後編 神官見習い

 明るい日差しがまぶしい。


 空の中央に登った太陽は、草原の緑を、神殿の白い壁を、祭壇さいだんの上の透明なレンズを美しくきらめかせている。

 私は祭壇さいだんから眼鏡を取り上げると、いつものように手入れを開始した。


 水洗いして、水気を取って、布で念入りにみがき上げる。


「よし、できた!」


 今日もまたひと際まぶしく輝く眼鏡。

 私は見習い神官として神殿で暮らすことになった。

 もちろん、眼鏡の手入れは私の役目である。


 眼鏡無しの生活は不便だけど、ようやく慣れてきた。

 神殿の人達、特にリクさんが助けてくれるし。

 転ばないように手を貸してくれたり、周りに何があるのか教えてくれる。


 白い衣の神官らしき人が来た。

 眼鏡を掛けてなくても、リクさんだとわかる。


「ミキさん、今日もご苦労様です」

「はい、メガネ様も絶好調です!」

『うむ。大儀たいぎであった』


 厳かな眼鏡の声にうやうやしく頭を下げるリクさん。


「メガネ様、今日は森番の家までご足労願います。年老いた森番の母親がメガネ様のご加護を待ちわびております」

『そうであったな。大事な信徒が待っておる。ゆくとしよう』


 私は眼鏡を取り上げ、掛けた。

 眼鏡を運ぶ時には、こうして掛けることが許されている。


「わぁ、また一段と緑が濃くなってきましたね」


 くっきりした視界に広がる鮮やかな緑。

 初夏の心地よい風が吹き抜ける。


「えぇ、このような日に外を歩くのは、きっと楽しいことでしょう」


 リクさんは穏やかな笑顔を浮かべて私を見ている。

 眼鏡を掛けていると、整った顔立ちと澄んだ茶色の瞳がはっきりと見えて、思わず戸惑ってしまう。


「そ、そうですね!気持ちのいい季節ですよね!」


 上ずった自分の声に戸惑い、眼鏡を外そうとすると、


「あ、お待ちください!」


 リクさんに止められる。


「何ですか?」


 気持ちを静めて、できるだけ普段通りの調子で答える。

 リクさんは手にした小さな紫色の花を差し出した。

 何とも言えない芳香ほうこうただよう。


「この花をよく見たいとおっしゃっていたので……」


 優しい笑顔でリクさんは言った。


「は、はい!ありがとうございます…………!」


 そっと花を手に取ると、甘い香りが鼻腔びこうをくすぐった。

 信者さんの一人が持ってきた花がとてもいい香りだったので、どんな花なのか気になった。

 眼鏡を掛けていないのが残念だと言ったっけ。


 ……覚えてくれてたんだなぁ。


 小さな花がいくつも寄り添っているような、紫の花。

 ライラックの花。

 花言葉は、「恋の始まり」とか……。


 いや、この世界にこんな花言葉なんて……。


『無いようだな。良ければそのような知識も広めて―――』

「さぁ!!眼鏡を届けに行きましょう!!」


 私は大声で眼鏡様の言葉をさえぎる。


『うむ。野暮な真似はすまい』

「いい天気だな―――!!!」


 リクさんは必死な様子の私としたり顔(顔があればきっとそんな表情をしてるだろう)メガネ様を見て笑う。


「行きましょうか」

「はい!」


 メガネ様の力を増すためには、こうして徳を積んでいくことが重要だ。

 力が強くなれば、代わりの眼鏡をんで私にくれると約束してくれた。

 それに、元の世界へも帰れるかもしれない。


 よく晴れた緑の野原を、リクさんと並んで歩く。

 眼鏡越しの景色はとても綺麗だった。


「メガネ様を掛けたお姿が、ミキさんには似合いますね」

「もう体の一部みたいなものですから」

「この時だけは、目を合わせてお話できるので嬉しく思います」


 隣を歩くリクさんの笑顔に鼓動こどうが早まるのを感じ、帰る時が来るのが惜しいような気もしてくるのだった。


 ―――帰れるのかどうか、まだわからない。




 元の世界と家族のことは気になるけれど、この世界の暮らしも悪いものではないと思い始めていた―――。

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私のメガネ様 秋風遥 @aki_haru

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