始動5


「……そうだ……僕は…………」


 山内の幻影は消え、後にはジェシカと床に膝をついた本当の山内が残される。他のダイバーたちもステルスモードを解除して、少し離れた場所に立ち、こちらを見ていた……。




 きっかけは本当にちょっとしたことだったのだ。暑がりな山内が夏場にひどい汗をかいた時に垣之内がからかったのが始まりだった……。それにクラスの皆が同調するようになり、『臭い』や『汚い』、『キモい』という言葉による暴力が続いた。そのうちに、小突く、殴る、蹴る等の身体的暴力も酷くなっていった……。やがてクラス全体から非道な扱いを受けるようになったのである……。


「……教師は知っているのか……?」


 ジェシカが山内に訊ねた。服装はダイブスーツに変わっている。


「……気づいて……いない、フリをしてるんだと思います……それに言えません……『先生にチクったら殺す』って垣ノ内に言われて……恐くて言えません……今よりもっと酷くなると思うと…………」


 そう言って彼は自分の身体を抱き締めた……。震えているのが分かる。


「……僕は……辛かった……苦しかった……悲しかった……恐かった……憎かった―……夢の中では僕の好きなことが出来る。アイツら全員同じ目にあえば良いと思った……アイツらなんて、消えればいいのに…………」


 夢の中の垣ノ内は、現実でいじめられている山内健人自身。彼は現実の辛さを、仮想現実で立場を逆転することにより忘れようと、いや、垣ノ内に思い知らせてやりたかったのだ……。

 ぽたり、と山内の目から涙が零れ落ちる。それは床に幾つもの染みを作っては消えていった。


「……お前の涙はこんな所で流していていいものなのか?」


「…………え…………?」


 ジェシカの唐突な問いに、山内は顔を上げて彼女を見る。さっきも綺麗だと思った榛色の透き通るような瞳が、真っ直ぐに彼を見据えていた……。彼女は言葉を続ける。


「自分を変えろ、とか、いじめに立ち向かえ、とは言わない。生きてれば良いことがある、とも言わない。どんなに立ち向かっても潰されるだけの場合もあるし、生きてたってツライことだらけの人生だってある……でも」


 ジェシカは膝を折って目線を彼に合わせた。


「お前の居場所は“そこ”だけじゃない。お前の存在意義も“それ”だけじゃない……他に目を向けてみろ。“生きていれば”出来るコトがある。あんなヤツらのために、自分の命を無駄にするのは悔しいでしょ?」


 榛色の瞳が、柔らかく笑んだ――……。





「結局副監がみんな美味しいところ持ってっちゃったね」


「お前はまだいいさ、俺なんてジェシカにムチでしばかれただけだぜ?」


「その割には嬉しそうなんだけど?」


 ダイブルームに戻って来たダイバーたちが休憩しつつ雑談に興じる。山内健人も無事に目覚め、母親が迎えに来た。母親は、自分の息子がいじめられていることを知って、驚きと悲しみに表情を歪めたが、息子と共にこれからを考えてゆく、と母の強さが垣間見える印象を残して二人で帰っていった……。ジェシカは彼らの見送りに行っている。


「……やっぱりいじめはやだねえ……無くならないもんかねえ……」


 パーテーションにもたれて浅井が呟く。神山が表情を変えずに薄く口元だけで笑んで言った。


「……無くならないさ、人間(ヒト)が互いに本能的に優劣をつけて、上を求める限り―……」


 人間の本質を捉えた深い皮肉に浅井が苦笑いをする。


「……言うねえー……」


 そこにマックと牧田が帰ってきた。


「あ、お帰りー」


「ただ今戻りました」


「ただ今~」


「ヤマウチの浮上(サルベージ)成功して、さっき副監が送っていったよ。下で会わなかった?」


「会いました。良かったです、一安心ですね」


 牧田が優しく微笑む。


「そっちも大変だったな……ガキどもの所に聞き込みなんて」


「女の子はいっぱい見れたよ!!」


「へいへい、良かったな、ってそんなこたぁ聞いてねえよ!」


 嬉しそうに話すマックに珍しく浅井が突っ込んだ。牧田が頷きつつ話す。


「それほど大変ではなかったですよ……ただ、いじめがあるという状況だけに、聞きづらい雰囲気はありましたけどね……」


「……だよなー……」


 話が振り出しに戻って、浅井はまた深く息を吐き出した……。牧田が続ける。


「……若い時は特に、自分のしたことが相手にどのように影響するのか、深く考えずに行動することが多々あるものです。わたしもそうでしたし、大人になっても、中々そのことを考えつつ行動するのは難しいです……でも、これをすると相手がどう思うのか、喜ぶのか、逆に悲しむのか、ほんの少しでも相手の立場に立って、思いやることができたなら――……こういうケースは減ってゆくのでしょうね……」


 牧田の言葉はとても真っ直ぐで、クルーの心にストンと落ちて納得させると共に考えさせた……。


「……そうだな……俺たちが腐ってても仕方ねーしな!」


 浅井が急に元気になって背筋を伸ばし、身を起こす。


「てなわけで、新人くんの歓迎会しようぜ!!」


「……へ……?」


「何が『てなわけで』、なのさ……」


 急に振られて間の抜けた声を出した織田の肩をガシィッと掴み、浅井は満面の笑みで飲み会、もとい、歓迎会へと誘う。


「俺、あんまり飲めねーと思うけど……」


「いーの、いーの!お前はいてくれりゃ。そのための歓迎会だからよ」


「おい……」


 浅井の魂胆に、織田がツッコむ。そこへジェシカが入ってきた。


「何だか盛り上がってるわね」


「副監、副監も行こうぜ、オリタの歓迎会!」


 浅井が笑顔でジェシカも誘う。織田は気になって山内のことを尋ねた。


「……副監、ヤマウチ・タケトは大丈夫そうでしたか……?」


「……多少疲労は見られるけど、身体に別状はないわ。精神も安定しているし、大丈夫そうよ。これからのことだけど、それは彼次第ね。学校側に状況の改善を要求しても、期待はできないでしょうし……でも生きる糧を見付けられれば、人はしぶとく生きられるものよ。そうそう、将来ドリーム・ダイバーになりたい、って言ってたわね」


「え……!?」


「ヒュウ~マジかよ!ぜってー、副監の女教師姿にやられたんだぜ!?……ぐっ!」


 浅井の腹にジェシカの右ストレートが綺麗に決まった。


「……またここで、今度は一緒に働く仲間として会えると良いですね……」


「試験に合格すればね」


 ダイバー試験、それは易しくはない。その前に厳しい訓練も待っている。それに学校生活は何も変わってはいない。依然、垣ノ内はそこにいる。いじめも続くだろう……。山内がこれからどのように歩を進めてゆくのか、ジェシカたちには予想もできない。しかし、彼に明るい未来があることを祈ることぐらいはできる。織田は、彼と共にここで働ける日が来ることを、心の中でそっと願った――……。


「よし、じゃあ今日はオリタの配属を祝してパーっとやるか!」


「よっ、それでこそ副監!!そうこなくっちゃ!」


 浅井が既にハイテンションになっている。


「……総監はいいんですか?」


「彼はまだ事務処理があるそうよ」


 総監に雑務を任せて、自分たちが飲みに行って良いんだろうか、と織田は思いつつも、彼女には言い出せないのだった……。


「そうと決まれば早速行こうぜ、どこ行くかな~」


「そうだねーカワイイ女の子がいっぱいいる所がいいな~」


「……呆れるよ、ホントに……」


 神山がげんなりした顔を隠そうとしない。


「この通りの近くにわたしの知ってる場所があるんですが、どうでしょうか?」


「そこ女の子いる?」


 すかさずキリッとした真面目な顔で尋ねるマック。そんな彼に牧田も真面目に答えた。


「店員さんが女性だったかと」


「マキタのオススメなら安心だ。皆、行くぞ!!」


「レッツゴー!!」


「りょーかい~!」


「りょうかい……」


「了解です」


 ジェシカの言葉に浅井とマックは元気よく、神山は息を吐きつつ、牧田は通常通り返事をして外へ出て行く。織田は皆のテンションに呆気にとられながらも、共に外へ向かっていたが、ふとダイブルームの入り口で部屋の中を振り返った。さっきまで自分が横たわっていたダイブカプセルがある。


(……これからここで仕事をするのか……)


 配属早々、人の夢に潜って患者を目覚めさせる瞬間に立ち会った。患者の意識に呑み込まれそうにもなった。色んな意味で強そうな上司にも出会えたし、個性際立つ同僚もできた。色々あって日が長く感じたが、無事一日目が終了して良かったと思う。


「オリタ?」


「はい、今行きます!」


 なかなか来ない織田にジェシカが声をかける。織田はもう一度、ルームを一瞥して踵を返し、皆の元へと向かったのだった―……。





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