始動3


「…………はぁ…………」


「……疲れたか。どうだ、初めて人の夢に潜った感想は?」


 二人より後に戻ったはずのジェシカが織田のいるカプセルの蓋に手をかけ、まだカプセルの中に横たわっていた織田に声をかける。夢から覚めた寝起きのような気怠さがあり、まだ頭がぼうっとしていた……。そんな頭をシャキッとさせようと、織田は頭を軽く振り、カプセルから身を起こす。


「……疲れました……人の夢の中があんなにリアルだとは……」


 率直な感想を口にする。それにジェシカも頷き答える。


「うちのマシンは最新の機種だからな……意識映像の解像度が高ければ高いほど、患者のイメージもはっきりと仮想空間に映し出される。そうなれば被潜入者の夢にも取り込まれ易くなる」


「……性能が良いのも善し悪しですね……」


「だからこそダイバーの資質が求められるのよ。ここはダイバー施設の中でも国の中枢の首都管轄の唯一の治療室になる。運ばれてくる患者の数もケースも多くて多様だ。それだけに各捜査官も精鋭揃いだ……オリタ、お前の働きにも期待しているぞ」


「……期待に沿えるよう頑張ります……」


「大丈夫よ、初めて潜って、きちんと自分のボーダーを保ったまま帰ってこられたんだから。合格点よ」


「……ありがとうございます」


 ジェシカに誉められ、織田はちょっとホッとしたようだった。ジェシカはカプセルから離れ、ダイブルームの出入り口に足を向けた。


「十三時00分から再ダイブスタートよ。それまでリラックスルームで休んで来なさい」


「はい……お疲れ様です……」


 織田の返答を聞くとジェシカはダイブルームから出て行った。自動ドアの閉まる音がする。織田はカプセルから出て足を床につけた。


「……“合格点”、か……」


 呟き、口端を少し上げて彼もダイブルームから出て行った―……。




 織田の所属するDLS治療室日本支部(Dream DiverからWD課と呼ばれることも)の休憩室は豪華だ。クルー一人一人が横になれるくらいのソファーがあり、飲み物も色々な種類のものが自由に飲めるようになっている。さすがにアルコールの類いはないが。これとは別に食堂があり、お菓子やパンなどを売っている小さなストアも入っているので、そこから食べ物を持ってきてここで食べることもできる。ここはWD課のダイバーとオペレーターたちしか使わないので、かなり贅沢と言えるだろう。更に、ダイバーたちにはこのフロアーの上にクルー専用の休憩室(個室)も与えられている。これだけWD課が彼らの福利厚生に資金を注ぎ込んでいるのは、やはり彼らのハードなダイバーワークによるメンタルヘルスの悪化を防ぐためである。

 『Dream Lost Syndrome(ドリーム・ロスト・シンドローム)』は新しい病気だ。病気が発見されると同時くらいに治療法も確立され、治療者、つまりダイバーたちも養成され始めたのだが、患者の夢にダイブするには危険が伴う。ダイバー自身が夢と現実の見分けがつかなくなって、被潜入者の夢に取り込まれてしまうことがあるのだ。これは潜入捜査官の現実を現実と認識する『ボーダーR(Real)』と、夢を夢であると認識する『ボーダーD(Dream)』のバランスが崩れるために起こるのだが、このバランスを保つのがなかなか難しい。どちらかが強くても、また弱くてもその均衡は崩れ、被潜入者の夢に取り込まれる危険性が高くなる。もし取り込まれてしまうと、同じDLS患者となり、患者と共に夢の世界を彷徨うハメになる……。そうならないためにもダイバー捜査官希望者は適性検査を受け、知識を取り入れ訓練を重ねるのだが、それでもなり手は少ない。まず適性検査で絞られ、訓練の過程でリタイアし、最終試験ではじかれるのだ。そうしてダイバーになった者でも患者の負の感情や悪意に触れたり、またはどっぷりその世界にハマり込んで還ってこられなくなったりして、心身共にやられてしまう者も多くいる。ダイバーになるのも難、続けるのは至難、なのだ……。


