始動4


 山内健人は学校生活を楽しんでいた。



「山内くんおはよう!」


「おはよう」


「はよー山内、昨日言ってたゲーム持ってきたぜ~」


「おっサンキュ!面白そうだなあ……今日家で一緒にやろうぜ」


「いいな!行く行く!」


 彼が登校すると級友たちがあいさつをして話しかけてくれる。彼は鞄を横に置いて机に腰掛け、友達との会話に没入していった。やがてチャイムが鳴るギリギリに一人の生徒が登校してくる。その男子生徒が教室に入ってくると、一瞬空気がピタッと止まって、ヒソヒソ声になる。クラスの雰囲気が変わった……。山内は近くの男子に彼の足を引っ掛けるよう指示する。


「……わ……っ……!……」


「ははっ!」


 転けそうになった彼に、くすくすという笑い声が届く。下を向いたままこちらに来る男子生徒に山内は意地悪な笑みを浮かべた。自分の席に山内が座っているのを見つけた男子生徒は小さく息をのむ。しかし震える声でおどおどしながらも声をかけた……。


「……あ……、の……」


 山内は目も向けない。


「……のいて……ください…………」


 反応がないのを見て、男子生徒がそっと、席に座った……。それを山内がぎらっと睨む。


「……何勝手に座ってんだよ……」


「…………え……で、でもここは、僕の席で…………」


「だぁーれがお前の席だって?」


「……や、あの……ごめんなさい……でも…………」


 焦って顔色がどんどん悪くなる男子生徒を見て山内は内心ほくそ笑む。彼の胸ぐらを掴んで睨み付けた。


「……お前、早く消えろよ……ウザいんだよ……」


「……う…………」


 そこへ担任が入ってきて皆席に着いた―……。山内も自分の席に戻る。男子生徒はずっと俯いている。その姿を見てまた人知れず笑った……。これが彼、山内健人の日常であった。クラスメイトとの下らない会話も楽しいし、部活のサッカーの試合も上々だし、勉強も取り立てて好きではないが、そこそこ出来る。それに、“玩具(おもちゃ)”もある。


(……こんな生活がずっと続けばいいのにな……)


 何気なしにふとそう思った……。




「山内くん、ちょっといいかしら?」


 その日はいつもと少し違った。


「……何ですか……?」


 茶色い髪の、眼鏡を掛けた女性の教師に呼び止められる。


(……理科担当の先生……だっけ……?)


 確かに目の前の女性を知っているはずなのに、どこか違うと、頭が違和感を訴えた。だが、明確な原因も分からず、数秒後にはその違和感すら忘れてしまう。


 こうしてジェシカのウェイク・ネゴシエイトはスタートした―……。



 数分前――……。


『“教師”ー?あんまりあからさまに現実に存在しない別人が入り込むと、ヤマウチの意識に怪しまれるよ?』


「誤差の範囲内の“気付き”よ……これくらいの夢の構成能力なら隙だらけで、向こうが勝手に変換してくれるわ。何ならこちらで意識を書き換えても良いのだけれど」


『……全然良くない……それはヤメて。僕が総監に怒られるから』


 神山がげんなりした顔で言う。


「……意識を、書き換える……」


 織田が、表現を聞いただけで何だか背筋が寒くなるワードを、何とも言えない表情で繰り返した。それには耳を留めず、ジェシカは話を進めていく。


「ヤマウチの潜在意識には、いじめられていることに対する強い抵抗心があるはずだ……それを引きずり出して目覚めさせる」


「あー!良いねえ~、女教師。そそるねえー!っと……!痛てて……」


「……お前の脳内ではこんなのが好みなのか?……いいだろう、幾らでもしばいてやる」


「あーっと!!人の脳内覗き見るの禁止だろ!!」


「お前が想像するからだ。勝手に流れ込んできたぞ」


 ジェシカの手には昔の英国の教師が持つような鞭が握られており、それで浅井をバシバシとひっぱたく。グラフィックもいつの間にか変えられており、ダイブスーツから、白いブラウスに黒のタイトなスカート、眼鏡はフレームが赤の、いかにもな女教師が出来上がっていた……。


「……まったく……ではこれから作戦開始だ!油断するな!!」


「……了解です……!」


「……はあぁーりょーかいー……」


『する前から疲れてるじゃないか……』


 颯爽と去って行くジェシカの後ろ姿と、しばかれてぐったりしている浅井を見比べて、織田は副監には余程のことがない限り逆らわないでおこうと思ったのだった……。





「この前のサッカーの試合も頑張っていたわね……高校でもサッカー部に入るつもり?」


「……そうですね……できれば入りたいです」


 山内と教師はなぜか保健室で話していた。白いカーテンが風にはためく。二人の座っている側には仕切りの向こうに二つベッドがあった。この状況に山内はドキドキしていた。健全な中学生男子ならそうだろう、皆と言っていいほどに。


「……ところで……」


 と、女教師が彼にグッと顔を近づける。眼鏡の向こうの美しい瞳に彼の胸が更に高鳴る。身体も熱くなってきた―……。しかし女教師の次の言葉で山内の体温は一気に下がる。


「……『垣ノ内 慎吾』くんのことなんだけど……」


「……何ですか……?」


 なぜここでアイツの名前が。まさかいじめがバレたのか?分からないようにやっていたつもりだったのに。


「どうも彼、いじめられているようでね……同じクラスの貴方だったら何か知っているかなーと思って」


 そう言って女教師は笑う。しかし瞳の奥は笑っていなかった。バレている。この教師は気づいている。目の前にいる山内が、垣ノ内をいじめている犯人だということに。山内は呼吸が浅くなってきたのを感じた……。何、しらばっくれてしまえばいい。


「……そうなんですか……でも僕はあまり話さないので分かりません……」


 その言葉に教師はとても残念そうな顔をした……。


「そっかー、君なら何か知ってるかなと思ったんだけどなー……うん……まあいいか、仕方ないわね。時間取って悪かったわね、ありがとう……ところで」


 と、また女教師が山内を見つめる。


「貴方はいじめられたことがある?」


 ドクン、と胸が音を立てた……。


「……い、え……無いです……」


(嘘だ、あるだろう……!!)


 頭のどこかで声がする。彼女は再度尋ねる。


「そう……じゃあ、いじめられた人の気持ちや痛み、苦しみは解らないわね……」


「……は……い……」


 白い仕切りの向こう側から誰かの手が見える……。


(僕は知っている、傷だらけの心の痛みも気が狂いそうな苦しみも悲しみ怒りも、みんな知っている……!!)


「……垣ノ内くんが言っていたわ……“死にたい”、“消えたい”、“殺したい”、“消えろ”、ってね……」


「……あ……あ、ぁ…………違……う……」


(それは僕の言葉だ……“死にたい”、“消えたい”……“死にたい”……“消えたい”……“死ね”、“死ね”……“消えろ”!!アイツらなんか消えてしまえ……!!)


「あぁ……違う、違うちがう……違う……!!あぁぁ!」


 山内の頭の中で相反する声が響く。仕切りがめくられ、奥からゆっくりと一人の男子生徒が出て来た……下を向いていて顔は見えない。


「……ぼ、くは……いじめられてなんか、いない……!!いじめられて、なんかいない……っ……!いじめられて……なんか……ぁああ……!!」


(……だって、“ここ“は――……!!)


 ピキィッ、というこの世界にヒビが入る音がしたのと、男子生徒が顔を上げたのは同時だった。その顔は山内健人そのものであった……。


「……さあ、起きなさい……貴方の造り出した『夢の世界』から――……」


 女教師の唇が美しく弧を描いた―――……。









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