂の中に在わし、各国の指導者と教団の人間しか謁見が出来ないから、実際に見たことがある一般市民は殆どいないでしょうね。」


 なーんだ、と落胆する子供達。それでもイレイズは、自分の話す授業内容について、どんな反応であっても子供達が興味を持っていることに小さな喜びを感じていた。


「話を戻します。ここからはそれぞれの国について勉強していきます。来週テストするからね!聞いてない人知りませんよ!!」


「ええー!?」


 よりによって祭り前のタイミングに言うなよと文句を口にする子供達。この展開は予想していなかったのだろう、今更ノートを広げ出す子供達もちらほらいる。


「テスト結果によってはおやつ内容を考えてもらうようにマザーに申し伝えておきます。最下位さんはおやつなし!それが嫌なら勉強しなさい!!」


「きったねー!」「嫁の貰い手ないぞー!」と好き勝手な野次を飛ばされながらも子供達の生き甲斐を人質にとったイレイズは怯まない。ふふんと鼻を鳴らして構わず授業を再開するのであった。


「まずは『科学と予言の国』リスベニア。オガールを中心に据えると西の国にあたります。その名の通り、世界屈指の科学技術を誇る強大な軍事国家よ。」


「ぐんじ国家?」


「少し難しい話になるけど、王家よりも軍人の力が強いの。将軍家というのだけど、国の決め事や、外交も全て将軍家が取り仕切っているわ。さっき言った通り、シルベストル教団の聖地であるフェルカムンドが首都よ。」



「ぐんじ国家ってことは、戦争強いの?」



 一人の少女が何気無く口にした疑問。それにイレイズは少しだけ困った顔をして見せた。眉をハの字にして、力なく笑う。


「それは後で説明するね。次は『信仰と耕作の国』ーカストピア。東の国よ。敬虔なシルベストル教徒が多く、農業が盛んな国。国の産業の8割以上を農業が占めているの。首都はリベーラ。豊かな田園風景が広がっていて、自然が豊かな国よ。『貴紳と嬋媛の国』ーワヴィンテ。工業化が進み、貿易が盛んな国よ。昔ながらの貴族文化が残っていて、紳士と淑女の国と言ってもいいかもね。世界最大の騎士団があって、男性はみんな剣術を習うの。首都はダートメリア。」


「せんせー。私本で読んだことがあるんだけど、ワヴィンテの社交界って本当に素敵なんですってね!!宮殿でワルツを踊りながらの出会いなんて素敵。」


 うっとりと自分の世界に浸る少女に苦笑しながらも、「それでも一部の王侯貴族だけね。」と補足するイレイズ。


「はいどんどん行くよ。『文明と大地の国』ーセレメンデ。首都はイーアン。古代文明が栄えた国で、世界最大の大河と熱帯雨林があるの。主要産業は林業と漁業。天然資源にも恵まれた国よ。そして、『神秘と対族の国』ーガジャルウインド。首都はシェルパ。沿岸部に住むブラジット族と、内地で放牧を行うジョゼル族の大きく二つの民族が暮らす国なの。東西に大きく広がる国だから、独特の複合文化を形成していたのだけど、最近沿岸部では近代化が進んでいるの。さ!ここまで一気に来たけどみんなついて来れてるかな?」


 教科書から顔を上げて子供達に問いかけるイレイズ。当の子供達はノートをとるのに命懸けと云った様子だ。流石おやつという名の『質』があると気合が違う。気付けば授業時間は残り僅かとなっていた。


「さ、最後!私達の住むオガールは、『共存と文化の国』。首都はどこ?」


 イレイズが一番席の近かった子供を指す。不意打ちだったのか、答えるのが少し遅れてしまったようだ。それでも小さく「…ジャイレン。」と呟く。


「そう。世界唯一の多民族国家で、文化の融合が進んでいるの。ハルトを歩くだけでわかると思うけど、色々な国の人々が暮らしてる。この多民族化が急激に進んだのは十年前からなのよ。」


「なーんだ俺たち生まれてねえじゃん!」


 ケラケラと笑う子供達。しかし先程まで声の大きさで対抗していたイレイズが、この時ばかりは静かに彼らを見据えて静寂を待った。いきなり様子が変わったイレイズを不思議に思ったのか、先程のわんぱく男子が「おいお前らウルサイぞ!」と率先して子供達を黙らせた。私語が止んだのを見届けてから、イレイズは瞳を閉じて静かに声を紡いだ。


「多民族化の原因は、或る戦争の終結だった。みんなも知ってるんじゃないかな。リスベニアとカスピアを中心に世界を巻き込んだ大戦争ー『ヘレアン戦争』が十年前終戦を迎えたの。」