 最近その最終試験に見事合格し、WD課にやってきた織田はリラックスルームのドアの前にいた……。中に入ると浅井が先に来ていた。


「オリタ、やっと起きたか。なかなか目え覚まさないから副監が心配してたぞ」


「……さっき会いました……」


 織田は先程のジェシカの様子を思い出して、『あれで心配してたのか……』と考える。手近にあった自販機のボタンを押してコーヒーを一口飲んだ。


「……カミヤマ……さんは……?」


「アイツなら個室で休憩してる。独りが楽なんだとよ」


「そうですか……」


 そう言ってまたコーヒーを一口飲む。このメーカーは彼のお気に入りだ。何か会話をと思い織田が尋ねた。


「アサイ……さんは、この仕事長いんですか?」


 当たり障りのない所から聞いてみる。浅井は飲んでいるエナジードリンクの瓶をもてあそんでいる。


「ん~、長いつっても、ダイバーシステムが出来たのが十年くらい前だからなあ……俺もここの初期メンバーになるからそんな感じか?」


「……初期メンバー……スゴいですね……」


「あとマキタと副監も」


「……副監も……」


 若く見えるが副監理官なだけあって、やはり経験はあるのだ……。


「アサイさんはどうしてダイバーに……」


「ちょっと待った!」


『なろうとしたんですか?』という問いは浅井によって遮られた。大きな声に驚いて目を丸くする織田に、浅井がニッと笑いかける。


「ここは“休憩室”だ、リラックスする所だ……堅苦しい話は抜きにしようぜ。どうせまたこれから潜るんだ、頭使い過ぎると、馬鹿になっちまう」


 何かいけないことを聞いたか、と思った織田だったが、浅井の笑顔と物言いに肩の力が抜ける。


「そうそう、今度一緒にトレーニング行こうって言ってたやつ、日にち決めとこうぜ!後で後で、って思ってると行けなくなっちまうんだよなー」


「分かった……分かりました、とりあえずこの日曜日はどうですか?」


「あ、俺仕事だわ。でもここのトレーニングルームけっこう良いからな、それでも良いか?」


「じゃあそれで。詳しい時間はまた後で」


「おう、悪いな」


 トントンと話が進んで会話も弾んだ。『そうだ、』と浅井が付け足す。


「“敬語”、要らねえよ。お前の素で良いんだぜ?時々言い直してたろ?」


「……分かった……」


「それで良い」


 そう言って浅井は瞳を細め、またニッと笑ったのだった……。そうこうしているうちに時間が来て二人はダイブルームに戻る。入ると、すでにジェシカと神山が来ていた。


「そう言えばサイバネ総監理官は……?」


 ログイン時以降姿の見えない総監はどうしたのかと、織田が問うた。


「総監はここの総まとめ役であり、橋渡し役だから、事務処理だったり色々な所に出向いたりして、ダイバールームにいないことが多いの」


「そのための副監だ」


「何でお前が威張るのさ」


 神山は歳上であろう浅井にも容赦なく突っ込む。織田は良いコンビだな、と思った……。


「トモとマックは?」


「マキタたちはまだ戻っていない。だが何か分かり次第連絡を入れるように言ってある……入ったらすぐに通信を繋げ」


「了解」


 牧田とマックの所在を尋ねた神山にジェシカが指示を言い渡しておく。


「……あ~あー、またあの陰湿いじめ野郎の世界に潜るのか……やだなあ、おい」


 浅井が溜め息混じりにぼやいた。相当山内健人の夢に嫌気が差しているらしい。そんな浅井のほうにジェシカがくるりと体を向けて言った。


「分かっているでしょうけど、あの夢が彼のリアルだとは限らないのよ?被潜入者の夢の世界は何が真実で何が偽りなのか全く判らない……彼らの夢の中、そのものが造られたまやかしの世界なのだから」


「へいへい、分かってるよ。だけどよお、嫌なもんは嫌だぜ……」


「はいはい、ならとっとと目覚めせるわよ」


 腕を頭の後ろで組み、眉を下げる彼はまるで駄々っ子だ。その姿を見たジェシカも呆れて軽く息をつきつつも、ダイブに向けてクルーの気を引き締めた。


「さあ、再ダイブスタートだ!各自ボーダー、メンタルグラフのチェック、準備が整い次第ログイン開始!!」


「『了解!!』」


(あの男子生徒はどうなったかな……)


 さっきの映像を思い出しながら、織田は再び夢の世界へ飛び込んでいった―……。




 一瞬の意識の沈みのあと、仮想空間に放出される。織田は最初に潜った時よりも、感覚に余裕を感じていた。周りを見回すと、先ほど見た校舎と変わらない。


「……副監……?……」


 辺りを首を回して確認するが副監も浅井の姿もない。そこに織田の瞳が人影を捉える。あのいじめられていた男子生徒だ――……。校舎から裏庭に続く通路を歩く彼の後を思わず追いかける。周りに人が一人もいないことにこの時の織田は気づかなかった……。

