オガール ハルト編

1 同行者たち


身支度を整え、階下に降りてみれば人の良さそうな女将が声をかける。朝を告げる挨拶。嗚呼、と気怠げに返すと朝飯の付け合わせはベーコンと焼きトマトでいいかと聞いてくるが、俺はそれを右手で制した。


 朝飯は食べない。それは子供の頃からの習慣だった。「食べられない日々」が続くと身体も自然と順応する。元々朝は弱いし、食欲よりも睡眠欲を優先させてきた結果だろう。


 用意をしてくれていたようで、すまないと一言声をかける。しかし女将の「お兄ちゃん細いんだから食べないと」「きつい旅なら栄養つけるに限る」とこの年特有の御節介発動を察知したあたりで嗚呼と気の抜けた返事を壊れた人形のように繰り返した。


 女将の背後に見える食堂をちらりと覗いて見ると伽藍堂。見知った『奴等』は其処には居なかった。外か。どうせ野宿になるだろう今晩の食材の買い出しに行ったのだろうか等と限りなく希望的観測に近い思いを胸に抱き乍ら、俺は女将の言葉を右から左に聞き流し、薄暗い食堂を横切る。


 一先ずハルトの街を歩こう。


 宿は市場から一本裏に進んだ道にあった。大通りに出れば丁度朝市の時間にぶつかったこともあり活気がある街並みが目に飛び込む。オガールの地方都市ではよく見る日常的な風景だ。


 露店に並ぶ色鮮やかな果実。朝採れた許りの瑞々しい野菜。道端で首を糸で繋がれている鶏達。客が其れを指差して柔かに金を支払えば店主は慣れた手付きで締めに店の裏へと引っ込んだ。


 この街は当たりだったなと北叟笑む。備蓄品は既に底を尽きた。路銀も全員が汽車に乗れるほどの余裕はないので、首都ージャイレンまで食い繋ぐ為には今日は「諸々調達日」に動くのが最適解だろう。『奴等』は逸早く街に散って買い出しに出掛けた。一日の滑り出しとしては上出来だと佳し佳しと腕を組んでみたが。


 喧騒と雑踏の中で、その「希望」は脆くも打ち砕かれた。


 視界の右側。俺が寝呆けてなければオープンテラスの酒場に見えるが、既に気の所為かと思案するのも馬鹿馬鹿しくなっていた。


『奴等』は其処に居たのだから。


 俺は本日一発目となる溜息をついて、心底気の進まない空気を隠すこともせず女の元へと歩を進める。


「ベルーメル。どういう了見か説明しろ。」


 女は待ってましたとばかりに俺の方に振り返ってこう宣うのだ。


「お早うセラウド。今日もゆっくりだったからお先にやってるわよ。」


 ベルーメル・サルベレット。自由が服を着て歩いているようなこの女は、完全にこちらの都合など御構い無しらしい。


 ニッコリと弧を描く口。女にしては背が高い癖に底のある革靴。腰辺り迄伸びた癖の有る、この辺では見ない烏の濡れ羽色の髪も手伝って、人混みの中でも奴は目立つ。テーブルの上で足を組みやがって、と気付けば組んでいた腕は解かれ、俺の右手は心なしか痛む頭へと添えられていた。


「朝っぱらから酒盛りか。」


「あら。心配しなくてもあんたの分もちゃんとあってよ。久し振りの街じゃない。それに今日はお祭り。飲まない理由がどこにあると言うの?」


 細められた真紅の瞳。女の右手に握られていたのはあろうことかーーーー酒杯。


「ふざけるな。無駄金使うな。んでもってさっさと買い出しに行け。」


「やだまた怒る。心配しないで。街の皆さんの御好意よ。ね?有難う皆さん。」


 爽やかな目覚めも何処へやら、機嫌が急落直下していく俺を何のその、女は振り返って一緒に飲んでいた数人の初老の街人達の方へと振り返り、酒杯を掲げた。


「いやぁ美人さんが来たとあっちゃ酒が進むよ。」「お兄ちゃんもイイ男だねぇ。お姉ちゃんのコレかい?」すっかり出来上がっている街人を前に、溜息二回目。


「旦那さんたら。そんな訳ないじゃない。単なる朋輩よ。あいつらと同じね。カースティ!ビールもう一つお願いね。」


 平和と思って安堵する道には到底進めそうもない。呑気にベルーメルの背後から酒杯片手にやってくる青年二人。金髪野郎は早速顔が赤いし、茶髪の方は困ったように苦笑いを浮かべている。


