第5話 玉ころの思惑

 月は変わらず。そこにあった。赤く染まったままで。男は勝利を伝える。刀の切っ先を向けて。


 吹く風が頬を撫でる。男は我に返った。まだ、終わっていない。思い出させた。


 切っ先から刃を伝う、血。鍔が流れる血をせき止める。


 冷徹なまなざし。柄を握る手が動く。肘を深く曲げ、刀身を口元に持っていく。舌を伸ばして、這わせる。


 生臭く、温かい。舌先についた、一滴。ただの血。唾と共に飲む。


 バクン。心臓が強く打つ。早くなった脈に乗る。全身を駆け巡った。芯から湧き上がる、力。人智を超えた。


 なんだ? これは?


 ブロンドの髪の客の顔が浮かぶ。刀を振るった時、手応えがなかったのを男は思い出す。奴は自分たちを騙した。今度は、自分だけが騙された。


 体内で、のたうち回る力。自らの意思で、制御を試みる。たとえれば、竜の胴を手の平で打つ。効かない。拳で打つ。効かない。


 金に光る、二つの目。伸びる、二つの牙。突き出る、二つの角。


 砂を踏む、音。近づいてくる、複数の人。呼ぶ声が、我に返らせる。目が黒に戻り、牙と角が引っ込む。


 男は意表を突かれる。仲間が戻ってきた。鬼を弔うために自分が残る。聞いた首領が差し向けたのだ。気の緩み。隙をついて、力があふれる。意識を乗っ取られた。


「鬼だ! ……さまが鬼になってしまわれた」


 仲間の叫びが、意識を取り戻させた。人間に戻る。


 ひとしずくの血。これほどまでの力がこもっていたとは。これで、対抗できる。何に?


 皆を見回す。伝えようとした、感謝の言葉を。息が上がり、うまく話せない。


 さげすむ、まなざし。一緒に歩めない。拒否する雰囲気。


 力を得た、純粋な喜び。皆に見られた、動揺。計画が破綻した、悔しさ。意図を読めた者がいない、ふがいなさ。


 連想する遊戯が行われなくて良かった。心の底から男は思った。


 向けられる、刀の切っ先。倒さねば、という殺意。逃さぬように、皆が輪を作る。


 男は心身ともに疲れ果てていた。反論するのが面倒になる。


 柄を握り直す。刀を振って、血を落とす。鞘に収めた。ギンッ、と、睨む。気が弱い奴を。へたり込む。脇を通り抜けた。


 居並ぶ、かつての仲間に背を向ける。決意のまなざしで、男は歩き出した。


 ああ、もう。都も帝も、民も。どうなっても良い。鬼でも蛇でもなって、我が子孫に災いを成す物を退治してやる。

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