やがてその男子生徒は裏庭の茂みの前で立ち止まってうずくまる。


(……行き止まりか……)


 生徒の顔は織田からは見えない。すると、嗚咽が聞こえ出した……。目の前の生徒からだ。


「……っ……く……ひ……っく……ど……して……僕、が…………」


「…………」


 織田は胸をぎゅっと締め付けられるように感じた……。ひどいいじめを受けている彼を助けてやりたい。自分に手助けできることはなくても、少しでも。話を聞くだけでも――……。


「……おい……大丈夫か……?」


「…………っ……!……」


 声をかけられた男子生徒の肩がビクッと揺れた。この時、織田は副監に言われたことなどすっかり頭から忘れ去っていたのであった……。


「……俺は……いじめられたことがないから、お前の気持ちあんまりよく分かってやれないかもしれないけど……でも、少し話すと楽になるかもだから……」


「………………」


 そう言って織田が近づこうとすると、男子生徒がすっと、立ち上がった……そしてゆっくり振り返る。


「……いじめられたことが、ない……?だれ、が……誰が、僕の気持ちを分かるっていうの…………?」


 そうして振り返った彼の顔には――…“瞳”がなかった――…。


「……!!……っ……!」


 織田の身体は大きくのけ反った。男子生徒の両目は黒い穴がグルグルと渦巻いているようで、そこから何かが滴り落ちている。ゾンビのように手を伸ばし、織田のほうに近寄ってくる……。織田は背を向け、走り出した。男子生徒も追ってくる……。


「……クソ……ッ……!」


(どうしてこうなった……!?)


 走りながら織田は思考を回転させるが、原因の部分がボヤけてよく分からない。彼の頭の中には今、ここが“夢の中”で、“自分がダイバーで仕事中”というワードは全く無かった。今はひたすら“逃げなければいけない”ということに頭が集中していた。しかし足がなぜか上手く動かない。同じ所でずっと足踏みしている感覚に気持ちだけが焦る。


「……だれ、も……だれも、僕のことなんか、分からない……だれも……僕は独り…………死ネばいい……消えればイイ…………」


 ブツブツ言う不気味な声が織田のすぐ近くで聞こえる。いや、頭の中で、聞こえる……。織田は、逃げ切れない、と“思ってしまった”……。


「……うわ……っ!!」


 案の定男子生徒が織田の目の前に現れる。先刻見た時より原形を留めていない。輪郭が、顔がよく分からない……。


「……僕は……、ボクは……死にたい……消えたい……消え去りたい…………イヤ、……コロシタイ……殺し、たい……死にタイ……消えタイ……消えロ……消え、ろ……死ネ……きえ……ロ…………」


「……クッ……ソ……やめろ……るせえっ……!!」


(……くっ!……フクカン……“副監”…………!!)


 織田は襲いかかってくる男子生徒―もはやゾンビ―を、何とか振り切ろうとする。その時なぜか頭の中にあったワードを無意識に叫んだ――……。


「……―タ……オ……リタ……“オリタ”……!!」


「――……あ…………」


 耳に程よい高さの女性の声が飛び込んでくる。段々とはっきり聞こえるようになり、それと同時に視界もクリアーになってゆく。そこにあの男子生徒の気配はなく、自分を覗き込む上司の姿があった。


「……副……監…………?」


「オリタ、はぐれるなと言っただろう。集中してログインしないと“別の部屋”に飛ばされるぞ。それに患者の造り出した意識にむやみに話しかけるなと言ったはずだ。被潜入者の意識に取り込まれて戻れなくなるぞ……お前は配属早々ダイブマシンにDLS患者として繋がれたいのか?」


「……すみません…………」


 榛色の瞳で厳しく見つめられ言い咎められ、織田は落胆の表情で反省の言葉を述べた……。


「……だが、お前があの男子生徒の意識と関わりを持ってくれたおかげで、お前の居場所が特定できた。患者の夢の中で、意識はどこかで繋がっているからな……しかもあの人格は被潜入者であるヤマウチ・タケトの意識と強く結び付いているらしい。別の部屋まで同一意識がはっきり現れているとはな……」


 ジェシカが、考えを巡らすように瞳を細めた。織田は校舎の床に寝かされているらしく、手をついて起き上がろうとする。


「ほらよ」


「……あ……悪い……ありがとな……」


「エナジードリンク十本分で良いぜ」


「……多くないか、それ……」


 ちゃらけながら、側に立っていた浅井が右手を掴んで引っ張り上げてくれる。その手の感覚に(意識がそう認識させているのであるが)、また浅井の軽口に、織田は浅井たちと同じ世界に還ってきたのだと、安堵の溜め息をつくのであった……。立ち上がった織田にジェシカが再度瞳を向ける。