「なんだァ?やっと起きたかセラウド!丁度いいところに来たじゃねェかァ。」


 金髪の方はカースティ・グリフィス。適当が服着て歩いてる奴は相変わらずベルーメルに扱き使われてるようだ。右眼を麻布で覆ったこの隻眼の青年は既に足元も覚束ない。こいつ後で覚えてやがれと心中吐き捨てた。 


「済まないね。私は止めたのだけど。」

「ハワード。これは止めた内に入らん。」

「あはは。」


 一歩後ろを歩く茶髪の男はハワード・ルイージア。人の好さそうな、穏やかな顔が今日は俺を腹立たせるのに十分だった。常識人に見える癖に、驚異的なマイペースのせいで少しも歯止めの役割を果たせていない。これは奴が本気で無い証拠だ。満更でも無いのだろう。


「皆さん。お酒ばかり飲まないで、何か食べないと。胃も目覚めたばかりなんですからね。セラウドも、また朝食べてないでしょう。ミルクくらい口にしたらどうですか?」


「要らん…。」


 両手につまみの皿を持って店の奥から出て来たのはミジャンカ・コラケム。焦茶色の短髪を風に靡かせ、「いやーにいちゃん悪いねぇ」と絡んでくる出来上がった街人たちのテーブルにテキパキと置いていく。手際よく空いている皿を重ねて片す様の何と自然なことか。今になって気付いたがエプロンまでしてやがる。前髪までピンで止めやがって。店の女給が「やりますからお客様は座っていてください!」とミジャンカを制するが、「いいんですよ。次手ですから。」と中性的で端正な笑顔そのままに運んでいく。そして間違いなく女給が顔を赤らめていることに気づいていない。



「今日は、丁度一年に一度の祭りの日だそうでね。朝から晩まで、街中ドンチャン騒ぎなのだそうだ。昼からは踊り子達が街を練り歩くのだそうだよ。」


 ハワードがつまみに手を伸ばしながら俺を座らせ、店の娘が俺の前にコーヒーを出していく。


「其れに俺達が便乗する必要性がどこにある。さっさと食材の買い出しに行け役立たずども。…待て。」


 祭りと聞いて少し嫌な予感がしていた。昼から…踊り子が練り歩くだと…?俺はベルーベルが手酌をする街人に尋ねる。先ほど旦那さんと呼ばれていた男性だ。


「おいオヤジ。今日ハルトの市場は何時迄開いている。」


「んー?今日は街を挙げての祭りだからね!昼で閉まるよ。昼からは歌って踊って楽しもう!!」


 はっはっはとご機嫌な街人。朝っぱらから飲んで置いて昼から糞もあるか。カースティは間抜けにも「え。」と盛大に遣らかした顔で俺を恐る恐る片目で追う。


つまりだ。


せっかくの物資調達日をこいつらは華麗にも棒に振ってくれたと言うことで。頼んでもいないのに人の体に虫唾を這わせるのがよほど得意な奴ららしい。


 このクソ野郎ども後で八つ裂きにしてくれると腕をポキポキと鳴らしていた俺に慌ててベルーメルが声を掛ける。


「ま、待ってちょうだいセラウド!」

 テーブルから降りて俺の耳元に「実は…」と小声で囁く。


「馬鹿ね、私達だって無駄飲みしてた訳じゃないわ。今日の祭り、一動きありそうよ。」


「何だと?」


 ベルーメルが小声で囁いたにも関わらず、ご機嫌に酒を傾ける街人を除いての俺達にはその声が聞こえる。皆其々に俺達の会話に耳を澄ませているのがわかった。


「人は、非日常に目が眩むもの。人の目を掻い潜るのにこんな好機は無いわ。騒ぎに乗じて、屹度『フィンド』は動くでしょうね。」


「何故そう言い切れる。」


「ハルトの街人の話だと、私達がこの街に着く前…昨日の夜のようだけど、西の入江で小舟が発見されたそうよ。船首に有ったのはーーーーーー『Rの紋章』。」


「…成る程な。」


 ハルトには東に大きな港が有る。港に搗けず、態々反対の西海岸の入江に、然も隠すように船を搗けたのは、そう云う事だろう。


「真逆オガールの小さな港街にまで『奴等』の手が及んでるとは思いませんでしたね。」


 ミジャンカがエプロンを外し乍ら呟く。カースティもハワードも無言で立ち上がった。


「そろそろ行こうか。」


「あァ。おっちゃん達またな。ご馳走さァん。」


 未だ未だ飲み足りない街人達は「もう行くのかい?」「祭り迄時間はあるのにどうしたんだい?」と口々に俺達を引き止める。先程まで千鳥足だったカースティも、水を呷ったかと思えば外套片手にすっかりいつもの調子を取り戻した様に見えた。



「邪魔したな。」


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