第93話 なぜか弾む気持ち  フランコ――その1


 ――門閥貴族派アルドネスの貧民街


「ほら、そこチンタラやってないっ!」


 医療チームリーダー、タナにどやされて、


「わ、分かっているよっ!」


 泣きべそをかきつつ、ビットスレイ王国の第一王子フランコは、医療器具である留置針を右手に持って、右腕の静脈の血管に震える手で入れる。即座に包帯で巻いて、点滴と呼ばれる長い管につないで、コルクを開く。


「で、できたぞ、タナ!」


 歓喜の声を上げるが、


「喜ぶのはあと! 早く抗生剤を打ちなさいっ!」

「わかった!」

 

 顎を引いてフランコは医療行為に没頭していく。


 

 淡い紅に染まった太陽が半分ほど山に沈んでいるとき、ようやく患者が落ち着き、ヘトヘトになって地面に大の字になる。

 グレイの預かりになってから、来る日も来る日もフランコはずっとこのタナという娘に預けられて土と埃に塗れながら人助けのようなものに従事していた。

 もちろん最初は嫌だったし、反発もあった。フランコは仮にも一国の王子だ。それがこんなみすぼらしい貧民どもの命を助けねばならいないのかと、いつも自問自答していた。

 しかし、ずっと人助けのようなものがあまりに忙しく次第にそんな疑問を覚える回数が減る。逆に説明不能で、かつ、強烈な罪悪感のようなものを覚えるようになってきた。

 それは今まで己の行為について。今までフランコは神に選ばれた存在であり、ビットスレイ王国の人民や富は自分の所有物にすぎなかった。だから、所有物の使用人や配下は気に食わないと殴るし、クビにしたりもした。フランコにとってすべてがそんなとるに足らない存在だったのだ。

 もちろん、例外はあった。それは高位貴族たち。彼らはフランコと同様に神の祝福をえたものたち。故にフランコたち王族に準じる権威を有し、他の平民や下級貴族を支配する権利を有する。そんな妄信を疑わなかった。

 しかし、このあのグレイに預けられてから、そんな絶対と思っていた名高い高位貴族は次々に失脚するのをこの目で目にしてきた。あるものはグレイへの怨嗟の声を上げ、もうあるものはみっともなく慈悲を懇願する。この領地のアルドネスの門閥貴族も戦死したそうだ。

 つまり、今までフランコが絶対と信じてきた価値観などただの幻想、泡のようなものにすぎなかった。


(みっともないのは僕だ)


 改めて考えれば、配下や使用人たちは単にフランコを恐れていただけ。そこに忠誠はもちろん、一かけらの信頼すらありはしない。己の身近の家臣たちですらも愛想をつかされている状態で確かに次期王など夢もまた夢だろう。


(それに僕にはもうそんな資格はない)


 あの少年を殴ってしまった。罪悪感を覚えるようになって、幾度、顎の割れた男に楽しいからと進められたせいだと思おうとしたことだろう。だが、あのときフランコは確かに自分の意思であの少年を殴ることを選択した。そして、きっと多分あの時殴っていて奇妙な支配感や優越感に浸っていたのだと思う。


(気持ちが悪い……)


 そんな自分に反吐が出そうで、思わず顔を歪ませる。殺したいほど、自分は滑稽で救いがなく、愚かしい。


「今日のあんたの診療は終わり。早く寝なさい」


 そっけなくタナに指示を受ける。


「う、うん。わかった」


 最初はあれほど嫌だったタナからの指示にも、実に素直にうなずくことができた。


「あんた、自分のやったことを――いや、なんでもないわ」


 タナはクルリと背中を向けて歩き出す。

 ふらつく足取りで立ちあがり、フランコも自分のテントに向けて歩き出す。


「今日はよくやったわ」


 そんな彼女らしからぬ労いの言葉に、咄嗟に振り返るが既にタナの姿はなくなっていた。

 

「よくやったか……」


 そんな無礼な言葉はきっと過去のフランコならば激怒していたことだろう。

しかし、その言葉は今まで褒められた誰よりも嬉しく感じていた。


(そうだな。明日はもっと……)


 なぜか弾む気持ちを全力で抑えながら、与えられたテントへ戻り、医療用の本に目を通し始める。


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