「あの男子生徒は何か言っていたか?」


「……えと、“死にたい”とか、“消えたい”、……また逆の、“殺したい”、“死ね”、“消えろ”……なんかも言っていました……」


「……まあ、無理もねーよなあ……」


 回想して言う織田に、浅井も同情の言葉が口から出る。織田の言葉を聞いて再び考え込んだジェシカのデバイスに、通信が入った……。


『副監、トモから連絡入ったよ。音声繋ぐね』


「ああ」


 神山の声が聞こえたかと思うと、少し間があって牧田の声に切り替わる。ディスプレイに牧田のホログラム映像が浮かび上がった。


『……副監、今ヤマウチ・タケトの学校にいるんですが、アキくんの抽出した画像に当たる生徒がいるにはいるのですが、全く人物像が違うんです……』


「……どういうことだ?」


『生徒の名前は“垣ノ内 慎吾(カキノウチ・シンゴ)”、被潜入者の映像とは似ても似つかない、外向的で活発なクラスの中心にいるようなリーダータイプです。彼がいじめられている様子は確認できませんでした。むしろいじめられていたのはヤマウチ・タケトのようです』


「……え……」


「……あら、まあ……」


 牧田の報告に、聞いていた織田と浅井からは驚きの声が出た。牧田は更に続ける。



『学校に許可を得て生徒たちにも話を聞いたのですが、皆反応がイマイチと言いますか……何かを隠しているような、馬鹿にしているような……それでいて怯えているような、異様な雰囲気を受けました。カキノウチはヤマウチを気遣う風を装ってはいましたが、心からのものではない感じでした……。決め手は一人の女子生徒の勇気ある告白です。ヤマウチがクラスメイトから連続的にいじめを受けていること、クラスはカキノウチが牛耳っていて皆逆らえないこと、先生は本当に気づいていないのか、気づいていても気づかないふりをしているのか分からないということ―……。わたしとマックからの報告は以上です』


「……解った。わざわざ学校まで出向いてもらってご苦労だったな……ダイブルームへ戻ったら引き続き待機しておいてくれ」


『了解しました』


 通信が途切れ、牧田のホログラムが消えた……。クルーの間に動揺と溜め息が落ちる。


「……“逆理想”……」


ジェシカが囁くように言った。


「……“ギャクリソウ”?」


 織田が繰り返す。ジェシカは少し瞳を伏せたまま、説明を加える。


「そのままの意味よ。現実で辛い目に遇っている人が理想を描いて、夢の中で全く反対の夢を見ること……ヤマウチ・タケトの場合はいじめられている自分と、いじめているカキノウチ・シンゴの立場を入れ替えたのね……それが彼の望みであり理想と言う訳か……」


「なるほどねえ……」


 浅井が深い溜め息と共に合点と呟く。ジェシカの意志を込めた強い瞳が前を向いた。そして彼らに指示を飛ばす。


「カミヤマ!わたしのグラフィックを変える準備をしろ!ヤマウチ・タケトの意識に接触する」


『副監……まさか生徒として、なんて言わないよね?』


「そのまさかだったら何だって言うの?」


『……え……本当に……?』


 冗談で言ったつもりだった神山は、ジェシカの答えを聞いて大げさに驚いて見せた。


「そんなわけないでしょ。つべこべ言わずにモードの調整をしろ!」


『……えー……もう……副監が言ったのに……』


 不満そうな神山を無視してジェシカは浅井と織田にも指示を出す。どこからかこの空間に手が加えられる気配がした。


「これからお前たちとは別行動だ。アサイとオリタは引き続きステルスモードで、この仮想空間内に異変がないか見張れ!わたしがヤマウチと接触したら、いつでもここから出られるようにログアウト準備も忘れるな!……お前たち、ヤマウチ・タケトを“浮上させる”ぞ!!」


「『了解!!』」


 浅井が、そして織田も、力強く返事をした。ジェシカのデバイスから音声が流れ、グラフィックが変わり始める……。


『ボーダーRコントロールパワーダウン、モードR(REAL)固定……ボーダーDコントロールパワーアップ、モードD(DREAM)解放……』


『……それで?結局誰のグラフィックにチェンジするのさ?』


 神山の問いに、ジェシカは唇の端を持ち上げて答える。


「……“教師”よ―……」




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