 ゴクリと固唾を飲む子供。イレイズが続ける。


「長く続いた戦争だった。沢山の人が死んだ。難民と言って、自分の住んでいる場所が戦争で住めなくなった人たちが世界中に散ったの。当時中立国の立場だったオガールは、難民を世界でいち早く受け入れた。沢山の人々をね。三十年も世界中が戦った戦争なんて、後にも先にもヘレアン戦争だけ。みんなにはとても難しいと思うけど、国と国はね、それぞれ事情を抱えている。相手にあって自分にないものを奪おうとする。自分のものにしようとするの。そんな小さな小競り合いが、それこそどの国でも続いているわ。」


「先生。どうして戦争が起こったの?」


 軍事国家について疑問を投げかけてきた少女が口を開いた。それにイレイズは静かに首を振る。


「わからない。戦時中の資料は、公表されていないから。わかっているのは、リスベニアとカストピアの二大国から始まったということだけ。だから、私達がしなければいけないのは、『学ぶこと』なの。世界情勢を把握して、それぞれの違いを認め合うことが第一歩だと先生は思う。『無知』から、そして『忘却』から次の悲劇は簡単に生まれてしまうの。算数も書き取りも大事だけど、私は今日、どうしてもみんなにこれを教えたかった。」


「…。」


「中立国であるオガールに住んでいるからこそ、沢山の視点からみんなは世界が見られる。これは、とても幸せなことだと思って欲しい。今日の午後のお祭りで、みんなはきっと沢山の人と会うのだろうけれど、その中に違った立場、違った国から来た人たちがいることを、感じて欲しいの。」

 


 イレイズが穏やかな顔で言い切ったその時、終業を告げるベルが鳴ったのだった。


         ***


「イレイズ。」


 いつのまにか子供達がいなくなった部屋にポツンと立っていたイレイズに、その老女は静かに声をかけた。


「マザー。」


「お疲れ様でした。」

 優しく労うマザーの声。


「子供達からいつも元気をもらってるから、大丈夫です。今日は少し退屈な話もしてしまいましたけれど。」


「とても良かったですよ。いつも子供達の為に本当にありがとう。今日もあなたのお陰で、メリルがまた新しい家族に引き取られることが決まったのよ。」


 マザーのその言葉に、イレイズは口元を手で覆い、目を見開いてマザーへ駆け寄った。


「メリルが?本当に!?嬉しい!良かった…。本当に良かったわ!」


 メリルは、リスベニア人の女の子だった。ひと月前にこの街へやってきたばかりだったが、オガールに移民としてやってきた裕福なリスベニア人の家族に引き取られることが決まったとのことだった。


「何よりねマザー…。メリルも、ちゃんと小学校に通わせてもらえるのかしら…。友達をたくさん作ってくれたら嬉しいのだけれど。」


「あなたは本当に優しい子ですね。民族に関わらず、そうして人の幸せを自分の事のように喜んで下さるのだから。例えリスベニア人の子供であってもね。」


「勿論です。新しい家族に迎えられる喜びに民族の違いはありませんもの。」


 目元を抑えながら喜びを隠せないイレイズに、マザーは「おあがりなさい。」と小さな包みを渡す。いつもの、重さだった。マザーが毎朝焼いてくれる自家製パンだ。


「わぁ、ありがとうございます。私やっぱりいくつになつてもマザーのパンからは離れられないみたいだわ。」


「いいのよ。あなた昔から全然食べない子でしたからね。大人になってからもそうでは私も心配です。」


「マザーったら、お言葉ですけど私もう独り立ちした大人なんですよ?」


 また始まった、と苦笑いする。2年前まで暮らしていたこの孤児院で教鞭を取っている今になっても、この老女にとってはいつまでたっても自分は子供のままなのだとイレイズはつくづく思い知らされた。


「では、私はこれで…。」


 マザーから受け取った包みを抱え、イレイズが会釈をして出て行こうとした時だった。イレイズの背中に、マザーの優しく哀しい目が向けられる。


「イレイズ。ご両親へのお祈りを、忘れずにね。私も思うわ。今でもあなたと同じ故郷のことを…。」


 はた、と彼女の小さな背中が止まる。そして。


「両親が死んだその時に、カストピアでの思い出は全て置いて来てしまいました。この孤児院で、子供達と過ごす毎日が私の愛すべき日常です。」


 だからこそ思うのだ。生まれ故郷で戦火に散った両親に、胸を張れるよう強く生きようと。この国は、自分のような他国から来たものには、有難くも切なくも優しい。


 イレイズは、彼女自身の両親の命日に、子供達へ嘗ての惨劇を語っていた。



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