プロローグ
「……っ……はあっ……!はぁ……!」
夜の暗闇の中、石畳を駆け抜ける一つの影。何かに追われているのだろうか、息を切らせつつも足を休めることはしない。
「……はあ、はあ……っ……はぁ……ここまで来れば、はぁ……大丈夫だろう…………」
広場を抜けて煉瓦の建物の影で一息つく。逃げていたのは若い男のようだ。街灯に照らされ明るい髪色が目立つ。格好は軽い鎧を胸に当て、まっすぐなソードが腰にある。剣士のような格好だ。
「……さて、と……」
男が再び歩を進めようとしたその時、男はふいに嫌なものを感じた……。少し離れた広場に、あの黒いローブをまとった自分を追いかけていた物体がいる。頭まで漆黒のフードを被ったその者の顔は見えない。だがそれがまた恐怖を煽るのだ。
「……っ!なぜ……!!撒いたと思ったのに……!!」
男は腰に差してある剣を取り、広場に佇む黒い塊に向ける。次の瞬間黒い物体はいきなり距離を詰めてきた。男の眼前に影が迫る。男は剣を必死に振るうのだが、一向に当たりやしない。そのことに、じりっとした恐怖と焦りを感じた……。
「………くそっ……!!なぜだ!!どうして当たらないんだ!!ここは俺の“ ”なのに―――……」
叫びながら言ったその言葉に、黒いローブの人物がくすりと笑ったのが耳に届いたーー……。
「そう、ここは貴方の“夢の中”、貴方の作り出した幻想世界……」
黒いローブがふわりと舞い、中からブラウンの髪と榛色の瞳を持つ女性が現れた。それと同時に辺りの様子も変わっていった。煉瓦が崩れ、明るくなってゆく……。
「……あ……れ……?……俺……いや、僕は…………?」
いつの間にか若い男の鎧は学生服に、剣は定規に変わっていた。呆然とする少年に女性が軽やかに髪を揺らしながら手を差し伸べる。
「さあ、帰るわよ……“現実世界”に――――……」
女性の鮮やかな笑みが少年の脳裏に眩しく焼き付いたーー……。
C.E.2139年………世界は荒れ廃れるでも楽園になるでもなく、相も変わらず中途半端な毎日を惰性で過ごす、今と変わらぬ人間たちで溢れかえっていた……。
ただ一つ、二十一世紀と違うことがあるとすれば――……。
“夢迷い病”――通称『Dream Lost Syndrome(ドリーム・ロスト・シンドローム)』と呼ばれる奇病が流行していた―――……。
この病は、夢と現実の境がひどく曖昧になり、夢の世界を現実世界と思い込んで眠ったまま目覚めなくなる病気である。すぐに命に関わるような病気ではないが、発症から罹患期間が長期に及ぶと、やがて肉体が衰え、滅んでしまう。
この奇病に対抗する唯一の手段は、直接患者の夢に入り込み、夢を“夢である”と認識させ、現実世界へと連れて戻ることだけである。
そのための装置が開発され、特別に訓練を受けた資格のある者たちだけがそれを用いて“夢戻し水先案内人”としての役割を引き受けるのである……。
彼らは夢迷い病(DLS)の患者の夢の世界へまるで、ダイビングをするように“潜り”、その無意識下の深層意識から患者の意識を浮上(目覚め)させることから『夢潜入捜査官―Dream Diver(ドリーム・ダイバー)―』、略称“WD(ダブルディー)”と呼ばれていた―……。
これは科学が進んで、人が想像したものは大抵実現できるようになる時代の少し前の、彼らの物語――……。
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