第3話 籠の中の鳥の意地
丘咲家の屋敷を出ると新聞配達のバイトをした後、駅前へいく。
僕はまだ11歳であり、本来なら働けるような歳ではない。だが、新聞販売店のおじさんと定食屋のおじさんに事情を相談して働かせてもらって僅かな金銭を得ている。
駅前からは慶帝学院へと続く長い坂が見える。あの坂の上にある巨大な学院は天下の慶帝学院だ。
慶帝学院――日本でも屈指の小中高大一貫の学院。日本一の大学である帝都大にクラスの半数が入るという超がつく進学校であると同時に、ある一つの特殊な特徴がある。
それは異能力についての専攻クラスがあること。
異能力――特定の人にある特殊な能力であり、21世紀の初頭までは丘咲家のような特別な家や組織のみで秘匿されていた力。確か、米国のある学者が世界に公開してその存在が一般に公になった。もっとも、そもそも国レベルでは周知の事実だったらしく、情報が次々に公開された結果、大した混乱もなく現在受け入れられてしまっている。
慶帝学院、異能力専科は、そんな異能力を昔から受け継いできた名家の子息子女が集う学校ってわけだ。
丘咲家も昔から脈々と異能力を受け継いできている系譜であり、親戚筋には日本政府の要職についているものも多々存在する。杏子と美柑はあの学院小等部の生徒だ。
もちろん、僕にも一応異能力である回復能力があるが、高額な慶帝学院に通わせてもらえるはずもなく、向こうに見える公立の紘坂小学校のとなる。
ま、僕にとってはあんな息が詰まりそうな学校よりも、紘坂小学校の方が遥かになじみやすい。何より、紘坂小学校の隣には図書館がある。バイトが休みの暇なときは大好きな読書を思う存分できるし。
一日の授業が終わり、定食屋に行ってバイトを行う。主な業務は皿洗いや野菜の皮むきなどだが、そんなことは物心つく頃から丘咲家でさせられており、御手のものだった。
「気を付けて帰りなさいね」
「ありがとう!」
定食屋で出された
一応丘咲家でも食事くらいは出る。丘咲家にとっては残飯に等しいものでも、僕にとっては十分にご馳走だ。だから、僕が今バイトにより金を稼いでいる理由は他にある。
即ち、小学校卒業とともに、丘咲家を出ること。もちろん、子供の僕にはあの糞のような家から出ることの決定権はないし、労働力の僕が家を出ることの許可などあの家が出すことはあるまい。だから、金を稼いで黙って出て行ってやる。そして、住み込みのバイトでもして日々の生活費を稼ぎ、図書館などで勉強しつつ大学を目指す。それは、なんて充実した日々だろうか。だからだろう。僕はバイトを辛いと思ったことは今まで一度足りともない。
今晩はあの家の唯一の良心ともいえる杏子が泊りがけのパーティーで不在だ。よって僕にとっては最悪の環境に等しい。できる限り奴らと顔を合わせず部屋に戻りたいところだが。
極力音を立てないように玄関の扉を開けると、最悪な事に丘咲家の使用人たちの長である執事長――
こいつは
「遅れてすいません」
一応頭を下げておくが、
「奥様と旦那様がお呼びです」
重い足取りで無駄に広い洋風の居間に入ると、30代前半の女と白髪の老人が椅子に腰を掛けていた。見たところ、僕がこの度怒らせたのはあの癇癪持ちの女――
「
「--っ!?」
花蓮が右手に握るのは、僕の大切な通帳だったのだ。今の僕にとって命よりも大切なものだ。だから、いつもは身に放さず持ち歩いているんだが、今日は部屋に置き忘れてしまっていた。それでも、机の引き出しの二重底の下に隠しておいたのだ。僕の部屋を徹底的に捜索でもしない限り見つかるわけがない。
「もう一度、聞きます。この金銭はどこで手に入れました」
「……」
バイトの件を言えば、新聞販売店のおじさんや定食屋の夫婦に迷惑がかかる。彼らはこの地の名主である丘咲家に背いてまで僕に力を貸してくれたんだ。絶対に裏切ることはできない。
僕が何も口にしないことに、舌打ちをすると花蓮は
「折りなさい!」
花蓮の無常の指示が響くのと、
「待って!」
