第14話 いざ、異世界へ

 ワイヤーから、ガザニアは右手を離す。挙げた手の中。陸上のスタートの合図を出す物が現れる。乾いた音が立つ。流れる音楽が変わった。


 運動会で、よく聞く曲だ。頼子は思った。日常でよく聞く曲が、名前も知らない曲も多い。


 今、流れている曲は、知っている。『天国と地獄』だったはずだ。名前だけでは、運動会と合っていない気がしたので、覚えていた。


 一斉に、動き出す。次々に、扉が開かれて、閉じられた。目当ての扉が自分だけなら、すんなり開けて向かえる。


 かち合うと、扉の前で、ケンカが始まった。割り込んで、当の扉を開いてくぐってしまう人もいた。


 さながら、バーゲンセールか、福袋争奪戦のようだった。後者は、抽選や予約販売に変わって良かったと思われること。


 頼子は気後れがした。都会の満員列車に、皆が押し合い、へし合いしながら乗り込む姿にも見えて。空いた席に座ろうとする。椅子取りゲームにも似た。


「ゆっくり行こう」


「うん」


 知らず、頼子はつぶやく。腰の辺りから、同意の声が聞こえてきた。


 選ばれた扉は変わる。警告するように、赤い色に。赤が増えていく様子に、焦りがないと言ったら、嘘になる。


 他人を押し退ける気も、出し抜く気もしない。


 参加人数分の扉はあるだろう。読んで、ゆったり構えた。


 割って入って、仲裁する人たちが出る。皆、スムーズに選んで、旅立った。


 二十分も経たず。残り、三分の一弱。室内は、こんなにも広かったのか。誰もが感想を抱くほど。詰めていた息を吐く。


「どうしよう、ねえ」


「行きたいけど、行きたくないような」


 行き先が異世界と聞いて、ためらう会話を聞き流す。頼子は扉の群れに視線を向けた。


 ひとつの扉に、視線を止める。扉と周りの壁の隙間から漏れる、黒い煙状の物。


 あんなに、大勢の人がいたにもかかわらず。誰もが言わなかった。本能で避けたかもしれないが。


 そっと、頼子は辺りを見回す。確かに、他の人には、視えない。なら、自分が行くべき異世界は、煙が漏れている扉の向こうだ。


 まっすぐ、頼子は歩き出す。おしゃべりをやめて、全員が見送った。


 一階にある扉の前で、頼子は足を止める。取っ手に手を伸ばす。手前に引いて、扉を開く。


 吹きつける、強い風。体を後ろに下がらせるほどの。肘を曲げた腕を掲げて、目をかばう。


「うわあああー!!」


 聞こえてきた悲鳴。塊が左下から、右上に流される。半分は、黄色。半分は、黒色の。「あっ!」と言う間だった。


 頼子は膝を深く曲げる。腕は、後ろへ。下から上に、腕で反動を付けながら、膝を伸ばす。一歩分、前に飛ぶ。下で、自然に扉が閉じた。


 風に流されながら、頼子は右手を伸ばす。黄色の長袖のセーターと、黒のオーバーオールを着た男の子と判る。黒の短い髪で、淡い橙白色の肌の。


 指が掛かった。男の子が着ている服の肩紐に。頼子は胸元に引き付けた。

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