美柑が焦燥たっぷりの声を張り上げるのは同時だった。
そして、僕の右腕に背筋に杭でも撃ち込まれたような激痛が走る。
「悲鳴を上げないのは大したものです。もう一度いいます。この金銭はどうしたのですか?」
言わなければきっと僕はここで殺される。でも、ここで話せば僕は本当にこいつらがいうような屑へと成り下がる。それだけは死んでもゴメンだ。
「やれよ……」
「それが目上の者に対する言葉ですかっ⁉」
「いいから、さっさと殺せよっ!」
この挑発は逆効果。こいつらなら眉一つ動かさず僕の命を奪う。だが、どうしてだろう? 僕はこのとき、このセリフを吐いたことに全く後悔はしていなかった。
花蓮の額に太い青筋が張り、ヒステリックな声を張り上げようとしたとき、
「止めてッ!」
美柑が目じりに涙を貯めながら、絶叫をしていた。
「美柑、貴方は上に上がっていなさい」
気持ち悪いほどの猫なで声で花蓮は美柑に指示するが、
「でも、シラベはお店で働いているだけよっ! 家のお金を盗んだりなんてしていないっ!」
美柑は今僕が最も口にして欲しくない情報を叫ぶ。
「店で働いている? その店を教えて頂戴?」
花蓮は美柑に尋ねると、
「……それは……」
「紘坂駅前毎売新聞支部とカゴメ定食です」
くそ、端からこいつらにはバレバレだったってわけか。大方、今回の騒動は
「面倒ね。混乱を招いた罰よ。そのものたちにも制裁を加えなさい」
ちくしょう! させてたまるかよ! 敵うわけがない。それでもそんな暴挙を許すわけにはいかない! 折れていない左拳を痛いくらい握りしめたとき――。
「だそうだ? いいのか、小僧?」
背後の長椅子に座って僕らのやり取りを興味深そうに眺めていた白髪の長身の老人が僕に尋ねてくる。
こいつは、
「駄目に決まってんだろッ!」
濃厚な怒りを含有した僕の声に、
「ご当主様に何たる無礼!」
「おい、貴様は引っ込んどれ! 儂は今、小僧と話しとるんじゃ!」
背筋が冷たくなるような低い声が響き渡り、
「も、申し訳ございませんッ!」
僕もここまで感情を剥き出しにした
それはこの部屋の誰もが同じらしく、皆、顔を強張らせていた。唯一、
「なら、その金と引き換えに手打ちにしちゃる。どうじゃ、悪い話じゃあるまい? ただし、この家を出ることはできなくなるがのぉ」
「知ってたのか?」
「もちろんじゃとも。で、どうする?」
「僕に選択肢があると思うか?」
「ないのぉ。貴様の性格は十分に承知しておる。小僧、貴様はこの丘咲家の所有物じゃ。生涯、貴様はこの家の籠から出ることはできぬよ」
要するに、泰三は僕が家を出れば新聞販売店とカゴメ食堂を潰す。そう強迫してきているんだ。
結局、こうなるのか……。
「お父様、それでは示しが――」
納得ができぬ花蓮が声を張り上げようとするが、
「おい、花蓮、貴様、いつからこの儂に意見できるほど偉くなった?」
笑顔で泰三に凄まれ小さな悲鳴を上げつつ口を閉ざす。
「美柑よ。これでいいかの?」
「……」
涙を拭いて美柑が顎を小さく引く。
泰三は僕に近づくと、
「腕を折られても悲鳴一つ上げぬか。その歳でその胆力は大したものじゃ。どうじゃ、儂らの従順な犬となれば、それなりの地位をやるが?」
「ゴメンんだね。糞爺!」
「この儂を糞爺か。そんなことを口にするのは日本広しといえ、貴様くらいのもんじゃて」
カラカラと笑うとのそりと立ち上がり、泰三は上機嫌で居間を出て行ってしまう。
「ご当主様に数々の無礼、奥様、こいつを――」
「奥様、今日はこれでお開きでよろしいですね?」
「遊馬さん――」
「勝手になさいっ!」
ヒステリックな声を上げて花蓮も部屋に出て行ってしまう。
「さあ、
言われなくても戻るさ。こんな掃きだめのような場所に一秒たりともいたくはないから。
「……」
最後の抵抗に僕は医務室へいかずに、自室の屋根裏部屋へと直行したのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます